劉備は前漢皇帝の子孫なの?

劉備は、前漢皇帝の子孫だと言われています。

 

これは三国志演義だけではなく、

正史にも記述が残っています。

 

 

前漢の景帝(6代目皇帝)の息子に、

劉勝(りゅうしょう)という人物がいました。

劉勝は、中山靖王(ちゅうざんせいおう)に任じられています。

 

この劉勝の子孫が、劉備になります。

劉備の先祖が、涿県に移り住んだ理由

劉勝には、劉貞(りゅうてい)という息子がいました。

この劉貞が、涿県(たくけん)の陸城亭侯に任命されています。

 

ですが、この劉貞は、その地位を失っています。

 

 

ただ地位を失った後も、

そのまま涿県に住みついたというのです。

きちんと正史にも記録が残っています。

 

これが劉備が涿県に住んでいる所以だと思われます。

200年の空白

劉備の先祖と言われている劉貞の記述が、

正史にもきちんと記載はされているものの、

実はそれ以降の記録が全く残ってないんですよね。

 

その期間は、なんと200年!!

 

次に正史に出てくるのは、

劉備の祖父である劉雄(りゅうゆう)の話。

そして劉備の父である劉弘(りゅうこう)の話になります。

 

ちなみにその間の系譜なども何も残ってません。

ちょっと胡散臭さが出てますね。

まとめ

劉備は、漢皇帝の姓と同じ「劉」ですが、

劉貞より後の記録が欠けており、

次の記載が出るまで200年の空白があります。

 

確かに系譜も何も証拠は残っていない点から、

劉備が景帝の血を引いているというのは怪しいところがあります。

 

例えば新潟県で「上杉」という姓だから、

上杉謙信の子孫であると言っているようなものですからね(笑)

 

ただ200年という期間が開いたとはいえ、

否定ができないのも事実です。

 

没落すれば、

家系図など残ってないのは当たり前といえば当たり前の話ですし、

 

何より片田舎である涿県に景帝の子孫が移り住んで

息子・娘に自分達の先祖の事を伝えていっててもそれは自然な事です。

 

200年といえば長いように見えて、

長生きしてる人もいるだろうし、

そう考えると、200年なんてあっさり過ぎます。

 

よって、劉備は胡散臭さはあるものの、

前漢皇帝の血を引いてる可能性も十分にあると思われます。