朱治(しゅち)

朱治は、当時勢いがあった孫堅に仕えています。

反董卓連合が結成されると、孫堅らと共に董卓・呂布らを撃退し、

洛陽へ入城を果たします。

 

孫堅が劉表配下の黄祖との戦闘中に命を落とした後は、

息子の孫策を補佐し、袁術の元へ落ち延びます。

 

これによって孫堅軍は、

袁術に完全に吸収される形になってっしまいます。

 

 

しかし、袁術が皇帝を名乗ろうとすると、

孫策は袁術に止めるように進言しますが聞き入れられませんでした。

 

そんな時に、朱治は孫策に対し、

江東を平定して孫策の基盤を手に入れて独立するように助言します。

 

孫策は朱治の言葉に納得し、江東を平定し、

袁術から独立する機会を伺います。

 

 

この時期に、曲阿の地域にいた孫策の一族を守る為に、

朱治が迎えを寄こして、将来の憂いを取り除きます。

 

これによって

朱治は孫策の一族から信頼されるようになります。

孫策の独立

孫策の叔父である呉景(ごけい)が、

劉繇と敵対すると、叔父を救う為に出陣する事を袁術に願い出ます。

勿論ですが、これは江東平定する為の口実でした。

 

これが聞き入れられ、

孫策は江東平定に向け出陣します。

 

兵力は1000人程度と少なかったものの、

孫堅にも仕えていた黄蓋・程普・韓当・朱治がいました。

そして孫策と親友であった周瑜が参加します。

孫策の親友&孫権から兄と慕われた周瑜

 

まずは劉繇を撃破し、

破竹の勢いで江東を平定していきます。

 

江東の大部分を平定した事で、

孫策は袁術からの独立を成し遂げます。

孫策が苦労の末に、自分の地盤を持てた瞬間でした。

 

しかしここで孫策が許貢(きょこう)の刺客により襲われ、

この時の傷がもとで死んでしまいます。

孫権の時代

孫策の跡を継いだのは孫権でした。

朱治は一生懸命に孫権を補佐していきます。

 

そしてこれまでの功績により、

202年、朱治は正式に呉郡の太守に任命されています。

 

 

朱治は富貴を極めても、

一切調子にのることもなく、質素倹約に努めています。

 

特に目立ったような活躍は見られなかった朱治ですが、

孫権は、国の為だけに粉骨する朱治の姿を見て、

朱治をいつも褒め称えていたそうです。

 

そして孫権が呉王になってからも、

朱治がやってくると、孫権自ら朱治を迎えたというほど、

孫家を支えてくれてた朱治に礼を欠くことはありませんでした。