田豊(元皓)

田豊は若い時から博学多才で、後漢に仕官します。

 

しかし後漢末期は、宦官の専横により、

賄賂が横行し、世の中が乱れていました。

 

それに嫌気が差した田豊は、職を辞して、

郷里に引っ込んでしまいます。

 

 

その後の田豊は、

冀州を治めていた韓馥(かんふく)に仕官します。

 

しかし田豊は、才能があったにもかかわらず、

韓馥から疎んじられてしまいます。

 

そんな中、袁紹が韓馥に圧力をかけられると、

韓馥は冀州を譲ってしまいます。

 

この時、田豊や沮授ら多くの元家臣は、

袁紹に仕えることになりますが、

韓馥家臣だった耿武・閔純だけは袁紹を暗殺しようと企てます。

 

それを知った袁紹は、田豊に命じて、

二人を討ち取らせています。

曹操に求められ、袁紹への忠誠を貫いた沮授

 

192年、袁紹と公孫瓚が、界橋で激突(界橋の戦い)すると、

麴義(きくぎ)が公孫瓚の騎馬隊を打ち破り、

公孫瓚の本拠を落とすことにより、この戦いは袁紹軍の大勝利に終わります。

 

ちなみに麹義は元韓馥の家臣で、田豊と同じく、

後に袁紹に仕えた武将です。

 

しかし勝って油断していた所に、

公孫瓚の騎兵部隊が襲い、袁紹は窮地に立たされます。

 

田豊は、袁紹を守る為に隠そうとしますが、

「何故隠れないといけないのだ!」と被っていた兜を投げ捨てて、

 

その場で踏みとどまって奮闘し、

なんとか公孫瓚の騎兵部隊を追い払っています。

 

この時から田豊と袁紹の間に、小さな亀裂が発生してしまいます。

 

そして田豊の策略もあり、

199年に袁紹は公孫瓚を滅ぼし、領土を拡大します。

田豊を活かせなかった袁紹

蒼天航路(13巻168P)より画像引用

 

曹操が献帝を擁立すると、

田豊は何度も曹操を攻めて、献帝を擁立するように進言します。

しかし、何度田豊が進言しても、袁紹は聞く耳を持ちません。

 

そんな折に、曹操が徐州の劉備打倒の為に出陣すると、

曹操を倒すのは今しかないと袁紹に進言します。

 

しかし袁紹は、

「今子供(袁尚)が病気なので、それどころではない」

といった理由で田豊の進言を一蹴しています。

 

それを聞いた田豊は、

「今ならば曹操を滅ぼす事も可能なのに・・・」

と心から嘆いたそうです。

 

 

そしてその翌月、

子供の病気が治ったことで心配がなくなった袁紹は、

曹操討伐の為にやっと重い腰を上げます。

 

しかしその時には、曹操は劉備を蹴散らし、

準備を整えていまいた。

 

田豊は、今のタイミングで戦争を反対します。

また曹操と対決するにしても、今は持久戦と取るべきだと主張します。

 

しかし、「そんな弱気な事を言っては我が軍の士気が落ちるわ!」

と袁紹に激怒され、田豊は投獄されてしまいます。

 

そして曹操と激突した袁紹ですが、

官渡で大敗を喫してしまいます。

 

袁紹が大敗をしたことを知った田豊は、

「もし袁紹殿が勝利していれば、生き延びれたかもしれないが、

自分が言った通り負けてしまったからには、自分を許さないだろう。

これで私の運命は決まった」といったそうです。

 

田豊の予想した通り、

後日、袁紹は田豊を殺害してしまいます。

 

ただ、袁紹が田豊を殺害したのは、

田豊と非常に仲が悪かった逢紀の讒言が原因だとも言われています。

三国志演義での田豊と獄吏のやり取り

官渡の戦いに負けた後、獄吏が田豊に言います。

「田豊殿が言われた通りの結果になったので、

袁紹様が帰還されれば、田豊殿は重用されるでしょう」

 

田豊は答えます。

「袁紹様は、寛大に見えて、実際は嫉妬深い人物だ。

もし戦いに勝利していれば、生き延びられる可能性もあったが、

負けてしまったからには、私の殺されるだろう」

 

そして袁紹からの使者が届くと、

「主君を誤ってしまったことが最大の無知であり、

それが今日という日を迎えてしまった」といって自害しています。

田豊の評価

曹操は、袁紹に官渡で大勝していますが、

袁紹が戦いに田豊を連れてこなかったのを知ると、

曹操は勝利を確信したそうです。

 

また曹操はこうも語っています。

「袁紹が一つでも田豊の言葉に従っていたならば、

自分と袁紹は逆の立場にになっていただろう」と・・・。

 

実際に勝ち目がないぐらいに、

袁紹と曹操の兵力差はあったのも事実でした。

 

結局は家臣の声に耳を傾けた曹操&傾けなかった袁紹、

そこが二人の明暗を分けてしまいました。

 

 

正史に注釈を添えた裴松之(はいしょうし)は、

「田豊が仕える主人を誤ってしまったから、

忠義を尽くしたにもかかわらず、死ぬ運命から避けられなかった」と

田豊を高く評価しつつも、その死を惜しんでいます。