「苦寒行(くかんこう)」は、

袁紹の甥にあたる高幹が反乱を起こした際に、

曹操が自ら太行山脈を越えて高幹討伐の際に作った詩であり、

 

曹操が北方での自然の驚異に苦しんだ事をうかがい知れる内容になっていますね。

 

またこの「苦寒行」は、「文選」にも収録されています。

 

 

 

曹操は壷関に立て籠もる高幹に苦戦を強いられるものの、

最終的に曹仁のアドバイスもあって討伐に成功しているのは余談です。

 

 

ちなみにどんなアドバイスだったのかを簡単に説明すると、

壺関から逃げ道がない高幹は死に物狂いで抵抗をしていたわけですが、

 

そんな折に曹仁が曹操に対して、

「城を包囲する際には、必ず生き残れる為の逃げ場を作っておくものである!」とアドバイスし、

それを採用した曹操は見事に壺関を落としたという話になります。

「苦寒行」原文

北上太行山 艱哉何巍巍。

羊腸坂詰屈 車輪為之摧。

樹木何蕭瑟 北風声正悲。

熊羆對我蹲 虎豹夾路啼。

 

 

渓谷少人民 雪落何霏霏。

延頸長歎息 遠行多所懐。

我心何怫鬱 思欲一東帰。

水深橋梁絶 中路正徘徊。

 

 

迷惑失故路 薄暮無宿栖。

行行日已遠 人馬同時飢。

担囊行取薪 斧冰持作糜。

悲彼東山詩 悠悠使我哀。

「苦寒行」書き下し文

北のかた太行山たいこうざんに上れば、かたかな 何ぞ巍巍ぎぎたる。

羊腸ようちょうの阪は詰屈し、車輪はこれが為にくだく。

樹木は何ぞ蕭瑟しょうしつたる、北風ほくふう声はまさに悲し。

熊羆ゆうひに対して我にうずくまり、虎豹はみちはさみてく。

 

 

溪谷けいこくは人民少なく、雪落つること 何ぞ霏霏ひひたる。

くびを延ばして長く歎息し、遠行えんこうしておもう所多し。

我が心の何ぞ怫鬱ふつうつとし、ひとえ東にらんことを思欲しよくす。

水深くして橋梁きょうりょうは絶たれ、中路なかみちは正しく徘徊す。

 

 

迷惑して故路を失い、薄暮はくぼすれども棲まう宿無し。

行き行きて日は已に遠く、人馬は時を同じくしてう。

ふくろかつぎ行きて薪を取り、氷をおのしてかゆを作る。

の東山の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。

「苦寒行」翻訳

北上太行山 艱哉何巍巍。

北の地にある太行山を登れば、道は険しく山は高々とそびえている。

 

羊腸坂詰屈 車輪為之摧。

羊の腸のように坂は曲がりくねっており、車輪はその為に壊れてしまった。

 

樹木何蕭瑟 北風声正悲。

立木は静かで、風の音はひどく寂しげである。

 

熊羆對我蹲 虎豹夾路啼。

熊やひぐまは私に向ってうずくまっており、虎や豹は道を挟んで吠えている。

 

 

 

渓谷少人民 雪落何霏霏。

溪谷には人も少なく、雪は絶え間なく降り続いている。

 

延頸長歎息 遠行多所懐。

首を伸ばして深い溜息ををつき、遠くまできて懐かしく思う事も増えた。

 

我心何怫鬱 思欲一東帰。

私の心は鬱々と塞ぎ込み、東に帰る思いが強くなっている。

 

水深橋梁絶 中路正徘徊。

しかし流れる川底は深い上に橋は壊れている。

その上に道半ばにして迷った事に気がついたのである。

 

 

 

迷惑失故路 薄暮無宿栖。

どうしてよいかと困惑している内に元の道すら分からなくなり、

そろそろ日が暮れるというのに泊まる宿すらない。

 

行行日已遠 人馬同時飢。

進み続けてかなりの日数が経ってしまい、人馬共に飢えに苦しんでいる。

 

担囊行取薪 斧冰持作糜。

ゆえに袋を担いで薪を取り、斧で氷を切り出して粥を作っている。

 

悲彼東山詩 悠悠使我哀。

昔の人達が詠んだという悲しい東山詩を思い出しては、

私をゆっくりと悲しませてしまうのであった。