孫堅の荊州侵攻戦
横山光輝三国志(7巻42P)より画像引用
反董卓連合解散後、共に戦った諸将が次第に争っていきます。
韓馥から冀州を奪った袁紹、袁紹と公孫瓚の激突、
そして今度は袁紹と袁術の兄弟争いが激化していきます。
この二人の激突は周りを大きく巻き込むもので、袁紹側についたのが曹操・劉表だとすると、
袁術側についたのが孫堅であり、陶謙だったりしたわけです。
三国志演義の流れだと少し誤解を生んでしまうわけですが、
この時の曹操は、袁紹の部下の立ち位置に近いといった感じが正しいですし、
孫堅もまた袁術の部下といった立ち位置に近い存在でした。
そして袁術の命令を受けた孫堅は、孫堅は劉表討伐に乗り出していくこととなります。
帰らぬ死出の旅路へと・・・
孫堅の最期
横山光輝三国志(7巻108~110P)より画像引用
孫堅を劉表の本拠地である襄陽へと兵を進めるも、
それを迎え撃った黄祖の抵抗により、
戦いの中で戦死するという予期せぬ結果で幕を下ろしています。
ちなみに正史である「呉志」孫堅伝には、
「孫堅が峴山に単騎で行った所を黄祖軍の兵にによって矢で射抜かれた」と記録が残されており、
またそこに裴松之が注釈を添えていますが、
「呂公という人物の落石によって命を落とした」と書かれてあります。
横山三国志でもそうですが、
ベースである三国志演義もこの注釈の逸話が採用されています。
美女連環の計①(王允&貂蝉)
横山光輝三国志(7巻129P)より画像引用
かつての反董卓連合の諸侯らが争う中で、
長安へと遷都した董卓の地盤は確固たるものとなっていきます。
呂布が董卓に味方してからというもの、多くの者達が純粋に董卓をおそれていたわけです。
この状態を危惧していたのは、
かつて董卓殺害計画の際に曹操に「七星剣」を授けた王允でした。
王允は三公の一つである司徒を授けられていた漢王朝の重職にある立場だっただけに、
どうにもできない今の現状に対して、大きな悩みを抱えていました。
ここで登場するのが王允の養女であった貂蝉だったのです。
貂蝉は女性ならではの武器である色気を使って、
これまで大事に育ててくれた王允の為に、
董卓と呂布の間を引き裂こうと行動に移していくのでした。
美女連環の計②(王允・貂蝉VS董卓・呂布)
横山光輝三国志(7巻188P)より画像引用
王允と貂蝉の美女連環の計ですが、貂蝉の魅力に董卓と呂布は虜となっていきます。
その中で二人の亀裂が次第に大きくなっていくことになるわけです。
ちなみに貂蝉は三国志演義に登場する女性であり、架空の人物とされていますが、
実際に呂布が董卓の侍女と密会した逸話は、
「魏志」呂布伝に記録として残されていることから、この侍女が元ネタの女性だとされています。
ですので完全に架空の人物であるかというと、そうではないといえる女性でもあるのです。
ただその女性の名前は今に伝えられていません。
また貂蝉は董卓・呂布を翻弄した女性だということで、
架空の人物にも関わらず、中国四大美人の一人に数えられてもいます。
- 楊貴妃
- 西施
- 王昭君
- 貂蝉
またそんな貂蝉ですが、数多くの民間的逸話が今に伝えられています。