樊氏(はんし/未亡人

赤壁の戦いで、劉備・孫権軍が曹操に勝利すると、

 

劉備は曹操が支配する荊州南部の四郡を攻め落としにかかるわけですが、

この時に桂陽けいようを治めていたのが趙範という人物でした。

 

 

荊州南部四郡&太守

 

 

この桂陽を攻めるように命じられたのが趙雲でした。

しかし趙範は劉備と戦う気がなく、あっさりと降伏してしまいます。

 

この時に未亡人であった樊氏を、趙雲に強く薦めたのが降伏した趙範でした。

 

ちなみに樊氏は絶世の美女であり、

「天下に女性は沢山いるが、樊氏は大変な美人だった」

との記録が正史にもわざわざ残っているほどです。

 

 

実際女性で「美女」という言葉が正史に残ってる人物はほとんどいないのが現状で、

孫策・周瑜に嫁いだ大喬・小喬など限られたほどだけです。

 

絶世の美女と数えられた貂蝉ちょうせんなんかは、

そもそも実在した人物でもありませんので話は別ですね。

 

ただこの言い方は正確ではなく、

董卓の侍女と呂布が密通していたのは事実で、その女性の名前が分かっていないだけで、

 

曹操を魅了した鄒氏と似たような立ち位置の女性になります。

 

 

 

樊氏はもともと趙範の兄嫁でしたが、

夫が亡くなると、誰とも再婚せず独り身の状態ということもあり、

 

趙雲にとっても樊氏にとっても良かれと思って紹介したわけですが、

趙雲は樊氏との縁談を丁寧に断っています。

 

 

趙範が「何故に断られるのですか?」と尋ねると、

 

「お互いに趙姓だから、

趙範殿の兄ならば私にとっても兄のようなものだ!」

と趙雲は返答したのでした。

 

 

でもこれって結構無理があって、

「姓」が同じだけで親族になるなら、恐ろしい事になりますから・・・

 

まぁ趙雲にとって、丁重な断り文句だったのでしょうね。

樊氏との縁談を断った理由

横山光輝三国志(28巻78P)より画像引用

 

樊氏との縁談を断った趙雲ですが、

その理由が気になって趙雲に尋ねてみた者がいました。

 

そうすると趙雲は、

「趙範はこちらが攻めてきたから、

仕方なく降伏した相手である。

 

だから趙範が、

心の中で何を考えているかわかったものではない!

 

それに樊氏が美女とはいえ、

女なら他にも沢山いるから樊氏に拘る必要もない!!」

といったそうです。

 

 

たんたんと書かれてある内容ですが、

樊氏がどこかで聞いていた可能性も少なからずある気がします。

 

もしも趙雲が断った理由を樊氏が聞いていたとするなら、

相当なショック受けたと思いますね。

 

「女性なら誰でも一緒だ!」と言ってるのと同じですから・・・

 

 

その後、樊氏が正史に出てくることはありません。

三国志演義での樊氏

横山光輝三国志(28巻79P)より画像引用

 

上で述べた趙雲と趙範の逸話は、

三国志演義でも正史と似たような形で登場しています。

 

ただ三国志演義の話では、趙範は趙雲と同じ姓という理由だけで、

義兄弟の契りを結んでいるんですけどね。

 

 

そして未亡人であった樊氏を紹介するんですが、

「兄嫁を人に薦めるとは犬畜生にも劣るやつめ!」

なんて言われただけでなく、

 

趙範は趙雲にボコボコに殴られる始末・・・

 

 

横山光輝三国志(28巻98P)より画像引用

 

趙雲と趙範のトラブルを聞いた劉備が、

「趙雲は何故に美女が嫌いなのだ!?」と聞いたといいます。

 

これに対して趙雲は、

「私だって美女が嫌いなわけじゃないのです。

 

ただ征服したばかりの桂陽の地で、私が趙範殿の兄嫁を貰ったとかなると、

劉備様にとって良からぬ噂が立つこともありましょう。

 

まだこの地では、劉備様の徳も行き届いていませんし、

そういった行為は控えるべきだと考えたのが理由になります。」

と答えています。

 

 

またそれでも劉備は、

「自分自身が仲人になろうか?」と話を続けますが、

 

「天下に女性は山ほどいますし、

妻がいなくても武士の務めは果たせますのでお気遣いなく!!」

と頑固なまでに樊氏との縁談を拒否しています。

何故に趙範は曹操に樊氏を薦めなかったのか?

