鄒氏(すうし/張済の未亡人)

鄒氏はもともと張繍の叔父にあたる張済の妻でしたが、

 

張済が亡くなった後は未亡人になり、

張繍がいる宛に身を寄せていました。

 

鄒氏は豊麗で怪しい雰囲気を持っており、

絶世の美女だったといいます。

 

その為に張繍は鄒氏の面倒を見てる中で、鄒氏のことが気になっていったようですけど、

叔父の妻だったことが足枷となっていたみたいですが・・・

 

 

 

 

そんな事情などおかまいなしに、

宛城を攻略すべく曹操が攻め込んできます。

 

張繍は賈詡かくの助言を聞くと、賈詡は次のように献策します。

「一旦曹操に降伏して機会を待つように!」と・・・

 

張繍自身も賈詡の献策に首を縦に振り、曹操に降伏する事を決定しました。

 

 

そして張繍の降伏を許した曹操は宛城へ入城するのですが、

そこで出会ったのが鄒氏でした。

 

曹操は鄒氏を一目見て大変に気に入り、

鄒氏を妾(愛人)にしてしまいます。

 

曹操は未亡人なんて気にする男じゃありませんし、

むしろ未亡人好きといった方が正しいかもしれません。

 

呂布を滅ぼした時の杜氏などは良い例でしょう。

関羽と曹操に愛された女性、杜氏(とし)とは? 〜関羽から横取りして杜氏を奪った曹操〜

 

元々誰かの妻だった女性を、

自分のものにできる優越感みたいなものが曹操の中にあった可能性はありますね。

 

 

ちなみに息子の曹丕の甄氏(袁尚の元妻)を即座に自分の妻にしたりと、

父親である曹丕同様に似たような所もあったり・・・

蒼天航路(10巻26P)より画像引用

 

 

この曹操と鄒氏の関係は、自然と張繍の耳にも入ってきます。

 

これを聞いた張繍は激怒し、

賈詡と相談した結果、油断している曹操を討ち取る計画を立てます。

 

そして不意打ちは見事に成功を収めることとなります。

これによって曹操軍は壊滅的被害を受けてしまったわけでして・・・

 

 

曹操は命からがら絶影(愛馬)に乗って、

なんとか逃げることに成功するものの、

 

この時に曹操の長男であった曹昂そうこう

曹操の弟の子である曹安民そうあんみん身近なものを失っただけでなく、

 

豪傑として知られた典韋までも失ってしまったのでした。

鄒氏の最期

蒼天航路(10巻114P)より画像引用

 

これには大きく二通りの説があります。

 

一つ目曹操を虜にしたほどの女性をこのまま生かしておけば、

後々良い事など何もないと判断した曹昂によって斬り捨てられたというものです。

 

 

二つ目は張繍が鄒氏を許すことができず、

斬り捨てたというものですね。

 

 

張繍の場合は、密かに恋心を抱いていた鄒氏が、

敵である曹操のものとなった恨みもあったのでしょう。

 

まぁどちらの説でも鄒氏は斬り捨てられたわけですが、

鄒氏からしてみれば理不尽にもほどがあるといったところでしょう。

 

 

ただ張繍が叔父の元妻を自分のものとしていたとしたら、

色々と批判を浴びていたでしょうけどね。儒教的にも・・・

 

なので曹昂ならまだ気持ちも分かりますが、

張繍は当時の道徳的にもありえなく、その上身勝手すぎるので論外としたいところです。

鄒氏は本当に絶世の美女だったのか?

曹操を虜にした鄒氏は絶世の美女だったという設定の作品は多いですが、

 

「実際に絶世の美女だったのかどうか?」

という記載は正史に残っていません。

 

なので案外普通レベルの女性だったかもしれませんし、

驚くほどの美女だったのかもしれませんけど、完全に不明ですね。

 

 

 

ただ鄒氏という女性に尾びれがつきまくって、

 

後世の人々が、

「人を惑わすほどの絶世の美女」

として作り上げていった可能性は十二分にあると思います。

 

ただ一つだけ間違いないことがあり、

曹操が鄒氏を気に入って妾(愛人)にしたという事実ですかね。

 

 

ただここで一言だけ言っておかないといけないことがあります。

そもそも正史に鄒氏という名前は登場していないという事実ですね。

 

ただ名前が「鄒氏」でないだけで、

張済の未亡人としての話は普通に残っているというのが正確な所です。

 

 

そして未亡人にうつつを抜かしたから張繍に敗北したとも書かれていません。

 

あくまで、「油断してしまった。

次からはきちんと夜襲に備えるぞ!」

としか・・・

 

単純に張繍を信用しすぎただけだった可能性も十二分にありますしね。

袁宏が著した「後漢紀」/美人である記載がある

一応鄒氏の美人説に補足を加えておくと、

陳寿が著した「三国志」より少し後の時代である東晋時代に、

袁宏が著した「後漢紀」というものがあります。

 

 

この「後漢紀」には、

「張済の妻が美人だった」という記載が残っています。

 

名前こそはここでも不明ですが、普通に考えて鄒氏の事だと思います。

「春正月、曹操征張繡、繡降。其季父済妻、国色也、操以為妾。」

曹操の払ったもう一つの代償(丁夫人との離婚)

蒼天航路(10巻154P)より画像引用

 

多くの将兵を死なせてしまった事もさることながら、

 

やはり宛城の戦いでは、曹昂・曹安民・典韋を宛城で失ってしまった事が、

曹操にとって大きな痛手であったことは間違いないでしょう。

 

 

そして長男であった曹昂を失った事で、

正妻であった丁夫人との関係も悪化してしまいます。

 

丁夫人は曹昂の育ての親でもあり、

目に入れても痛くないような存在だったわけです。

 

それなのに曹操の油断のせいで死なせてしまったことで、

曹操に愛想をつかしてしまうのです。

 

またそれに止まらず、激怒した挙句に実家に帰郷してしまったのでした。

 

 

ただここで注目してほしいのは、

曹昂を死なせたことに激怒しているだけであって、

 

「貴方が女にうつつを抜かしたせいで、

可愛い息子が死んでしまった!」なんてこは一言も言っていない点ですね。

 

 

また帰郷した後の話にも続きがあり、

曹操はその後しばらくして丁夫人の家まで訪ねたようです。

 

「そろそろ私の所に戻ってきてくれないか?」

という言葉とともに・・・

 

ただ丁夫人は、曹操の言葉にまったく聞く耳を持たなかったといいます。

 

 

これにより曹操と丁夫人は、

完全に離婚することになってしまったといいます。

結論:鄒氏は何も悪くない

鄒氏は夫を失って、

未亡人の時に曹操に出会ったわけです。

 

そんな時に曹操に誘われ、鄒氏も曹操の愛人になるわけなので、

張繍や曹昂に何かを言われる筋合いはないわけです。

 

浮気をしてたわけでもなく、一人の女性として恋愛をしただけの話です。

 

 

それも相手は力を持っていた曹操となると尚更だと思います。

 

この時代の女性の価値は、

一つの戦利品みたいな立ち位置であったのも事実ですから・・・

 

 

それなのに「全てはお前のせいだ」と言わんばかりに、

曹昂であれ、張繍であれ、無慈悲に斬り殺されてるわけですからね。

 

まさに鄒氏のような女性を「悲劇のヒロイン」いうのでしょう。