劉備の益州攻略戦

劉備は、天下三分の計を叶えるべく、

劉璋(りゅうしょう)が統治していた益州に侵攻します。

 

その時、孔明は荊州を守る為に残り、

龐統(ほうとう)が軍師として、劉備に付き従います。

 

益州攻略をするにあたり、

まずは西川地域の攻略が必須でした。

 

この西川地域には、

劉璋の子である劉循(りゅうじゅん)と名将と言われた張任(ちょうじん)が守っていた雒城(らくじょう)がありました。

 

劉備は、

この雒城を攻略するべく攻めますが、

1年経っても落とすことができません。

 

そんな中、

予期せぬ事が起こってしまいます。

龐統の死

龐統と劉備は、雒城へ攻め入る際に、

別々の進路から攻め入る事を決定します。

 

 

攻め入る直前に、龐統の馬が暴れたため、

劉備の乗っていた馬を龐統に与えます。

 

そして、龐統が劉備と別行動を始めた後、

龐統が「落鳳坡(らくぼうば)」という地名の場所を通ります。

 

龐統は、「自分は、鳳雛と言われいるが、

鳳凰が落ちるとは縁起が悪い」と嫌な予感を覚えます。

 

最悪な事に、

この嫌な予感は的中してしまいます。

 

 

待ち伏せしていた張任軍が、

劉備の馬に乗った龐統を劉備と勘違いし、

一斉に矢をしかけます。

 

この流れ矢に当たって、

龐統は死んでしまいます。

 

孔明の到着

龐統が死んだ後の劉備軍は、

劉循・張任軍に押されていきます。

 

龐統が死に、

劉備が苦戦している事を知った孔明は、

急ぎ荊州から劉備のもとに駆けつけます。

 

 

そして孔明が到着し、作戦をたて、

雒城の南に位置する金雁橋(きんがんきょう)で張任を捕らえ、

その後、雒城を無事攻略しています。

正史から見る現状

これまで述べてきたことが、

三国志が好きな方なら知ってる大体の話だと思いますが、

 

ほとんどの方が演義の影響を受けて、

それが真実だと信じているのが現状です。

 

しかし、正史から見た場合は全く違います。

①龐統は落鳳坡で死んでいない

まず龐統は、落鳳坡で死んでいません。

普通に陣没しています。

②張任を生け捕ったのは龐統である

張任の策にはまり、

死んだ龐統に変わって孔明が劉備を助けに来るという点も違います。

 

そして、孔明が張任を生け捕ったという点も違います。

 

張任を捕らえたのは、龐統です。

龐統が、金雁橋(きんがんきょう)で張任を捕らえ、処刑しています。

③龐統と孔明は入れ替わりで入っていない

龐統が死んで、

孔明が入れ替わりで入ったように演義では描かれていますが、

 

実際は、劉備・龐統が雒城を包囲している時に、

孔明は雒城がある西川地域に入っています。

 

ちなみに劉循が守る雒城を、

攻略するのに1年以上かかっていますが、

 

龐統が死んだのは、

孔明が西川地域に入った後の話です。

④孔明は雒城攻略戦で指揮をしていない

雒城攻略に貢献したのはあくまで龐統であり、

孔明はまずこの戦いに参加していません。

 

あくまで益州を攻略する為に、

西川地域に入ったというだけです。

 

ましてや雒城攻略の為に指揮をしたなど、

もってのほかです。

まとめ

雒城攻略で大活躍したのは、

龐統であり、孔明ではありません。

 

演義の影響を受けている人が大半ですが、

正史では全く違います。

 

よって龐統が死んだ代わりに、

孔明が劉備を助けにきたというのはフィクションという事になります。

 

演義には演義の楽しさがありますし、

正史には正史の楽しさがあります。

 

「正史」と「演義」のどちらかではなく、

どちらも知る事で三国志の楽しさがより一層広がるのも、

三国志の魅力の一つです。