劉備 玄徳(りゅうび げんとく)

蜀の初代皇帝(161年~223年6月10日)。

「七転び八起き」の人生。

戦下手、人たらし。

貧乏生活

161年に涿郡涿県(現在の河北省)に生まれて、

若い時は草履を売って貧乏な暮らしをしてたんだ。

貧乏だけど、一応漢皇帝の遠い遠い親戚。

 

このとき頭良かった盧植先生のもとで学問を学んでて、

その時に公孫瓚とちゃっかり仲良くなったみたい。

義勇軍結成

そんな時に張角率いる黄巾の乱が勃発して、

漢帝国がピンチになり、義勇軍を募って反乱鎮圧に参加。

その時に一緒に立ち上がったのが、関羽・張飛の2人!

 

その後黄巾の乱は鎮圧されて、

劉備は、その功績として、小さな地区の町長さんみたいな役職を貰えたけど、

賄賂を求めてきた役人をぶんなぐって逃亡したみたいね。

 

その後、行くところなくて、

昔たまたま仲良くなった公孫瓚のもとへ流れていってます。

徐州を苦労なく貰うけど、簡単に奪われる、そしてリピート・・・

そんな時、曹操が徐州の陶謙を攻めたものだから、

正義感が強い劉備が助けに向かったんだけど、

劉備が援軍にかけつけてから間もなく、曹操軍は引き返したんだよね。

 

曹操は呂布に自分の国を背後から襲われてたから、

仕方なく退却したんだけど、

 

陶謙はそんなこととも知らず、

援軍くれた事に対して感激して、劉備に徐州の太守を死ぬ間際譲ったみたい。

 

その後、曹操に敗れた呂布が劉備を頼って落ち延びてきて迎えたんだけど、

呂布に裏切られて、徐州を失ってしまって、

どうしようもなく曹操のもとにお世話になりにいったようね。

 

そして曹操の力を借りて、

呂布を倒して、徐州を奪いかえしたんだ。

 

ただその後、速攻曹操を裏切って、

逆に国を奪われるというどうしようもない始末に!

運命の出会い

流浪した結果、劉表を頼って、荊州に落ち延びたんだけど、

ここで劉備は諸葛亮(孔明)と出会って、負け犬人生から流れが変わっていくんだ。

「三顧の礼」「水魚の交わり」って有名だけどこの二人から出来た言葉なんだよね。

 

ただ、孔明と出会ったのはいいんだけど、

お世話になっていた劉表は、病気で死にそうになってて、

そんな最中曹操が攻めてきて、焦った劉表は、「荊州は劉備に譲るよ」という始末。

 

これに腹を立てた劉表の子供である劉琮とその家臣から襲われて、

荊州を出ていくはめになってしまう。

 

劉琮はすぐに曹操に降っていったんだけど、速攻曹操に殺されちゃうんだよね。

自業自得。簡単に降伏するような人は信頼されるわけがない。