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	<title>董卓 &#8211; なんでも三国志</title>
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	<title>董卓 &#8211; なんでも三国志</title>
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		<title>徐栄 -孫堅と曹操を相次いで退けた董卓軍の猛将-</title>
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		<dc:creator><![CDATA[nekozyarashi]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 11 Aug 2026 14:42:03 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[徐栄]]></category>
		<category><![CDATA[郭汜]]></category>
		<category><![CDATA[反董卓連合]]></category>
		<category><![CDATA[幽州]]></category>
		<category><![CDATA[公孫度]]></category>
		<category><![CDATA[玄菟郡]]></category>
		<category><![CDATA[胡軫]]></category>
		<category><![CDATA[中郎将]]></category>
		<category><![CDATA[孫堅]]></category>
		<category><![CDATA[１９２年]]></category>
		<category><![CDATA[董卓]]></category>
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		<category><![CDATA[李傕]]></category>
		<category><![CDATA[１９０年]]></category>
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					<description><![CDATA[徐栄（じょえい） 徐栄は幽州玄菟郡の出身で、董卓に仕えて中郎将を務めた人物です。 徐栄について残されている記録は決して多くありません。 &#160; しかし、わずかな史料の中でも特に注目されるのが、 反董卓連合軍の中核を [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h3><span style="font-size: 18pt;">徐栄（じょえい）</span></h3>
<p><img fetchpriority="high" decoding="async" class=" wp-image-16166 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2026/08/徐栄.png" alt="" width="800" height="450" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2026/08/徐栄.png 1672w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2026/08/徐栄-300x169.png 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2026/08/徐栄-1024x576.png 1024w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2026/08/徐栄-768x432.png 768w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2026/08/徐栄-1536x864.png 1536w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
<p>徐栄は幽州玄菟郡の出身で、董卓に仕えて中郎将を務めた人物です。</p>
<p>徐栄について残されている記録は決して多くありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし、わずかな史料の中でも特に注目されるのが、</p>
<p>反董卓連合軍の中核を担っていた孫堅と曹操を、それぞれ別の戦場で撃破した実績です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>後世の三国志では、呂布・華雄・張遼などの名将が大きく取り上げられる一方で、</p>
<p>徐栄の名前は比較的知られていません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし正史の記録を見ると、董卓軍の中でも非常に優れた戦闘指揮官だったことがうかがえます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>徐栄が董卓に仕えるようになった時期について詳しい記録は残されていませんが、</p>
<p>董卓の配下として中郎将にまで昇進しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また、徐栄は同じ玄菟郡出身の公孫度を董卓に推挙した人物としても記録されています。</p>
<p>この公孫度は後に遼東へ進出し、遼東太守として独自の勢力を築いていく人物です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>つまり徐栄は、単なる武将というだけではなく、</p>
<p>同郷の人物を中央政界へ推薦するだけの人脈と影響力を持っていたことになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして徐栄の名を歴史に大きく刻むことになったのが、１９０年に始まった反董卓連合との戦いでした。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">反董卓連合軍との戦い</span></h4>
<p>１９０年、董卓が洛陽から長安方面へ移動すると、</p>
<p>袁紹・袁術・曹操・孫堅ら各地の諸侯が董卓討伐を掲げて兵を挙げました。</p>
<p>いわゆる反董卓連合軍です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただし、この連合軍は一枚岩ではありませんでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>各地の諸侯はそれぞれ異なる思惑を抱えており、</p>
<p>実際には董卓を打倒するために一致団結した軍勢というよりも、</p>
<p>董卓政権に対して各地から軍勢が集まった状態に近いものでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そのような中で董卓は、徐栄らを各地に派遣して迎撃にあたらせます。</p>
<p>そして徐栄は、ここで大きな戦果を挙げることになります。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">孫堅を撃破する</span></h4>
<p><img decoding="async" class=" wp-image-11976 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/02/軍勢.png" alt="" width="579" height="273" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/02/軍勢.png 727w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/02/軍勢-300x142.png 300w" sizes="(max-width: 579px) 100vw, 579px" /></p>
<p>当時、反董卓勢力の中でも特に積極的に董卓軍と戦っていたのが、長沙太守の孫堅でした。</p>
<p>孫堅は予州方面の兵を率いて北上し、董卓軍との戦いに臨みます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ところが梁県付近で徐栄の軍と遭遇すると、孫堅軍は徐栄によって撃破されてしまいました。</p>
<p>この戦いでは潁川太守の李旻も徐栄に捕らえられています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>孫堅自身も何とか包囲を突破して逃げ延びましたが、</p>
<p>その時に従っていた兵はわずか数十騎にまで減っていたとも言われています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>さらに、この逃走の際に孫堅は、普段身につけていた赤い頭巾を部下の祖茂に着けさせ、</p>
<p>自分の身代わりにしたという有名な逸話も残されています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>徐栄の攻撃がいかに激しく、孫堅軍が大きな損害を受けたのかが分かる戦いです。</p>
<p>しかし、徐栄の戦果はこれだけではありませんでした。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">曹操をも撃破した徐栄</span></h4>
