祖茂(そも)

祖茂は、孫堅に仕えた武将です。

三国志演義では、孫堅四天王の一人と数えられています。

 

祖茂以外の四天王には、程普・黄蓋・韓当が入っています。

 

 

祖茂は、孫堅四天王に数えられているにも関わらず、

正史に彼の記述はほとんどありません。

 

それに比べて、程普・黄蓋・韓当は、正史にも演義にも沢山登場しています。

今回の話は、そんな祖茂の数少ない記述の一つです。

孫家三代に仕えたオールラウンダー、程普

赤壁の戦いでの勝利の立役者「黄蓋」

韓当 -生涯戦場に身を置き続けた勇将-

徐栄との激突で、孫堅の身代わりに・・・

 

孫堅が反董卓連合に参加し、

董卓の家臣である徐栄に孫堅軍は蹴散らされます。

 

徐栄は孫堅を討ち取るべく追撃をしますが、ここで祖茂が登場するわけです。

 

 

孫堅は赤い頭巾をかぶっていましたが、

祖茂はその頭巾をかぶり、孫堅の身代わりになって逃亡します。

 

その後、徐栄に追い詰められそうになる祖茂ですが、

祖茂は馬から降りて、近くにあった柱に赤の頭巾を被せ、自らも脱出に成功しています。

 

ちなみに正史では徐栄から逃げ切っている祖茂ですが、

正史ではその後の出番がありません。

三国志演義での身代わりの描写

演義の方では次のように記載されています。

 

華雄の夜襲を食らって追われる孫堅の頭巾と交換し、祖茂は孫堅の身代わりに・・・

完全に徐栄の手柄を華雄にとられた形になっていますね。

 

 

華雄に追い詰めらてしまった祖茂ですが、

柱に赤の頭巾を巻いて近場に隠れ、華雄を待ち伏せします。

 

そして華雄がその頭巾に手をかけた瞬間に襲い掛かりますが、

あっさりと華雄に返り討ちにあって討ち取られています。

 

 

演義の方で祖茂が殺された理由の一つは、

正史でのこの後の祖茂の登場が全くなくなったために、

 

祖茂を華雄に討ち取られた事にしたのかもしれませんね。

華雄 -三国志演義で関羽の引き立て役になる為に史実以上の活躍を与えられた猛将-

その後の孫堅・・・(正史)

祖茂のお陰もあって無事に逃げ切れた孫堅は、

軍をきちんと立て直して、再度華雄との戦いに挑んでいます。

 

実際には華雄というか胡軫こしんが総大将であった為、

華雄との戦いというか胡軫との戦いというのが正しい所かなとは思いますが・・・

胡軫 -味方の呂布の嫌がらせで敗北させられた将軍-

 

そして胡軫軍との戦いの中で、

孫堅軍は華雄を討ち取って、胡軫軍を打ち破っています。

 

また孫堅軍の勢いはこれで止まることはなく、

その後勢いに乗った孫堅軍は洛陽入城まで果たしています。

その後の孫堅・・・(三国志演義)

三国志演義では華雄の部下として胡軫が登場していますから、

華雄は大抜擢された事になります。

 

一方の胡軫は「チーン(南無)」ってな感じになってしまってますが・・・

 

また華雄の部下に成り下がった胡軫は、

祖茂と同じく孫堅四天王の一人であった程普に討ち取られています。

 

 

ちなみに三国志演義での孫堅にとって最大の屈辱は、

 

華雄に敗れてしまった描写がされた孫堅に代わって、

最終的に華雄を討ち取ったのが関羽だったという点でしょう。

 

 

関羽の強さを見せつけるために、

 

本来であれば華雄を討ち取った孫堅軍は華雄に散々負けて終わっていますから、

リベンジも何もあったものではないですね。

 

またおまけのような感じで、

祖茂は孫堅の身代わりになって完全に死んだことにされてるし・・・