杜甫と言えば中国文学上の最高峰の詩人の一人であり、

「詩仙」と呼ばれた李白と並んで「詩聖」とよばれたほどの人物でした。

 

どちらも同じ時代(唐)を生きた者達で、

二人が後世に与えた影響ははかりしれないものでした。

 

 

それほど高い評価を受けた杜甫ですが、

諸葛亮を尊敬していた人物でもあり、諸葛亮を称える詩も残しています。

  • 蜀相
  • 八陣の図
  • 古跡を詠懐す

 

特に「蜀相」は、杜甫の中の代表作の一つでもありますが、

ここでは杜甫の詠んだ三つの詩を紹介したいと思います。

蜀相

丞相祠堂何處尋(丞相の祠堂 何れの處にか尋ねん

錦官城外柏森森(錦官城外 柏森森)

映階碧草自春色(階に映ずる碧草 自ずから春色)

隔葉黄鸝空好音(葉を隔つる黄鸝 空しく好音)

三顧頻煩天下計(三顧頻りに煩わす 天下の計りごと)

兩朝開濟老臣心(兩朝開き濟す 老臣の心)

出師未捷身先死(師を出だして未だ捷たず 身先ず死す)

長使英雄涙満襟(長く英雄をして 涙襟に滿た使む)

-翻訳-

諸葛亮を祀った廟は、どこにあるのかを考えていたら、

成都郊外にあるかしわの木が生い茂っていた場所に祀ってあったのだ。

 

廟の階段の側に生えている青緑した草は、春の匂いを漂わせ、

誰も聞く者がいないにも関わらず、柏の葉の陰ではうぐいすが綺麗な音色を奏でてる。

 

劉備は諸葛亮の庵を三度訪ねて、天下を安定させる為の計を尋ねた。

 

 

諸葛亮は劉備と共に国の礎を築き、

劉禅を懸命に補佐し、真心を持って仕えた重臣であった。

 

ただ残念なことに、魏を討つという目的を果たせぬまま、

諸葛亮は病におかされて亡くなってしまったが、

 

諸葛亮の忠臣ぶりは、後世の英雄達に涙を誘ったのである。

八陣の図

功蓋三分国(功は蓋う 三分の国)

名成八陣図(名は成る 八陣の図)

江流石不転(江流るるも 石転ぜず)

遺恨失呑呉(遺恨なり 呉を呑むを失す)

-翻訳-

諸葛亮の功績は、三国(魏・呉・蜀)全土を包み隠し、

その名声は諸葛亮が考えた八陣図によって後世に伝えられた。

 

例え長江の流れが変わったとしても、八陣図の形が変わることはない。

ただ劉備が呉に大敗を喫した過ちだけは、永久に忘れ去られることはないだろう。

古跡を詠懐す/懐を古蹟に詠ず(其ノ五)

諸葛大名垂宇宙諸葛の大名たいめい 宇宙に垂る

宗臣遺像粛清高宗臣そうしんの遺像 肅として清高

三分割拠紆籌策三分割拠さんぶんかっきょ 籌策ちゅうさくめぐらす

万古雲霄一羽毛万古雲霄ばんこうんしょう 一羽毛いちうもう

伯仲之間見伊呂伯仲はくちゅうの間に伊呂いりょを見る

指揮若定失蕭曹指揮し定まれば蕭曹しょうそうを失せん

運移漢祚終難復運移りて漢祚かんそついふくし難く

志決身殲軍務労(志は決するも身はほろぶ  軍務の労に)

-翻訳-

諸葛亮の名は、世界に知れ渡っている。

廟堂の中にある諸葛亮の遺像は、静かに、そして清らかにたたずんでいる。

 

天下三分を掲げて、それに邁進した諸葛亮の姿は、

まるで時代を超えて大空を羽ばたく鳳凰のようではないか!

 

また諸葛亮の才能は、

古の伊尹(殷)・呂向(周)にも匹敵するものであった。

 

 

もし諸葛亮の命じた通りに事が進んでいたならば、

前漢の名宰相と言われた蕭何・曹参ですら必要ないほどである。

 

 

ただ既に蜀漢の命運は尽きており、

 

諸葛亮は魏を討つべく奔走したものの、

激しい軍務が体を蝕み、諸葛亮は亡くなってしまったのである。