<p><img decoding="async" class=" wp-image-11976 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/02/軍勢.png" alt="" width="579" height="273" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/02/軍勢.png 727w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/02/軍勢-300x142.png 300w" sizes="(max-width: 579px) 100vw, 579px" /></p>
<p>同じく１９０年、反董卓側として挙兵していた曹操も、董卓軍と戦うために進軍します。</p>
<p>曹操は張邈の配下であった衛茲らとともに兵を率いて滎陽方面へ向かいました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そこで待ち受けていたのが徐栄です。両軍は滎陽の汴水付近で激突しました。</p>
<p>この戦いでも徐栄軍が優勢となり、曹操軍は大きな損害を受けました。</p>
<p>曹操自身も流れ矢を受け、乗っていた馬まで負傷するという危機的な状況に陥っています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このとき曹操を救ったのが、従弟の曹洪でした。</p>
<p>曹洪は自分の馬を曹操に譲り、曹操はその馬に乗って夜の闇に紛れながら戦場から脱出しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この戦いで曹操軍は大きな打撃を受けています。ただここで興味深いのが徐栄の判断です。</p>
<p>徐栄は曹操軍の戦いぶりを見て、「酸棗を攻めるのは容易ではない」と判断したと伝えられています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>つまり徐栄は曹操軍を撃破したものの、</p>
<p>その戦いぶりから反董卓側の兵力や抵抗力を冷静に評価していたわけです。</p>
<p>そして徐栄は無理に追撃を続けることなく、軍を引いて帰還しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この判断からも、単純に武力だけで戦う武将ではなく、戦況を見極める能力を持った指揮官だったことがうかがえます。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">孫堅と曹操を破った実力</span></h4>
<p>こうして見ると、徐栄は短い期間に、</p>
<p>反董卓勢力の中でも後に大きな存在となる二人を相次いで破っています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一人は、後に呉の基礎を築くことになる孫堅、</p>
<p>そしてもう一人は、後に魏王となり、中国北方最大の勢力を築く曹操です。</p>
<p>もちろん、この一戦だけをもって「徐栄が孫堅や曹操より優れていた」と単純に評価することはできません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし少なくとも、董卓軍の中で徐栄が非常に高い戦闘能力を持っていたことは、正史の記録からも明確です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>三国志演義では徐栄の存在感はそれほど大きくありませんが、</p>
<p>正史においてはむしろ、三国時代の幕開けとなる混乱期において重要な戦果を挙げた武将の一人だったと言えるでしょう。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">董卓の死と徐栄の運命</span></h4>
<p>その後、董卓政権は大きく揺らいでいきます。</p>
<p>１９２年、司徒の王允らによる計画によって董卓は殺害されました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓が倒されると、その配下にいた武将たちはそのまま滅亡したわけではありません。</p>
<p>李傕・郭汜ら董卓の旧臣たちは、董卓の死後に長安へ進軍し、董卓の仇を討つことを掲げて王允政権に迫りました。</p>
<p>王允はこれを迎え撃つため、徐栄と胡軫を派遣します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし、ここで徐栄の運命が大きく変わります。</p>
<p>徐栄は新豊で李傕・郭汜らと戦いますが、激戦の末に戦死してしまいました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一方、共に出陣した胡軫は李傕らに降伏しています。</p>
<p>こうして、わずか数年の間に後漢末期の激動を駆け抜けた徐栄は、１９２年にその生涯を終えることになりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>最初にも述べたように徐栄の生涯について伝わっている記録は非常に限られています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし、その短い記録の中には、</p>
<ul>
<li>董卓に仕えて中郎将となったこと</li>
<li>公孫度を推挙したこと</li>
<li>孫堅軍を撃破したこと</li>
<li>曹操軍を撃破し、曹操自身を敗走させたこと</li>
<li>戦況を冷静に判断して無理な追撃を避けたこと</li>
<li>董卓の死後も王允側に従って戦ったこと</li>
<li>李傕・郭汜らとの戦いで戦死したこと</li>
</ul>
<p>など、非常に興味深い経歴が残されています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>特に重要なのは、徐栄が戦った相手が、</p>
<p>後に三国時代の歴史を大きく動かす孫堅と曹操だったことです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>もし徐栄がその後も生き続けていたなら、</p>
<p>董卓政権崩壊後の群雄割拠の中で、さらに大きな役割を果たしていた可能性もあります。</p>
<p>しかし実際には１９２年に戦死したため、その後の歴史に姿を現すことはありませんでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それでも正史に残された記録を見る限り、徐栄は決して無名の凡将ではありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>むしろ後漢末期の混乱の中で、孫堅と曹操という後の時代を代表する二人の英雄を相次いで撃破したという、</p>
<p>まさに「知られざる名将」だったと評価できる人物だと思われます。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>「古今刀剣録」にみられる魏の伝説の刀剣（曹操,曹芳,鍾会,鄧艾,郭淮,王双,董卓,袁紹,霊帝）</title>
		<link>https://daisuki-sangokushi.com/2024/01/03/%e3%80%8c%e5%8f%a4%e4%bb%8a%e5%88%80%e5%89%a3%e9%8c%b2%e3%80%8d%e3%81%ab%e3%81%bf%e3%82%89%e3%82%8c%e3%82%8b%e9%ad%8f%e3%81%ae%e4%bc%9d%e8%aa%ac%e3%81%ae%e5%88%80%e5%89%a3-%e9%ad%8f%e5%b0%86/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[nekozyarashi]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 02 Jan 2024 15:05:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[董卓]]></category>
		<category><![CDATA[曹操]]></category>
		<category><![CDATA[霊帝]]></category>
		<category><![CDATA[袁紹]]></category>
		<category><![CDATA[曹芳]]></category>
		<category><![CDATA[王双]]></category>
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					<description><![CDATA[陶弘景は六朝（南朝）時代の人物になります。 &#160; ちなみに六朝とは三国時代の孫呉から、 東晋・宋・斉・梁・陳の六つの王朝を示しており、 &#160; 陶弘景はこの中の梁の人物であり、茅山派（道教）の開祖としても知 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 18pt;">陶弘景</span>は六朝（南朝）時代の人物になります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに六朝とは三国時代の孫呉から、</p>
<p>東晋・宋・斉・梁・陳の六つの王朝を示しており、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>陶弘景はこの中の梁の人物であり、茅山派（道教）の開祖としても知られており、</p>
<p>多くの著書を残した人物でもあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今回はそんな陶弘景の書物の中で、</p>
<p>多くの伝説的な刀剣についての記録が残る<span style="font-size: 18pt;">「古今刀剣録」</span>について見ていきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに前回の記事では呉の人物の刀剣についてまとめましたが、</p>