趙範は事実上曹操に仕えていた身ですし、

趙雲と樊氏が破談してからは、気まずくなったこともあり逃亡したとあります。

 

普通に考えれば曹操がいる北方に逃げたと考えるのが普通だと思いますが、

その後の趙範と樊氏の行方は完全に不明となってます。

 

 

ただそもそもの話として、劉備の一臣下である趙雲にではなく、

普通に樊氏を曹操に薦めていれば、すぐにでも曹操の側室に迎え入れられた気もします。

 

美人な上に未亡人ですから・・・

 

 

そして趙範の思惑通りに樊氏と曹操が結ばれれば、

趙範は曹操の外戚になるわけですから、自然と出世する可能性も増したでしょうしね。

 

まぁそもそもが劉琮が曹操に降伏した後に、

曹操に緊急的に太守に任じられたのが荊州南部四郡の者達だと思っているので、

 

樊氏を曹操に紹介するといった機会がなかったというのが正しい所かもしれません。

とりあえず趙範の正史でのデータがあまりになさすぎますね。

三国志演義で描かれた樊氏の三つの条件

横山光輝三国志(28巻77P)より画像引用

 

三国志演義では、

樊氏が夫に求める条件というものがりましたが、

 

あからさまに趙雲を狙い撃ちしたような条件で次のようなものでした。

 

  • 天下に名前が響き渡っていること
  • 前の夫と同じ「趙」の姓であること
  • 文武に優れていること

 

 

普通に考えてそんな人物は簡単にいません。

むしろ趙雲以外いないと言ってもよさそうなほどの条件です。

 

そもそもそんな条件を出す未亡人なんて、逆に怖いです(笑)

明らかに性格に色々と問題があるのは間違いなさそうですから・・・

 

 

三国志演義でもこれ以降に樊氏が登場することはなくなりましたが、

この条件を最後まで貫いていたとしたら、間違いなく未亡人のまま生涯を終えたでしょうね。

 

趙雲と樊氏が結婚する京劇「龍鳳呈祥」

 

京劇とは、中国の伝統的な古典演劇のことであり、

その京劇の中の龍鳳呈祥りゅうほうていしょうで、趙雲と樊氏が登場しています。

 

ちなみに樊氏は、樊玉鳳はんぎょくほうという名前で登場しています。

設定は正史や演義と同様に、趙範の兄嫁で未亡人です。

 

 

趙雲が桂陽城に迫ると、樊玉鳳の助言を受けて、

趙範は戦う事もなく降伏しています。

 

 

そして同じ姓であることを理由に、

趙雲と趙範は義兄弟の契りを結ぶことになるんですが、

 

その後に趙範が、樊玉鳳を趙雲に何度も勧めてきます。

 

あまりに勧められて怒りを覚えた趙雲は、

「義兄弟の姉と結婚なんて普通に考えておかしいだろ!」といい、

桂陽城を再度攻めています。

 

 

ただここでちょっとした疑問が浮かんでくるわけです。

 

「桂陽城を再度攻めたといいますけど、

趙範は既に降伏していますし、

もう趙雲や率いていた兵士は城の中にいたのでは!?」

って正直思ってしまいました。

 

「それか断った時点で、

趙範をその場で捕らえたらよかったのでは?」

とも思ったり・・・

 

 

まぁこれ以上は、趙雲と樊玉鳳の馴れ初めに関係ないので、

話を先に進めたいと思います。

 

 

 

この時に趙雲の前に立ちはだかったのが、

鎧をまとった樊玉鳳だったのです。

 

趙雲と樊玉鳳はお互いに敵として戦う事になるのですが、

戦っている最中に趙雲が樊玉鳳に惚れてしまいます。

 

「どうしてそうなったのだろう」

と思わずにはいられない展開・・・

 

 

そしてタイミングを見計らったかのように、

劉備と諸葛亮が二人の前に登場し、

 

二人は戦ってる趙雲と樊玉鳳をなだめて結ばせたといいます。

 

 

こういう感じで、

「めでたしめでたし」で話は終了するわけですが、

 

京劇の中だけとはいえ、二人が幸せになる未来の話も作られた事は、

普通に嬉しいことではありますね。

 

 

そうでなければ全てにおいて、

 

「趙雲に徹底的に拒否されただけの女性」

で終わってしまいますから・・・