曹操に仕えていた徐邈という人物がいましたが、
徐邈は統治能力に非常に優れており、軍事の面でも後に大活躍をすることになるのですが、
ここでは徐邈にまつわる「お酒」の話をしたいと思います。
酒好き、徐邈
酒が好きすぎて失敗した人の方が多いのですが、
三国志の世界でもまさにそうです。
張飛の悪酔いは有名ですが、
張飛に関わらず、酒で失敗した人は沢山います。
しかし酒好きは、ある意味病気であって
簡単にやめる事が出来ず、酒による失敗で身を亡ぼす事も多かったわけです。
徐邈もその例外から漏れず酒で失敗をしています。
ただ一つ違うのが、酒によって認められた人物でもあるのです。
曹操が出した禁酒令を破る
ある時、曹操が禁酒令を出したことがありました。
ですが酒が好きだった徐邈は、酒を止める事ができませんでした。
徐邈も普段はばれないように少しずつ飲んでいまいたが、
ある時、「禁酒令なんて知らん!」と言わんばかりにいつも通り大量の酒を飲み、
そのままぶっ倒れてしまいました。
禁酒令が出たことに対して、どこかのネジが一つ外れて、
やけ酒みたいな感じになったのかもしれませんね。
そんな状態の徐邈の元へ、
タイミングが悪くも役人であった趙達(ちょうたつ)が尋ねてきました。
清聖濁賢(せいせんだくけん)
そして「禁酒令が出ているにも関わらず、なんで酒を飲んだんだ?」
と当たり前のような質問を受けてしまうんですが、
徐邈は、尋問した者に対して、
「先程さぁ、聖人の毒に当たってしまったんだよ」と返します。
「聖人って聞くと徳を積んだ偉い人?」
みたいな感じに思う人もいるかもしれませんが、
禁酒令が出ているにも関わらず、酒を止める事が出来なかった酒好きは、
清酒のことを「聖人」と呼んでいたそうです。
その発端となったのがこの徐邈であったとか・・・
法律で禁止されている物に対して別の名前をつけて、
入手したり使用したりするのは今の世界でもあることなので、
そう考えると分かりやすいかなと思いますね。
とりあえず徐邈は、酒を飲んだ事がバレないようにするための造語を作ったわけです。
「聖人の毒に当たったんだよ」
と嘘をついてる徐邈について趙達から報告を受けた曹操は、
「何を言っているのか意味が分からん!」
ということで徐邈を禁酒令を破ったことから罰を与えようとします。
それに対して「待った!」をかけたのが、
徐邈と同郷出身で知人でもあり、曹操の元で功績もあった鮮于輔(せんうほ)でした。
鮮于輔は、
「酔っ払いは清酒の事を聖人、濁り酒の事を賢人というそうです。
普段の徐邈は立派な人物であり、酒を飲んだ事で妄言がでたのでしょう。」
といって徐邈をフォローしています。
これを聞いた曹操は、腑に落ちない所はあったのかもしれませんが、
結果として徐邈を罪に問うことはありませんでした。
「清聖濁賢(せいせんだくけん)」という四字熟語がありますが、
これがもとになって作られています。
徐邈は鮮于輔のお陰で罰を免れたのですが、
そもそも曹操が出した禁酒令を破っているのだから、
罪に問われなかったというのも少し不思議な感じがします。
しかしこれらのことがあってからというもの、
中央から地方に送られた挙句にたらい回しにされていることからも、
もしかしたらこれが徐邈の罰だったのかもしれませんね。
ただ徐邈の凄い所は、
どこの地方に送られても立派な統治を行い続けたことです。
優れた受け答えで出世
そして時代は曹操から曹丕の代に代わるのですが、
ある時曹丕が徐邈に対して、
「お前は相変わらず、聖人に当たってるんだろう?」
と曹丕らしい皮肉の言葉を浴びせるわけです。
まぁこれは曹丕にとってだいぶ可愛らしい部類に入りますが、
于禁が魏へ帰国した時は、曹丕が行った仕打ちから、恥ずかしさのあまりに于禁は心労で死んでいますしね。
そう皮肉たっぷりの感情を込めて尋ねられた徐邈は、
「楚の公子の中には酒が原因で戦に負けた者がおり、
魯の大臣は酒が原因で暴言を吐いてしまったばかりに罰を受けています。
楚の公氏も魯の大臣も偉人ではありますが、
私も二人と同様にお酒を飲むことが楽しみの一つであり、
それが原因で時々痛い目にあっています。
斉の閔王の妃であった宿瘤(しゅくりゅう)は「醜」ということで有名でしたが、
私は「酔」ということで有名になっています」
※宿瘤・・・額に瘤(こぶ)ができていた事から「瘤が宿っている」という事で、
そのまま宿瘤と呼ばれるています。
皮肉を込めて徐邈に問いかけた曹丕でしたが、
この徐邈の受け答えを聞いて、大変感心したそうです。
そして、曹丕はこの受け答えができた徐邈を高く評価し、
撫軍(ぶぐん)大将軍軍師の役職を与えています。
酒に失敗してしまった人が多い中、
徐邈は酒による失態はあったものの結果的にうまくいった一人ではありますね。