<p>今回は魏の人物をまとめて紹介したいと思います。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">「古今刀剣録」の構成</span></h3>
<p><img decoding="async" class=" wp-image-11249 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2024/01/刀剣伝.png" alt="" width="639" height="426" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2024/01/刀剣伝.png 612w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2024/01/刀剣伝-300x200.png 300w" sizes="(max-width: 639px) 100vw, 639px" /></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">「古今刀剣録」</span>では次のような順番で構成されています。</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">１、各王朝の君主（皇帝・王など）の刀剣について</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">２、五胡十六国時代の君主の刀剣について</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">３、呉の人物の刀剣について</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">４、蜀の人物の刀剣について</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">５、魏の人物の刀剣について</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに曹操・劉備・孫権などの刀剣については、１の各王朝の所で紹介されていますね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>またこの中には袁紹や董卓の刀剣も登場するのですが、</p>
<p>陳寿の「三国志」と同様に、５の魏の人物の所で紹介されている感じです。</p>
<p>※「魏志（三国志）」の第六巻に袁紹と董卓についての列伝が書かれてあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それと「古今刀剣録」には漢王朝の霊帝の逸話もありますので、</p>
<p>折角なので共に紹介したいと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また魏・呉・蜀の人物の刀剣についても個別に確保して記載しているのは、</p>
<p>完全に贔屓的に設けられている感じがします。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>後は補足する点としては、</p>
<p>陳寿の「三国志」では「本記（正統王朝）」を魏としたのと同様に、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「古今刀剣録」でも魏武帝（曹操）といったような呼び方がされており、</p>
<p>劉備を先主と呼び、孫権を呉王（呉主/権）と呼んでる感じですね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに陳寿の三国志では呉の歴代皇帝（権・亮・休・晧）は諱のみで呼ばれているのですが、</p>
<p>まさにここでもそれが反映されています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただはっきりと言ってしまうと、内容は創作的な感じなので、</p>
<p>楽しみながら見るような逸話となってます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>色々とありえない矛盾的な話も多数入っているので、</p>
<p>当時に存在していた民間伝承的な話を取り入れた感じなのかもしれません。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">曹操の刀剣「孟徳」</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-9545 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/曹操高画質.png" alt="" width="734" height="734" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/曹操高画質.png 2000w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/曹操高画質-150x150.png 150w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/曹操高画質-300x300.png 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/曹操高画質-768x768.png 768w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/曹操高画質-1024x1024.png 1024w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/曹操高画質-320x320.png 320w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/曹操高画質-200x200.png 200w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/曹操高画質-100x100.png 100w" sizes="auto, (max-width: 734px) 100vw, 734px" /></p>
<table style="width: 100%;">
<tbody>
<tr>
<td><span style="font-size: 14pt;">魏武帝曹操、以建安二十年、於幽谷得一劍、</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">長三尺六寸、上有金字、銘曰「孟德」。王常服之。</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>「曹操（<ruby>字<rt>あざな</rt></ruby>：孟徳）は、建安二十年（２１５年）に、</p>
<p>奥深い静かな谷で一振りの剣を見つけた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その長さは三尺六寸ほどあり、金文字で<span style="font-size: 18pt;">『孟徳』</span>と銘が刻まれていた。</p>
<p>それからというもの曹操は常に持ち歩いたのであった。」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>建安二十年（２１５年）と言えば、曹操が張魯討伐を成し遂げた年になりますね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして偶然にも「孟徳」と銘が刻まれた剣を見つけたというのも運命めいていますが、</p>
<p>その翌年である建安二十一年（２１６年）には曹操は魏王に昇り詰めています。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">曹芳の刀剣</span></h3>
<table style="width: 100%;">
<tbody>
<tr>
<td><span style="font-size: 14pt;">齊王芳、以正始六年、鑄一劍、常服之。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">無故自失、但有空匣如故。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">後有禪代之事、兆始於此、尋為司馬氏所廢。</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>「正始六年（２４５年）に、曹芳は一振りの剣を造り、常にこれを持ち歩いていた。</p>
<p>それがいつ間にか刀身の部分だけがなくなってしまった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして後に魏は司馬師に国を譲る事になったが、その兆しはこの事より始まった。」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに曹芳は、２５４年に司馬師らによって廃位に・・・</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして次皇帝であった曹髦は殺害され、</p>
<p>その跡を引き継いだ曹奐が司馬炎に禅譲した事で、２６５年に魏は滅亡していますね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この際に司馬懿の弟であった司馬孚は、曹奐の為に涙を流したと言われています。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">鍾会の刀剣「太一」</span></h3>
<table style="width: 100%;">
<tbody>
<tr>
