「三国故事」とは?

「三国故事」とは古くから中国の各地で伝承されてきた、

嘘とも本当とも言えない民間伝承のことを言います。

 

大概は嘘のような話が多くはありますが、面白い話が多いですので、

ここでは中国の各地で伝承されてきた「三国故事」の逸話を色々と紹介していこうと思います。

 

私達には比較的に馴染みが薄い話が多かったりしますが、

中国では多くの人達が当たり前のように知ってる話も多いのが実情のようです。

 

 

また私達は「三国志演義」をよく知っていますが、

「三国志演義」が成立する前に多く人々の間で語られたのが「三国故事」であり、

 

三国志演義の前身ともいえる「三国志平話」に影響を与えた逸話であったり、

三国志を題材にした演劇に用いられたりしてきたわけです。

 

もちろんですが三国志演義にも、

「三国故事」からの逸話も取り上げられたりもしています。

 

 

ただここで紹介する逸話も、中国各地に残る「三国故事」から見ると、

ほんの一部にしか過ぎないのが実情でもあったりします。

 

その中には現地で聞いたりしない限り、知る由もないような逸話も多く、

それほどに三国志にまつわる多くの伝承が今に伝わって各地に残されているというわけですね。

 

 

ここでは「三国志(中国伝説のなかの英傑)」の中にある話をメインに紹介していければと思ってます。

大樹楼桑村縁起

河北省琢県に大樹楼桑村と呼ばれる村があるわけですが、

この村がそのような名前で呼ばれるようになったのには理由がありました。

 

天下動乱の東漢の末期頃に、

一組の夫婦が飢饉を逃れて琢県のある村にやってきます。

 

ちなみに東漢とは後漢の異称で、長安が都であった前漢を西漢と呼んだのに対して、

長安より東側にあった洛陽を都とした後漢を東漢と呼んだ形ですね。

 

 

この時に妻は妊娠中で、出産も近づいており、それより先に避難する事が難しくなり、

仕方なくこの村の農家の小屋を借りて住むことにしたのでした。

 

そしてある晩のこと、夫婦が住む小屋に、

天をつかんばかりのまばゆい赤い光が射し込んだといいます。

 

 

この赤い光を見た農夫が、火事だと思って慌てて小屋まで来たのですが、

小屋は火事どころか、何も異常はありませんでした。

 

ただ小屋の中からただならない香りが漂ってきており、

赤ん坊の泣き声が聞こえた事で、夫婦の間に赤ん坊が産まれた事を知ったのでした。

 

ただこれらの事から大変な貴人が誕生したのだと農夫は思ったといいます。

 

 

そして子供の誕生から一カ月の際に、近所の人々が食べ物を持ってお祝いに訪れ、

人々は赤ん坊の名前を尋ねたのです。

 

人々「赤ん坊のお名前は?」

両親「姓は劉、諱は備、字は玄徳といいます」

 

 

劉備の両親は、この土地にそのまま住むことを決意するわけですが、

母親は畑仕事に息子の劉備を連れて出かけることが多かったようです。

 

特に夏の暑い日には、劉備を大きな桑の木の下に寝かせ、

その間に母親は一生懸命に働いていました。

 

 

そして朝から畑仕事に精を出していた母親ですが、

太陽も傾いてきた頃にふと息子の事を思い出し、

 

慌てて息子を寝かせた桑の木の下を見たところ、不思議なことに木陰は朝の状態のままで、

劉備も起きた素振りもなく、朝に寝かせた場所にそのままの姿でぐっすり眠っていたのです。

 

この出来事がきっかけとなり、

琢県にあったこの村は、大樹楼桑村と呼ばれるようになったといいます。