司馬炎&一万人の女性

司馬炎の後宮には、五千人の女性がいました。

 

もともと司馬炎はある時に後宮に入れる女性を探す為に、

一定期間結婚禁止令を出し、

 

 

自分の目にかなった女性を次々に後宮にいれたのでした。

 

「そして気が付けば、その数が五千人に達した」

という感じになります。

 

 

 

司馬炎は魏を滅ぼして晋を建国した初代皇帝ですが、

280年に呉の孫晧を降して天下を統一します。

 

この時に孫晧の後宮にも五千人の女性が囲われていたのです。

 

司馬炎は孫晧の後宮にいた五千人の女性を、

そのまま自分の後宮にまとめてしまったわけですね。

 

これにより司馬炎の後宮の女性は、

「一万人に達した」という流れですね。

一万人の女性&羊

天下を統一した司馬炎は、

女性と毎日遊びふける生活を送っていました。

 

毎日一人の女性の寝所に足を運ぶわけですが、

途中から司馬炎は訪れる女性をに選ばせるようになったといいます。

 

 

これがどういうことかというと、

司馬炎は羊に乗って後宮を移動するわけですが、

 

気紛れに羊が足を止めた女性の部屋へ入るといった趣向でやっていたのです。

 

 

司馬炎の中では、

「とりあえず誰でもいいから・・・」

という感覚だったのでしょう。

 

基本的に後宮にいるほとんどの女性が何かしらの魅力のある女性だったでしょうから、

見た目上は似たような美人も多かったと思いますしね。

女性達の作戦(盛り塩の由来)

女性達は司馬炎が、

自分の部屋の前で足を止めてくれるように色々と考えていたようです。

 

その中で効果が高かったのが、

「羊が好きな塩を置いておく」というものでした。

 

また「塩と一緒に竹の葉を添える」

と尚良かったと言います。

 

なぜ「塩」と「竹の葉」なのかというと、

羊は竹の葉を食べ、かつ塩をなめる為に一時足を止めるからですね。

 

 

これが盛り塩の始まりだと言われています。

別にもある中国の盛り塩の由来(始皇帝)

天下統一を成し遂げた始皇帝が、

三千人の女性の中から夜を共に過ごす女性を選ぶときに、

 

 

「私自身を選んでくれるように・・・」

と考えた賢い女性が、「家の前に塩を置いていた」といいます。

 

 

なぜ塩を置いたかというと、始皇帝は女性の元を訪れる時、

牛に車を引かせていたからです。

 

つまり牛車に乗って、女性の元へと訪ねていたわけです。

 

 

そして「塩が好きな牛が足を止めてくれる」

というからくりなわけです。

 

まぁ司馬炎の羊と同じで、単純に羊か牛の違いになりますね。

水商売(夜のお店)と盛り塩

水商売や夜のお店には、

盛り塩を置かれている事が多々あります。

 

 

これは司馬炎の例にあやかり、

「人寄せのための縁起担ぎ」としておかれています。

 

「商売繁盛」といった意味合いが強いわけです。

 

 

お祓いなどで使われる塩とは、

意味合いが全く違うわけで、

 

店に塩がおかれていると、良からぬ方に勘違いする人がいたりしますが、

あくまで「商売繁盛の為の盛り塩」という場合が大半なのは覚えておきましょう。

 

 

最近では水商売や夜のお店だけに関わらず、

普通のお店でも「盛り塩」がされることもだいぶ増えてはいますね。