<td><span style="font-size: 14pt;">鍾會（鍾会）、克蜀、於成都土中得一刀、文曰「太一」。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">會死、入帳下王伯升、伯升後渡江、刀遂飛入水。</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>「鍾会は蜀を降した際に、成都の土の中から一振りの刀を手に入れた。</p>
<p>その刀には<span style="font-size: 18pt;">『太一』</span>と銘が刻まれていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし鍾会はその後反乱に失敗して殺害されてしまうと、</p>
<p>鍾会の刀は王伯升という人物の手に移る事となった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして王伯升が長江を渡った後に、刀は自ら水の中へ飛び込んでしまった。」</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">鄧艾の刀剣</span></h3>
<table style="width: 100%;">
<tbody>
<tr>
<td><span style="font-size: 14pt;">鄧艾、年十二、曾讀陳太丘碑、碑下掘得一刀、黑如漆、長三尺余。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">刀上常有氣淒淒然、時人以為神物。</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>「鄧艾はわずか十二才にして、太丘県長であった陳寔の碑文を読んで（感銘を受け）、</p>
<p>碑文の下を掘り起こすと、三尺余り（約７５cm）ある<span style="font-size: 18pt;">漆黒の一振りの刀</span>を発見した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>刀からは凄まじい程の冷気が発せられていたので、人々はまさに神刀であると語った。」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「氣淒淒然」はなかなか聞かない言葉ではありますが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「氣淒」は「凄まじい程の気配がある」といった意味があり、</p>
<p>「淒然」は、「寒・冷・涼」といった意味があります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まぁそもそもの話として、碑文を読んだ後に、</p>
<p>その下を掘ろうと思った鍾会の行動は明らかに異常過ぎますけどね。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">郭淮の刀剣「宜為將」</span></h3>
<table style="width: 100%;">
<tbody>
<tr>
<td><span style="font-size: 14pt;">郭淮、於太原得一刀、文曰「宜為將」。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">後遂為將軍、及與蜀將戰、敗失此刀。</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>「郭淮は太原において、<span style="font-size: 18pt;">『宜為將』</span>と銘が刻まれた一振りの刀を手に入れた。</p>
<p>後に郭淮は将軍となったが、蜀との戦いに敗れた際に刀も失ってしまった。」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただ郭淮は成長していくにつれ大きく成長した人物であり、</p>
<p>「宜為將」の刀に関係なく、最終的に車騎将軍にまで上り詰めていますね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>最終的に２５５年に郭淮は亡くなりますが、死後に大将軍も追贈されていたりもします。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">王双の刀剣「貴人剣」</span></h3>
<table style="width: 100%;">
<tbody>
<tr>
<td><span style="font-size: 14pt;">王雙（王双）、曾於市中買得一刀、賣人曰：「得之者貴。」因不見。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">雙後佩之、為魏將、後與曹真一刀換也。</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>「王双は市場で一振りの刀を手に入れた。</p>
<p>商人は<span style="font-size: 18pt;">『この刀を手に入れた者は貴人になる』</span>と言うと、その姿がみえなくなった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>後に王双は魏の将軍となり、曹真と一振りの刀を交換した。」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>曹真と刀を交換した事で、<span style="font-size: 18pt;"><span style="font-size: 12pt;">王双の</span>「貴人刀」</span>は曹真の下へ・・・</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>実際に曹真は大将軍、そして大司馬にまで昇り詰める事が出来たのは、</p>
<p>王双と交換した「貴人刀」のお陰だったのかもしれませんね。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">董卓の刀剣「項羽の刀」</span></h3>
<p>ここからは<span style="font-size: 12pt;">魏の人物以外の登場</span>になります。</p>
<table style="width: 100%;">
<tbody>
<tr>
<td><span style="font-size: 14pt;">董卓、少時耕野、得一刀、無文字、四面隱起作山雲文、斸玉如泥。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">及卓貴、示五官郎將蔡邕、邕曰「此項羽之刀也」。</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>「若かりし頃の董卓が畑を耕していると、名もなき一振りの刀を発見した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>四面は隆起しており、山雲のような模様も入っており、</p>
<p>玉でさえも泥のように簡単に斬る事ができた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>後に董卓が出世していき、ある時に董卓は五管郎であった蔡邕に尋ねると、</p>
<p><span style="font-size: 18pt;">『これは項羽の刀である』</span>という事が分かった。」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>項羽はかつて劉邦と天下を争った人物でもあるのですが、</p>
<p>最終的に滅亡を辿った人物でもあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そんな項羽の刀を手に入れた董卓ですが、</p>
<p>結果として項羽と同じような末路を辿っていますね。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">袁紹の刀剣「思召」</span></h3>
<table style="width: 100%;">
<tbody>
<tr>
<td><span style="font-size: 14pt;">袁紹、在黎陽夢有一神授一寶刀、及覺、果在臥所、銘曰「思召」。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">紹解之曰：「思召、紹字也」。</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>「袁紹は<span style="font-size: 12pt;">黎陽にいた時に、紙から一振りの宝刀を授かる夢を見た。</span></p>
<p>目が覚めるとそこには、<span style="font-size: 18pt;">『思召』</span>と銘が刻まれた夢の中での刀があったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>袁紹は『<span style="font-size: 12pt;">思召という文字は、</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">神が私の諱（紹）を銘に刻んだのだ！</span>』と解釈したのであった。」</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">霊帝（劉宏）の刀剣「中興」</span></h3>
<p>そして折角なので魏の人物とは関係ないのですが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>後漢皇帝である霊帝の話も、</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">各王朝の君主（皇帝・王など）</span>の所に記載が残っていますので、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>おまけ的に最後に紹介したいと思います。</p>
