董卓の独裁&丁原との対立

横山光輝三国志(4巻58~59P)より画像引用

 

大将軍である何進が張譲らによって殺害された事で、

配下の袁紹が激怒し、宮中に乗り込んで宦官らを皆殺しにしてしまいます。

 

 

そんな混乱の中で、

張譲は劉弁(少帝/現在皇帝)と劉協(陳留王)を連れて脱出するも、

 

何進がもともと宦官討伐の為に、

各地から読んでいた群雄の一人である董卓によって偶然にも救い出されます。

 

 

そして董卓はその足でそのまま宮中に乗り込み、

現在の帝である少帝を廃止し、劉協(献帝)を新しい帝にしようと試みたのでした。

 

ここで多くの者達が董卓に尻尾を振る中で、

丁原だけは強く董卓を非難したわけです。

 

これにより両者の関係は大きく悪化し、董卓が丁原殺害に刺客を送ったりするも、

丁原の養子であった呂布に返り討ちにあう形で失敗に終わっています。

 

そして仕返しといわんばかりに、今度は丁原が呂布に命じて董卓軍に奇襲をしかけたりと・・・

 

 

このように呂布率いる丁原軍に董卓は苦しめられたのでした。

呂布の裏切り&丁原殺害

横山光輝三国志(4巻84~86P)より画像引用

 

董卓は大きな武勇を誇る呂布を味方にすべく、

同郷出身であった李粛を使者として呂布の元へと送ったのでした。

 

李粛は天下の名馬として知られた赤兎馬と沢山の財宝を呂布へと献上し、

丁原を裏切って董卓に味方するように説得します。

 

 

丁原の養子となって長らく世話になっていた呂布でしたが、

これらに目がくらみ、丁原を殺害して董卓の元へと参じたのでした。

横山光輝三国志(4巻95P)より画像引用

董卓独裁(少帝廃立&献帝擁立)

横山光輝三国志(4巻99P)より画像引用

 

董卓は丁原という邪魔者がいなくなったこと、

そして天下無双の武力を誇る呂布を味方につけたことで、

 

かつての思惑通りに少帝を廃立し、その生母である何皇后(何進の妹)までも殺害し、

新たに劉協(陳留王/献帝)を新帝に置いたのでした。

 

また逆らう者は容赦なく処刑し、董卓の独裁政治が始まる事になったわけですね。

曹操による董卓殺害計画

横山光輝三国志(4巻149~151P)より画像引用

 

司徒である王允は漢王朝の重要な官職にありながらも、

どうにもできないでいる今の現状に悩みに悩んでいました。

 

そんな中で董卓殺害に名乗りを挙げたのが曹操であり、

曹操は天下の名刀である「七星剣」を貰い受けて、董卓殺害の時をうかがいます。

 

 

そしてその機会は間もなくやってきます。

 

呂布が持ち場を離れた隙をついて、曹操は董卓殺害を実行に移そうとするも、

鏡に反射した七星剣の光に董卓は気づいたのでした。

 

 

不穏な空気に気づいたと言っても、

董卓をそのまま殺害する事も普通なら可能だったような気がしますが、

 

そこで取った曹操の咄嗟の行動は、

七星剣を献上する為に持ってきたと嘘をついたわけです。

 

 

董卓は天下の名刀を手に入れられたことを純粋に喜び、

曹操もまた何もなかったかのように退出するものの、

 

殺害しようとした事実がばれるのも時間の問題であると判断し、急いで都から逃げ去っていくのでした。

 

 

そして曹操が察したように、

呂布が曹操が董卓を殺害しようとしていたのではないかと進言すると、

 

董卓は「はっ」と気づいたかのように怒りを爆発させ、曹操を捕らえるべく追手を差し向けたのでした。

呂伯奢事件

横山光輝三国志(4巻185P)より画像引用

 

曹操は逃げる最中に、中牟県の守備隊長であった陳宮に捕まってしまいます。

しかし曹操の高い志を聞いた陳宮は、曹操を助けて共に落ち延びていく事になります。

 

その中で曹操の父親である曹嵩の知り合いである呂伯奢の家に立ち寄り、

呂伯奢も曹操を厚く迎えたのでした。

 

 

呂伯奢は苦労をして落ち延びてきたであろう曹操の為に、

豪華な料理でもてなす為に使用人に下準備をさせ、自らは酒を買いにでかけたわけですが、

 

自分を暗殺しようとしていると勘違いした曹操によって皆殺しにされてしまいます。

 

 

そしてその場から急いで立ち去る曹操と陳宮でしたが、

酒を買って帰ってくる呂伯奢とばったりと鉢合わせしたのです。

 

曹操は呂伯奢をこのまま見逃しても、家の惨状を見ると恨みに思うはずだと判断し、

呂伯奢をその場で斬り捨てる事に・・・

 

 

この行動に大きな疑問を抱いたのが陳宮でしたが、

 

この時に曹操が陳宮に語ったのが、「私が人を裏切ろうとも、

人に私を裏切らせる事は許さない!」という言葉だったのです。

曹操の檄文(反董卓連合)

横山光輝三国志(4巻202~204P)より画像引用

 

そして曹操は自ら集めた軍勢だけでは董卓打倒は果たせないと判断し、

各地の群雄に檄文を飛ばして決起を促したのであった。

 

この曹操の呼びかけに対して、

曹操以外に17名の者達が集結した様子が描かれています。

  • 第一鎮  後将軍南陽太守袁術
  • 第二鎮  冀州刺史韓馥
  • 第三鎮  豫州刺史孔伷
  • 第四鎮  兗州刺史劉岱
  • 第五鎮  河内太守王匡
  • 第六鎮  陳留太守張邈
  • 第七鎮  東郡太守橋瑁
  • 第八鎮  山陽太守袁遺
  • 第九鎮  済北相鮑信
  • 第十鎮  北海太守孔融
  • 第十一鎮 広陵太守張超
  • 第十二鎮 徐州刺史陶謙
  • 第十三鎮 西涼太守馬騰
  • 第十四鎮 北平太守公孫瓚
  • 第十五鎮 上党太守張楊
  • 第十六鎮 鳥程侯長沙太守孫堅
  • 第十七鎮 祁郷侯勃海太守・袁紹

 

 

またこのこの反董卓連合の中には、

劉備・関羽・張飛なども参加したりもしていますね。

 

ちなみに正史では、孔融・陶謙・馬騰・公孫瓚が参加した記録は残されていません。

 

この辺りの事は「魏志」武帝紀に記録が残されています。

初平元年春正月、後將軍袁術、冀州牧韓馥、豫州刺史孔伷、兗州刺史劉岱、河内太守王匡、勃海太守袁紹、陳留太守張邈、東郡太守橋瑁、山陽太守袁遺、濟北相鮑信同時倶起兵、衆各數萬、推紹為盟主。太祖行奮武將軍。

 

 

それと三国志演義で檄文を発したのは曹操となっていますが、

正史では反董卓連合にも参加している橋瑁が檄文を飛ばしたと正史には記録が残されているのは余談です。

 

とにかくこれにより董卓軍と反董卓連合の戦いが繰り広げられていく事となります。