出師の表

「出師の表」とは、諸葛亮(孔明)が魏を倒す事を決意し、

北伐を開始する前に劉禅に上奏したものです。

 

そこには国を愛し、劉備の漢王朝復興の願いを叶えるべく、

孔明の決意が示された文章が書かれてありました。

 

またこの出師の表のことは、三国志正史にもきちんと記載されています。

横山光輝三国志(49巻175P)より画像引用

 

そしてこの出師の表は、大きく二つの構成で成り立っています。

それぞれに紹介すると以下のような感じです。

 

 

一つ目の構成は、

現在の蜀の状況とそれを打開させる方法でした。

  • 国は魏呉蜀に分かれており、蜀が人口的にも兵力的にも劣っている
  • 魏を討たないと、将来蜀は滅んでしまう
  • 郭攸之(かくゆうし)・費禕(ひい)・董允(とういん)・陳震(ちんしん)・張裔(ちょうえい)に内政を任せる
  • 向寵(しょうちょう)を軍事面で用いる
  • 優れた人を重用して、取るに足らない人を遠ざける
  • 優れた人を重用いた前漢は栄え、取るに足らない人を重用した後漢は衰退した

 

次に二つ目の構成を見てみると、

そこには劉備に対する忠誠と漢王朝復興を成し遂げたい決意が記載されています。

  • 劉備が三顧の礼をもって孔明自身を迎えてくれた
  • 劉備が死ぬ間際、蜀の後事を任された
  • 南蛮族の反乱など南方の憂いが無くなった
  • 呉との友好も結びなおし、蜀の軍備も十分に整った
  • 今が中原を平定し、後漢の都であった洛陽を取り戻す絶好の機会である
  • 漢王朝を復興させることが劉備の恩に報いることであり、劉禅に忠義を尽くすことである

 

 

そして最後に孔明は、次のように締めくくっています。

「孔明は劉備から受けた恩を思い出すだけで胸がいっぱいになり、

 

これらの思いを今述べているだけで、

涙がとめどなく溢れ出てしまい、これ以上言葉になりません」と・・・。

 

この孔明の出師の表は、代々中国で受け継がれており、

これを読んで涙しないものは不忠者であると言われるほどでした。

第一次北伐の結果

出師の表を劉禅に上奏して北伐に向かった孔明は、

天水・安定・南安の三郡を落としますが、

 

馬謖が街亭の戦いで張郃に敗れたことが決定打になり、

第一次北伐は失敗に終わってしまいます。

 

この戦いで姜維という人材を得た事は蜀にとって大きなプラスであり、

仕方なかったとはいえ人材不足の中で、馬謖を斬った事はマイナスであったと思われます。

泣いて馬謖を切る

後出師の表

 

後出師の表は、第一次北伐が失敗に終わり、

第二次北伐をしようとした際に上奏されたものとされています。

 

内容は次のようになっています。

  • 劉備の願いであった魏討伐を成し遂げる
  • 魏と蜀の国力の差は大きく、魏を滅ぼさなければ蜀が滅ぼされてしまう
  • 黙って滅亡を待つぐらいなら、魏討伐に向けて先手を打った方がいい
  • 国力の差があっても、最善を尽くせば、結果はどうなるか分からない

 

 

ただこれは三国志正史に残っているものではなく、

呉の政治家である張儼(ちょうげん)の「黙記」に記載が残っているのが今に伝わっています。

 

ちなみに張儼は「黙記」の他に「張儼記」も記載していますが、

後出師の表の事を書いてるのは黙記のみになります。

「後出師表」の元ネタとなる「黙記」を著した張儼

 

 

またこの二つの著書は長らく子孫に伝えられていましたが、

今では無くなってしまっています。

 

その為に本当に諸葛亮が上奏した者かどうかは、今でも定かではありません。

 

 

また無くなったのだけが理由ではなく、

後出師の表には矛盾点も多く記載されており、

 

そういう点からも諸葛亮が実際に上奏したものではないというのが考えとしてあるようです。

第二次北伐の結果

横山光輝三国志(53巻112P)より画像引用

 

第二次北伐では、第一次北伐と違うルートで長安へ迫ろうとします。

 

その際陳倉城を攻略して進もうとしますが、

郝昭(かくしょう)が1000人程度で守っていました。

 

兵力的に圧倒的に有利であり、

 

雲梯・井闌・衝車など多くの攻城兵器を使って攻めた孔明ですが、

郝昭が守る城を二十日経っても落とすことができませんでした。

 

そうこうしてるうちに蜀軍の食糧が底をついてしまい、

 

また第一北伐で馬謖を街亭で破った張郃が援軍にきている情報が入った事で、

これ以上戦う事の無意味さを考えて孔明は撤退しています。

まとめ

 

今回は孔明にまつわる

「出師の表」と「後出師の表」について話してみましたが、

 

「出師の表」は正史にもきちんと残る文章で、

かつ名文として今に伝わっています。

 

 

もう一つの「後出師の表」は正史に記載が見られず、

矛盾点や疑問点も多い事から、

 

上でも記載したように孔明の上奏した文章ではなく、贋作・創作だという考えが強いようです。

 

しかし確固たる資料も残っていない為、現在も決着は見られていません。

 

 

ただ一つだけ言える事は、

「出師の表」「後出師の表」のどちらにも、

 

「孔明が劉備の恩に報いて、

魏討伐を成し遂げて漢王朝を復興させたい」と気持ちと

「劉禅に忠義を尽くしたい」という気持ちが強く込められたものになりますね。

 

 

孔明が今も多くの人に愛されている一つの理由だと思います。