<table style="width: 100%;">
<tbody>
<tr>
<td><span style="font-size: 14pt;">靈帝宏、在位二十二年、以建寧三年、鑄四劍、文曰「中興」。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">一劍無故自失。並小篆書。</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>「霊帝は皇帝の位に在位すること二十二年、</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">建寧三年（１７０年）に<span style="font-size: 18pt;">『中興』</span>と銘が刻まれた剣を四振り作った。</span></p>
<p>しかし一振りの剣が無くなってしまった。」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>霊帝は暗愚とされる事も多いですが、</p>
<p>色々と漢王朝に権威を取り戻すために様々な政策をした人物でもあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>例えば官位の売り出しにより、経済難を少しでもなくそうとしたり、</p>
<p>曹操や袁紹が任じられた西園八校尉であったり、劉焉の提案により「州牧制」を採用したりと・・・</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>霊帝の剣に刻まれた銘からも、</p>
<p>漢王朝を良い方向に再生させたかったのが伺えたりはしますが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>漢王朝は滅亡への一途を辿ってしまいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そんな未来を暗示した様な逸話かなと思いますね。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>蔡邕 -董卓に絶大な信頼を寄せられた学者-</title>
		<link>https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/18/%e8%94%a1%e9%82%95-%e8%91%a3%e5%8d%93%e3%81%ab%e7%b5%b6%e5%a4%a7%e3%81%aa%e4%bf%a1%e9%a0%bc%e3%82%92%e5%af%84%e3%81%9b%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%ad%a6%e8%80%85/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[nekozyarashi]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 18 Oct 2020 06:57:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[蔡邕]]></category>
		<category><![CDATA[侍中]]></category>
		<category><![CDATA[五原太守]]></category>
		<category><![CDATA[呂強]]></category>
		<category><![CDATA[「魏志」董卓伝]]></category>
		<category><![CDATA[尚書]]></category>
		<category><![CDATA[密告]]></category>
		<category><![CDATA[放浪生活]]></category>
		<category><![CDATA[六経検定]]></category>
		<category><![CDATA[王粲]]></category>
		<category><![CDATA[揚州呉郡]]></category>
		<category><![CDATA[東観]]></category>
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		<category><![CDATA[建安七子]]></category>
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		<category><![CDATA[熹平石経]]></category>
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		<category><![CDATA[朔方郡]]></category>
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		<category><![CDATA[洛陽城南太学]]></category>
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		<category><![CDATA[橋玄]]></category>
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		<category><![CDATA[賄賂]]></category>
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		<category><![CDATA[霊帝の死]]></category>
		<category><![CDATA[英雄記]]></category>
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					<description><![CDATA[暴虐政治によって民衆を恐怖に陥れた董卓でしたが、 そんな董卓が高く評価し、大きな信頼を寄せた人物がいました。 &#160; 娘の蔡琰さいえん（蔡文姫）の方が有名だったりしますが、 ここでは彼女の父親でもある蔡邕さいように [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>暴虐政治によって民衆を恐怖に陥れた董卓でしたが、</p>
<p>そんな董卓が高く評価し、大きな信頼を寄せた人物がいました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>娘の<span style="font-size: 18pt;"><ruby>蔡琰<rt>さいえん</rt></ruby>（蔡文姫）</span>の方が有名だったりしますが、</p>
<p>ここでは彼女の父親でもある<span style="font-size: 18pt;"><ruby>蔡邕<rt>さいよう</rt></ruby></span>についてのお話になります。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">橋玄に高い評価を受けた蔡邕</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-13220 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/蔡邕.png" alt="" width="737" height="429" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/蔡邕.png 991w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/蔡邕-300x175.png 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/蔡邕-768x447.png 768w" sizes="auto, (max-width: 737px) 100vw, 737px" /></p>
<p><span style="font-size: 10pt;">蒼天航路（６巻１６８P）より画像引用</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 18pt;">若かりし頃の蔡邕</span>は、</p>
<p><span style="font-size: 18pt;">橋玄</span>から非常に高い評価を受けたことで知られています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「橋玄って誰ですか？」</span>って思う人もいるかもしれませんが、</p>
<p>司空→司徒→大尉として三公全てを歴任した人物であり、人物評としても有名な人物になります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まぁ人物評の評価が高い事で、他の功績については薄れがちですが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>異民族との争いにもきちんと成果を出した人物でもあり、</p>
<p>辺境安定に力を尽くした人物でもあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>橋玄がどんな評価をしていたのかということですが、</p>
<p>一番分かりやすい例としてあげるとすれば、曹操との逸話だと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>当時無名であった曹操に対して、最初に高い評価を与えたのがこの橋玄でした。</p>
