司馬懿(仲達)
司馬懿は、司馬防(しばぼう)の次男として
司州河内郡(かだいぐん)に誕生します。
そして司馬懿の才能は、幼い頃から開花していき、
神童として司馬懿の名は広まっていきます。
彼の兄である司馬朗(しばろう)は、
曹操に仕えていましたが、結果的に司馬懿も曹操に仕えることになります。
しかし曹操に出会ってすぐに仕えたのかというとそうではなく、
曹操へ仕官する事を拒み、しばらくして仕官しています。
その理由も「曹操に仕えたい!」といったものでもなく、
仕方なく仕えたといった感じでした。
荀彧の推薦
司馬懿が曹操に曹操は袁紹を官渡の戦いで破り、
勢いに乗っていた時期で、これまで以上に各地の優れた人物を重用していました。
その中で荀彧によって
201年、司馬懿は曹操に推挙されます。
曹操が司馬懿に出仕するようにいいますが、
司馬懿は漢王朝が衰退している現在、
曹操に仕える事をいさぎよしとしませんでした。
司馬懿が出仕を断った事を曹操が知ると、
司馬懿が仮病を使って出仕しなかったと曹操は思うわけです。
馬鹿にされたと判断した曹操は、
刺客を放って、司馬懿の寝所に忍び込ませます。
もちろん本当に殺すのが目的ではなく、
もし剣を向けられたのに気づき逃げるようなら殺していい。
しかしそういうそぶりがなかった場合は、
仮病ではないので殺さなくていいといったものでした。
司馬懿は、誰かが忍び込み、
自分に対して剣を向けられた事に気づきましたが、
全てを察したように司馬懿は全く動きもせず、命は取られずに済みます。
曹操に仕官する
それから7年の月日を経た208年、
曹操は司馬懿の才能を諦めきれず、強制的に司馬懿を誘います。
さすがにこれ以上断り切れないと思った司馬懿は、
仕方なく曹操に仕えることになり、
曹操の元で、頭角を現していくことになります。
また「太子中庶子」を任せられ、
太子の曹丕から大きな信頼を寄せられるようになっていきます。
曹丕の右腕的存在
曹操がこの世を去り、
曹丕の代になると司馬懿は更に重用されていきます。
曹丕が「私が東へ赴いた時に西側で問題が起こった際は、
司馬懿に対応して欲しい。私が西にある時も同様に。」といったように、
曹丕にとってなくてはならない存在でした。
その為、曹丕の友と呼ばれた人に、
陳羣(ちんぐん)・呉質(ごしつ)・朱鑠(しゅしゃく)がいますが、
司馬懿もその中に含まれ、四友と呼ばれるほどの信頼ぶりでした。
また曹丕が死ぬ間際、
曹真・曹休・陳羣・司馬懿に曹叡の補佐を任せています。
曹操に喉から手が出る程求められ、
曹丕によって絶大な信頼を寄せられた司馬懿によって、
最終的に魏滅亡の原因を作ってしまったとは皮肉な話ですね。