孫権 仲謀(そんけん ちゅうぼう)
呉の初代皇帝(182年7月5日~252年5月21日)
孫堅の息子であり、孫策の弟。
孫策の築いた地盤を引き継ぐ。
名君であったが、年老いて迷君(愚君)になる。
孫策の後を継ぐ
父である孫堅(そんけん)が、
劉表の家臣黄祖軍に攻めたはいいものの打ち取られてしまう。
父が死亡した後、袁術(えんじゅつ)にお世話になるが、
裏切って独立し、孫策の快進撃で呉の礎を築くんだけども、
刺客に襲撃された傷がもとで26歳で死亡してしまう。
それを引き継いだのが孫権(19歳)なんだ。
あまり苦労をせずに、大きな国を手に入れたおぼっちゃんみたいな感じだね。
赤壁の戦い
後を継いだはいいものの、
曹操が中国統一を果たすために、攻めてきたんだ。
さすがに経験もない孫権はあたふたするんだけども、
劉備と協力して、曹操を赤壁の戦いで勝って、難を逃れる事ができたんだ。
その時に活躍したのが、
周瑜(しゅうゆ)って優秀な軍師!
荊州争奪戦①
赤壁の戦いでは、劉備と協力するんだけど、
実質ほとんど戦いをしたのは孫権軍。
赤壁の戦いに勝利した孫権は、
荊州を手に入れようと動くんだけど、
劉備軍が荊州を先に奪ってしまったんだよね。
美味しい所だけもっていかれた感じ。
孫権は怒りを覚えるだけど、
同盟は表向き上解消せず、その恨みを残したまま月日を過ごすことになるんだ。
この時劉備と孫権の妹である孫尚香(そんしょうこう)が結婚してる。
その後しばらくして、
曹操軍と合肥(がっぴ)で戦うんだけど惨敗しちゃってる。
三国鼎立
劉備が益州に攻め入り、中国は大きく3つに分かれる事になる。
このあたりから実質三国時代って言われるんだ。
実際は曹丕(曹操の息子)・劉備・孫権)が、
皇帝になってからが正確なんだけどね。
ちなみに劉備が益州を手に入れてから、
荊州の一部(長沙・桂陽)を孫堅に挙げて、険悪ムードは少し回復。
荊州争奪戦②
劉備が益州を手に入れてから、
荊州は関羽(かんう)が守っていたんだけど、
関羽が曹操を攻めるんだよね。
情勢はものすごく関羽の方が優勢だったんだけど、
ここで孫権が同盟を破って背後を攻めるんだ。
これで関羽軍は惨敗し、殺されてしまう上に、
荊州も全て、曹操と孫権にとられてしまうことになっちゃうんだよ。
夷陵の戦い
苦労を共にしてきた関羽が殺されたことで、
劉備の怒りは大爆発。
みんなが諫めるのを聞かずに、
孫権に戦争をしかけるんだけども、夷陵で大敗北。
多くの将軍、多くの兵を失ってしまう結果に・・・
劉備もこの戦いが元で死んでいる。
だけど勝利した孫権軍もさすがに疲れ切ってて、
そこをすかさず攻めてきたのが、曹丕(曹操の後を継いだ息子)。
関羽戦の時に同盟は組んでたんだけど、
戦国の世の中だから、平気で裏切られるのも仕方ないって感じだったと思う。
非常にやばかったんだけど、
なんとか勝利を収め、危機を乗り切って一段落する。
その後、劉備が死んで後を継いでいた劉禅(りゅうぜん)と同盟を結びなおし、
皇帝を名乗って、本当の三国時代の開始。
年老いて迷君(愚君)に・・・
大きな戦争から何度も国を守り抜いた孫権だったけど、
年老いてからは、意味がわからない事ばっかりやって国が衰退するんだよね。
夷陵の戦いで指揮した忠義の士である陸遜(りくそん)を後継者争いに巻き込んで、
色々文句言ったりしまくって、その最中に無念のうちに陸遜は死んじゃうんだ。
多分ぼけが入ってきたんだと思う。
そして国を乱した後に、この世を去ってしまう。
なんか途中までが名君過ぎたので、多少もったいない最後だった。