<p>むしろ曹操の名声が高めるきっかけを与えた人物だといっていいでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>橋玄は曹操を見て、次のように語った逸話が残されています。</p>
<table style="height: 38px;" width="100%">
<tbody>
<tr>
<td style="width: 559px;">「私はこれまで沢山の人物を見てきたが、</p>
<p>貴方のような人物に巡り合うことはこれまでなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>私はもうこのように老いてしまった。</p>
<p>できれば私の妻子を貴方に託したいものである。」</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに曹操の評価として一番有名なのが、</p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><span style="font-size: 12pt;"><span style="font-size: 18pt;"><ruby>許劭<rt>きょしょう</rt></ruby>の</span></span>「治世の能臣、乱世の奸雄」</span>というものだと思いますが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>許劭への橋渡しをしたのも曹操に惚れ込んだ橋玄になります。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="ViFZ22saWe"><p><a href="https://daisuki-sangokushi.com/2018/10/15/%e6%b2%bb%e4%b8%96%e3%81%ae%e8%83%bd%e8%87%a3%e3%80%81%e4%b9%b1%e4%b8%96%e3%81%ae%e5%a5%b8%e9%9b%84/">「治世の能臣、乱世の奸雄」</a></p></blockquote>
<p><iframe loading="lazy" class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;「治世の能臣、乱世の奸雄」&#8221; &#8212; なんでも三国志" src="https://daisuki-sangokushi.com/2018/10/15/%e6%b2%bb%e4%b8%96%e3%81%ae%e8%83%bd%e8%87%a3%e3%80%81%e4%b9%b1%e4%b8%96%e3%81%ae%e5%a5%b8%e9%9b%84/embed/#?secret=swiQNZuESP#?secret=ViFZ22saWe" data-secret="ViFZ22saWe" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">「六経」検定という大偉業</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4688 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/碑文.jpg" alt="" width="741" height="481" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/碑文.jpg 3865w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/碑文-300x195.jpg 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/碑文-768x499.jpg 768w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/碑文-1024x665.jpg 1024w" sizes="auto, (max-width: 741px) 100vw, 741px" /></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">蔡邕</span>は<span style="font-size: 18pt;">河平県長</span>を経て中央に呼び戻され、<span style="font-size: 18pt;">郎中</span>を任される事になります。</p>
<p>この時に「東観」で書物に接する機会があったようです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そしてその後に<span style="font-size: 18pt;">議郎</span>へと昇進しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>蔡邕は東観の書物があまりに古い上に、誤字も多かったことに大変な懸念を示したそうです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>蔡邕はこれらの書物を新しく正しいものにきちんと訂正しないと、</p>
<p>謝った解釈が後の世に伝わる可能性があると考えます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして熹平四年（１７５年）に、六経の文字を校訂するよう霊帝に奏上して認められています。</p>
<p>この時に蔡邕と共に校定した人物として、次のような者達がいます。</p>
<ul>
<li>堂谿典（五官中郎將）</li>
<li>楊賜（光祿大夫）</li>
<li>馬日磾（諫議大夫）</li>
<li>張馴（議郎）</li>
<li>韓説（議郎）</li>
<li>單颺（太史令）</li>
</ul>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>蔡邕は誤字などを自ら訂正し、それを洛陽城南太学の門外に石碑として残したといいます。</p>
<p>またこの碑文を一目見ようと毎日長蛇の列ができたと言われています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみにこれは<span style="font-size: 18pt;">「<ruby>熹平石経<rt>きへいせきけい</rt></ruby>」</span>として今に伝わっていますね。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">約１２年間の放浪生活</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4689 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/巻物地図.png" alt="" width="747" height="360" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/巻物地図.png 772w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/巻物地図-300x145.png 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/巻物地図-768x370.png 768w" sizes="auto, (max-width: 747px) 100vw, 747px" /></p>
<p>漢王朝の中にあって頭角を現した蔡邕でしたが、</p>
<p><span style="font-size: 18pt;">劉郃（司徒）・<ruby>程曠<rt>ていこう</rt></ruby>・陽球</span>に疎まれてしまい、嘘の証言によって処刑されそうになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただ蔡邕の無実を訴え出す者のお陰で、</p>
<p>頭髪を<ruby>剃</ruby>って<ruby>首枷</ruby>をはめる罰を言いわたされ、<span style="font-size: 18pt;">并州<ruby>朔方郡<rt>さくほうぐん</rt></ruby>への流刑</span>で済まされています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この時に蔡邕を擁護した人物は、<span style="font-size: 18pt;">呂強</span>という中常侍でしたが、</p>
<p>呂強はこの時代には珍しいほど後漢王朝を憂いていた宦官の一人だったのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに後日談になりますが、</p>
<p>呂強が気に入らない他の中常侍（趙忠・夏惲）に嵌められる形で自殺して果てています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただ蔡邕の流刑に納得がいかなかった<span style="font-size: 12pt;"><span style="font-size: 18pt;">陽球</span>は</span>、</p>
<p>現地へと赴く最中に<span style="font-size: 18pt;">刺客</span>を数人送ったり、刺史や太守に<span style="font-size: 18pt;">賄賂</span>を送って殺害を試みました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし誰もが蔡邕が清廉さに溢れた人物であった為に、</p>
<p>誰も蔡邕を殺害せず、逆に蔡邕に注意するように促したといいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>彼らの言葉を聞き入れた蔡邕は、</p>
