漢王朝の衰退&黄巾の乱(三国時代の幕開け)
横山光輝三国志(1巻57~60P)画像引用
漢王朝は朝廷の腐敗により、賄賂がはびこり、
民衆を苦しめる政治が続いたことで、国は乱れに乱れていました。
中平元年(184年)になると、そんな漢王朝に愛想を尽かしたのが張角であり、
大規模な宗教反乱である「黄巾の乱」の勃発になります。
【張三兄弟】
- 張角(天公将軍)
- 張宝(地公将軍)
- 張梁(人公将軍)
-黄巾賊が掲げた旗印-
「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」
(蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし。歳は甲子に在りて、天下大吉。)
この意味は簡単に言ってしまうと、
「漢王朝は既に死んでおり、次は我々の時代である。」といった感じですかね。
また上の画像を見てもらえれば分かりますが、
横山光輝先生の黄巾賊のスローガンは少し違って書かれています。
-正史・三国志演義-
「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」
-横山光輝三国志- 「蒼天已死 黄夫當立 歳在甲子 天下大吉」 |
見て分かる通り「黄天」ではなく、「黄夫」となっているわけですが、
これは横山先生だけでなく、吉川先生も「黄夫」としていますね。
横山先生は吉川先生の影響をもろに受けていますから、
そのまま引用したと考えるのが自然でしょう。
実際私の知る限りは、他で「黄夫」と書かれているのは記憶にないです。
もともとは民衆の為に起ちあがった反乱であったが、
しかし次第に民衆を苦しめる賊軍へと変わっていったのでした。
そんな黄巾賊に官軍は苦戦を強いられてしまい、各地で義勇軍の募集を行ったのですが、
これに名乗りを上げたのが、「三国志演義」の主人公である劉備、
そして劉備と義兄弟の契りを結んだ関羽・張飛だったわけですね。
桃園の誓い(劉備・関羽・張飛)
横山光輝三国志(1巻190P)画像引用
劉備・関羽・張飛の三人が、
「我ら生まれた日は違えども、死すときは同じ時を願わん。」
と結んだ義兄弟の契りはあまりにも有名過ぎますね。
また三人の契りは、
「桃園の誓い」「桃園結義」と呼ばれたりもします。
ちなみに正史(陳寿「三国志」)では、
三人が義兄弟の契り(桃園の誓い)を結んだという話は書かれてありません。
最初の三人の関係は、
「関羽や張飛を劉備が金で雇った」
というのが正確な所だと思います。
ただ寝食を共にしているうちに兄弟のような関係になっていったというのは、
正史の中にも書かれてあることですので、あながち出鱈目な逸話というわけではないですね。
それを横山三国志でもそうですが、
「三国志演義」ではこれをドラマチックに描いているわけです。
また完全な余談として、「良妻賢母」として登場している劉備の母親ですが、
「三国志演義」には、劉備の母親は登場していない事実は案外知られていません。
劉備の母親がおそらく初めて登場するのは、
「吉川三国志」からであり、
その影響を強く受けた「横山三国志」にも継承されているといった形でしょう。