呉の第三代皇帝である孫休といえば、
学問を非常に好んだ人物ですが、他にも好んでいた趣味がありました。
それは雉狩りだったんですが、
孫休の雉狩りについての逸話が世説新語に乗っていたりしますね。
雉狩り皇帝(雉狩り孫休)として・・・
孫休 –呉の第三代皇帝–
孫休は優れた人物だったことからも、呉の立て直しを期待された人物でした。
孫権も晩年は半ば狂ったように暗君になりましたし、
孫権を引き金に起こった「二宮の変」でも国が乱れに乱れたわけで・・・
跡継ぎ候補であった、
孫登・孫和・孫覇の相次ぐ死亡・・・
そんな中で後を継いだのが孫亮ですが、孫綝によって廃帝にされてしまいます。
そんな中で呉を立て直すべく、期待されて即位したのが孫休でしたが、
濮陽興・張布に政治を任せ、学問と雉狩りを好んだといいます。
孫休は「諸子百家」を全て読み尽くし、
それに負けない程にはまったのが、雉狩りでもあったわけです。
雉狩り大好き皇帝(世説新語)
孫休は雉狩りが、好きで好きでたまりませんでした。
雉狩りの季節がやってくると朝早くから出かけ、
「雉狩りを夕方まで楽しんで帰宅するほどだった」といいます。
ここで雉狩りに半端ない熱量を持っている孫休を注意したのが、
言わずもがな臣下の者達でした。
「雉なんてたかだ一羽の鳥に過ぎないのに、
夢中になりすぎですよ!」と・・・
これに対して孫休は、
「たかだか一羽の鳥なんて、
軽はずみなことは言わないでくれ!
とりあえずこの時期の雉を見てみなよ・・・
雄雉が雌雉を一生懸命に守るけれど、
人間にこの時の雄雉のように貞節を守ろうとする者はそうはいないものだ!
だからこそ私は心の底から雉が大好きなのだよ!!」
といったのが世俗新語に載っている内容になりますね。
孫休に一言物申す!
孫休が雉狩りが大好きなのは、
世説新語を通して非常に伝わってくる内容だけれど、
「雉がそんなに好きなのに、
貴方は平気で雉を狩って殺すんですね」
と軽くつっ込みを入れつつ・・・
とりあえ孫休様はメンヘラとツンデレが混ざりに混ざったような状態ではないかと・・・
好き&狩るを無理やりにつなげてますしね。
「好きなものだから殺したい!」
一歩間違うと戻れない世界に一歩足を踏み入れそうな気が・・・
余談(孫休の息子達の名前)
孫休が学問にはまったのは上でも触れた通りですが、
その集大成ともいえるものが息子の名前だった気がします。
今でいえばキラキラネームと呼ばれたりして、
馴染み深いものとなっていますけど、
孫休はキラキラネームの先駆けたる人物だったと思いますね。
DQNネーム(ドキュンネーム)
なんて呼ばれたりしますけど・・・
ただ孫休の恐るべき点は、当時存在しない漢字を自分自身で生み出して、
それを無理やりに読ませている点です。
そういった意味では一応現存している感じの組み合わせであることを考えると、
現在つけられているキラキラネームはまだかわいいものかもしれませんね。
そんな孫休の息子達の名前は次の通りです。
ちなみに記載した文字を切り取りして画像として貼っているのは、
これらの漢字を下書きで書いても、それでネット上に反映させようとすると、
自然に消滅して反映されないからでして・・・
色んな意味で恐ろしい孫休の息子達でした。