<p>難を逃れる意味でも<ruby>朔方郡へは行かず、隣の</ruby><span style="font-size: 18pt;"><ruby>五原郡</ruby></span><ruby><span style="font-size: 18pt;">安陽県</span>に移り住みます。</ruby></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それから九カ月ほどして、</p>
<p>大赦のお陰によって蔡邕の罪は許される事になります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この時に<span style="font-size: 18pt;">五原太守の王智</span>が蔡邕の送別会を催してくれたわけですが、</p>
<p>自分と共に舞を踊るように催促するも、蔡邕がその言葉に耳を傾ける事はありませんでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この態度が気に食わなかった王智は、</p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「蔡邕は流刑にされた事を深く恨んでおりました。」</span></p>
<p>と洛陽へ密かに報告をいれたのでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その事を知った蔡邕は、またしても難を逃れる意味でも、</p>
<p>家族を連れて長江を渡り、揚州の呉郡でや会稽郡へと逃れています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして蔡邕が定着した<span style="font-size: 18pt;">揚州呉郡</span>での生活は、</p>
<p>董卓に呼び出される１８９年までの約１０年にわたって続いたと言われています。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">霊帝の死と宮中の混乱</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4690 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/劉弁と劉協の関係２.jpg" alt="" width="760" height="435" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/劉弁と劉協の関係２.jpg 766w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/劉弁と劉協の関係２-300x172.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 760px) 100vw, 760px" /></p>
<p>１８９年に<span style="font-size: 18pt;">霊帝が崩御</span>すると、</p>
<p>外戚の何進と宦官が後継者争いで激突し、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>結果は何進は宦官によって殺害され、</p>
<p>一方の宦官も、何進の部下であった袁紹らに誅殺されてしまいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そしてその混乱に乗じたのが<span style="font-size: 18pt;">董卓</span>でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓は洛陽への入城を果たし、独裁政治を強いていくのですが、</p>
<p>かねてより蔡邕という人物に興味を持っていた董卓は洛陽へ呼び寄せる為に人を送ります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし中央政権に嫌気がさしていた蔡邕は病を理由に、董卓からの誘いを断りました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これに対して董卓は大変に怒り、蔡邕に対して脅しをかけるわけですが、</p>
<p>これによって蔡邕は洛陽へと上洛し、董卓に仕えることになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓はこれを大変に喜ぶと共に、</p>
<p>三日間で<span style="font-size: 18pt;"><ruby>尚書</ruby>・<ruby>御史</ruby><ruby></ruby>・<ruby>謁者<rt>えっしゃ</rt></ruby><ruby></ruby></span>と次々に出世するほどの待遇でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その後に巴郡太守（益州）に任じられたものの、</p>
<p>そのまま中央に留まったことで、蔡邕は<span style="font-size: 18pt;">侍中</span>に任じられています。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="4UptGNTbAa"><p><a href="https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/04/%e8%91%a3%e5%8d%93-%e4%b8%89%e5%9b%bd%e4%b9%b1%e4%b8%96%e3%82%92%e5%8a%a0%e9%80%9f%e3%81%95%e3%81%9b%e3%81%9f%e6%9a%b4%e5%90%9b/">董卓 -三国乱世を加速させた暴君-</a></p></blockquote>
<p><iframe loading="lazy" class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;董卓 -三国乱世を加速させた暴君-&#8221; &#8212; なんでも三国志" src="https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/04/%e8%91%a3%e5%8d%93-%e4%b8%89%e5%9b%bd%e4%b9%b1%e4%b8%96%e3%82%92%e5%8a%a0%e9%80%9f%e3%81%95%e3%81%9b%e3%81%9f%e6%9a%b4%e5%90%9b/embed/#?secret=ii3NadMZo8#?secret=4UptGNTbAa" data-secret="4UptGNTbAa" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">董卓の鎮静剤</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-13219 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/董卓と蔡邕-1.png" alt="" width="729" height="1191" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/董卓と蔡邕-1.png 576w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/董卓と蔡邕-1-184x300.png 184w" sizes="auto, (max-width: 729px) 100vw, 729px" /></p>
<p><span style="font-size: 10pt;">蒼天航路（６巻１７３P）より画像引用</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓の勢いは天を衝くほどで、</p>
<p>劉弁（少帝）から劉協（献帝）に皇帝を変更したり、</p>
<p>反董卓連合の誕生によったりで、長安へと遷都を決定しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして蔡邕ですが、董卓に従って長安へ随行しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>献帝を擁立する際には、盧植が大反対をしたのに対し、</p>
<p>董卓は盧植を処刑しようとしますが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>盧植を擁護したのが旧知の中であった蔡邕、そして彭伯の擁護のお陰で、</p>
<p>盧植が処刑されることはありませんでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また朝廷から出される草稿のすべてが、</p>
<p>蔡邕によって書かせたものだと言われているほどだったといいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それほどまでに董卓は蔡邕を大変信頼していたのでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただ蔡邕の言葉に耳を傾ける事もあった董卓ですが、</p>
<p>傾けない事も多々あったこともあり、蔡邕は董卓の元を去る事を考えたようですが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>従弟である<ruby>蔡谷の意見を聞いて、これを取りやめたといいます。</ruby></p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">董卓の死＆蔡邕の死</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-13216 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/蔡邕の最期.png" alt="" width="724" height="800" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/蔡邕の最期.png 545w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/蔡邕の最期-272x300.png 272w" sizes="auto, (max-width: 724px) 100vw, 724px" /></p>
