荊州の関羽と激突

荊州を任されていた関羽が、

曹操に戦をしかけてきました。

 

樊城(はんじょう)を守っていた曹仁(そうじん)は、

関羽の水攻めによって、

 

場内が水浸しの状態になっており、

完全に包囲されていました。

 

また、

救援に来た于禁(うきん)も捕らわれ、

龐徳(ほうとく)は処刑され、

 

曹操軍は悲惨な状態に陥っていました。

 

関羽の快進撃はものすごく、

曹操の本拠としていた許都から遷移を考えたほどでした。

徐晃出撃

関羽に対応すべく、

 

まずは関羽の背後を襲う為に、

呉の孫権を動かします。

 

またこちら側からも、関羽を撃退すべく、

徐晃(じょこう)を差し向けます。

 

 

徐晃が樊城に到着すると、

完全に関羽によって幾重にも包囲されている状態でした。

 

これを見た徐晃は、

凄まじい勢いで一気に駆け抜け、

包囲網を打ち崩し、樊城まで到着します。

 

これにより、

関羽の包囲網は崩れ去ります。

曹操、徐晃を大絶賛!

徐晃の突撃に対して、

「徐晃のように、長い距離を一気に突破し、

包囲網を破った者など、今まで一度たりとも聞いたことがない」

と曹操は徐晃を大絶賛します。

 

それぐらい衝撃的な突破だったのです。

 

曹操が徐晃に対して放ったこの言葉が、

「長駆(ちょうく)」の由来になっています。

 

そして大きな功績を挙げたにも関わらず、

徐晃は冷静沈着にしていたようです。

褒めたらない曹操の言葉の追撃

徐晃を絶賛していたにも関わらず、

まだ褒めたらない様子で、

 

「徐晃には、

周亜夫(しゅうあふ)の風格がある」と続けて言います。

周亜夫とは、

劉邦の元で大活躍した周勃(しゅうぼつ)の子供で、

呉楚七国の乱を鎮圧した名将のことです。

 

役職は、

丞相の位まで上がっていますが、

 

最終的に失脚させられ、

最後悲惨な運命を辿った人物でもあります。

 

今回の徐晃の突撃は、

曹操がべた褒めするぐらい衝撃的な突撃だったのでしょうね。