反董卓連合結成(盟主袁紹)

横山光輝三国志(29P)より画像引用

 

董卓を討つべくに結成された反董卓連合ですが、この盟主に袁紹が選任されます。

  • 第一鎮  後将軍南陽太守袁術
  • 第二鎮  冀州刺史韓馥
  • 第三鎮  豫州刺史孔伷
  • 第四鎮  兗州刺史劉岱
  • 第五鎮  河内太守王匡
  • 第六鎮  陳留太守張邈
  • 第七鎮  東郡太守橋瑁
  • 第八鎮  山陽太守袁遺
  • 第九鎮  済北相鮑信
  • 第十鎮  北海太守孔融
  • 第十一鎮 広陵太守張超
  • 第十二鎮 徐州刺史陶謙
  • 第十三鎮 西涼太守馬騰
  • 第十四鎮 北平太守公孫瓚
  • 第十五鎮 上党太守張楊
  • 第十六鎮 鳥程侯長沙太守孫堅
  • 第十七鎮 祁郷侯勃海太守・袁紹
  • 第十八鎮 曹操

 

軽く補足しておくと、

三国志演義では第十八鎮の一人に曹操が選ばれてはいますが、

正史では袁紹指揮下として曹操は参加していますね。

 

逆に劉備・関羽・張飛らが反董卓連合に参加した記録は残されていませんが、

三国志演義では公孫瓚指揮下として参加している形です。

 

なので三国志演義がベースにされている横山三国志でも、

公孫瓚指揮下として参加していますね。

汜水関の戦い(華雄の出撃)

横山光輝三国志(38P)より画像引用

 

董卓は反董卓連合を迎撃させる為に華雄を出陣させます。

 

正史では華雄は胡軫の副将として参加していますが、

三国志演義では何故か華雄が総大将となり、胡軫が華雄の副将として登場しています。

 

 

華雄に大きな苦戦を強いられた反董卓連合の諸将らでしたが、

ここで関羽が華雄に一騎打ちを挑み、見事に討ち取ることに成功しています。

 

つまり華雄を討ち取った事で、関羽の名が一躍広がるきっかけとなったわけです。

 

 

この時の逸話として、曹操が出陣前の関羽に酒を飲まそうとすると、

 

「華雄を討ち取ってから戴きましょう」といって出陣し、

帰ってきた時にはまだ温かかったという逸話が差し込まれていますね。

 

ちなみに横山三国志では、酒を先に飲んでから出陣していますが、

帰ってきた後に酒の酔いが回ってきた関羽の姿が描かれていたりします。

虎牢関の戦い(呂布の出陣)

横山光輝三国志(99P・109P)より画像引用

 

汜水関の戦いで華雄が討ち取られると、

次の虎牢関の戦いでは呂布が出陣してきます。

 

この戦いでも華雄戦に引き続き、大きな苦戦を強いられるわけですが、

呂布は張飛と一騎打ちを繰り広げ、劉備・関羽が助太刀した事で呂布の撃退に成功しています。

 

劉備・関羽・張飛の三人相手に敗れた呂布ですが、

一人で三人を相手にした呂布の強さが描かれた場面でもありました。

 

 

ちなみにですが、汜水関の戦い・虎牢関の戦いについては正史の記録ではなく、

正史では二つの戦いをあわせて陽人の戦いとなっています。

 

総大将は華雄でも呂布でもなく、胡軫が総大将であり、二人は胡軫の指揮下で登場しています。

 

ただ呂布は胡軫と仲が悪く、呂布は味方を罠に嵌めた事で、

孫堅軍によって華雄は討ち取られ、胡軫と呂布は逃亡した事で決着がつきます。

 

 

このように一つの戦いを二つに分けて盛り上げたのが三国志演義であり、

演義の中では敗北した孫堅でしたが、史実では見事に勝利を収める展開となっているわけですね。

長安への遷都&洛陽炎上

横山光輝三国志(155P)より画像引用

 

反董卓連合に劣勢を強いられた董卓は、洛陽から長安へ遷都しています。

この時に遷都をそそのかした人物として、李儒が登場しています。

 

董卓の腹心の一人であり、董卓の悪行をそそのかしてきた存在でもあります。

献帝(劉協)擁立した際に、少帝(劉弁)や何皇后の殺害をしたのも李儒でした。

 

そして漢王朝の皇帝墓をあばいて財宝を奪い、

洛陽に住む住民を強制的に移住させたり、その後に洛陽に火を放って立ち去っています。

 

長らく都であった洛陽城が廃城となった瞬間だったのです。

 

 

そして廃城となった洛陽城へと乗り込んだ反董卓連合の諸将らでしたが、

董卓が帝を連れて西へ遷都した事と、廃城とはいえ洛陽の奪取に成功した事でひとまずの決着と見たわけです。

横山光輝三国志(182P)より画像引用

 

董卓の長安への遷都を見て、これをチャンスと見たのが曹操でした。

 

「ここで追撃を掛ければ大勝利間違いなし!」と呼びかけるも、

曹操の声に従う者達はおらず、曹操は自軍だけで董卓軍を追撃する形が描かれています。

 

しかし罠をしかけていた李儒・徐栄によって大敗してしまうのでした。

 

 

正史で曹操を高く評価した鮑信が曹操に従っていたりしますが、

結果は三国志演義同様に徐栄によって敗れています。

 

このように諸将らが好き勝手に動くようになり、

反董卓連合は自然と解散していく流れとなります。