<p><span style="font-size: 10pt;">蒼天航路（７巻７４P）り画像引用</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 18pt;">王允</span>が董卓の部下である<span style="font-size: 18pt;">呂布</span>を裏切らせたことで、<span style="font-size: 18pt;">董卓殺害に成功</span>します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この時に董卓の一族はことごとく処刑されることになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 18pt;">「魏志」董卓伝の裴松之注（英雄記）</span>には、</p>
<p>卓の一族である董旻・董璜も殺害され、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>九十歳を超えていた董卓の母が助命しても許されることなく、その場で首を刎ねられたといいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに<span style="font-size: 14pt;">「董卓のへそに火を灯すと、数日間燃え続けた」</span>という逸話も、</p>
<p>「英雄記」の中の逸話であったりします。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただ王允のやり方は徹底的に排除するというもので、</p>
<p>李傕・郭汜らが王允に降ろうとするのも許さない程に徹底的なものでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それが後に裏目になり、</p>
<p>賈詡の助言を聞き入れた李傕・郭汜によって長安を落とされてしまうわけですが・・・</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そんな中で王允の前で話題にし、溜息をついた蔡邕を不快に思った王允は、</p>
<p>蔡邕を捕らえ、きつい取り調べを行ったのでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>私が思うに蔡邕は、董卓が死んだことに対しての溜息ではなく、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>最後まで董卓の暴政を抑える事ができなかった自分自身の不甲斐なさに対して、</p>
<p>心の声が漏れて溜息をしてしまったのではないかと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その後に蔡邕は王允に深く謝罪をし、</p>
<p>罪深き罪人に処される黥刑（額に入れ墨）・足の切断刑になってもよいので、</p>
<p><span style="font-size: 18pt;">「漢王朝の歴史を編纂させて頂きたい」</span>と願い出ただけでなく、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>多くの者達が蔡邕の助命嘆願を願い出るも、蔡邕は最期まで許される事はありませんでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただ蔡邕を死なせてしまった事と、王允の旧董卓勢力に対する対応の悪さから、</p>
<p>上でも少し触れましたが、李傕・郭汜によって長安は攻め落とされます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>呂布は逃亡し、王允が処刑された事で、</p>
<p>董卓殺害に伴う混乱は一段落つくこととなったのでした。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">蔡邕に認められた阮瑀・王粲</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-11893 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2024/02/孔雀派.png" alt="" width="498" height="398" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2024/02/孔雀派.png 768w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2024/02/孔雀派-300x240.png 300w" sizes="auto, (max-width: 498px) 100vw, 498px" /></p>
<p>蔡邕が世に残した功績は大きく、</p>
<p>建安七子で知られる<span style="font-size: 18pt;"><ruby>阮瑀<rt>げんう</rt></ruby></span>（白眼視で知られる阮籍の父）や<span style="font-size: 18pt;"><ruby>王粲<rt>おうさん</rt></ruby></span>の師でもありました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>後の建安七子と呼ばれる七人のうちの二人を見出したのですから、</p>
<p>蔡邕が大変に優れていたかの一つの証明にもなると思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして阮瑀は曹丕によって次のようにも評価された事でも知られています。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「陳琳殿と阮瑀殿が表現するに勝る人物はいないであろう。」</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>軽く補足しておきますが、陳琳も阮瑀・王粲同様に建安七子の一人になります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また一方の王粲に関しては、</p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「王粲はまだ若い人物だが、非常に卓越した才能を持ち合わせており、</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">私の才能をもってしても敵わない程の人物である。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 14pt;">もし必要があるならば、</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">私の家にある書物は好き勝手に持ち帰って頂きたい。」</span></p>
<p>と蔡邕が王粲をべた褒めした逸話も残されています。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="RlEfLEmeec"><p><a href="https://daisuki-sangokushi.com/2019/10/25/%e4%ba%ba%e4%b8%a6%e5%a4%96%e3%82%8c%e3%81%9f%e8%a8%98%e6%86%b6%e5%8a%9b%e3%81%ae%e6%8c%81%e3%81%a1%e4%b8%bb%e3%80%8c%e7%8e%8b%e7%b2%b2%e3%80%8d/">人並外れた記憶力の持ち主「王粲」</a></p></blockquote>
<p><iframe loading="lazy" class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;人並外れた記憶力の持ち主「王粲」&#8221; &#8212; なんでも三国志" src="https://daisuki-sangokushi.com/2019/10/25/%e4%ba%ba%e4%b8%a6%e5%a4%96%e3%82%8c%e3%81%9f%e8%a8%98%e6%86%b6%e5%8a%9b%e3%81%ae%e6%8c%81%e3%81%a1%e4%b8%bb%e3%80%8c%e7%8e%8b%e7%b2%b2%e3%80%8d/embed/#?secret=sbrVyqzzwb#?secret=RlEfLEmeec" data-secret="RlEfLEmeec" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>牛輔 -董卓に勝るとも劣らない大虐殺を行った娘婿-</title>
		<link>https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/17/%e7%89%9b%e8%bc%94-%e8%91%a3%e5%8d%93%e3%81%ab%e5%8b%9d%e3%82%8b%e3%81%a8%e3%82%82%e5%8a%a3%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84%e5%a4%a7%e8%99%90%e6%ae%ba%e3%82%92%e8%a1%8c%e3%81%a3%e3%81%9f%e5%a8%98%e5%a9%bf/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[nekozyarashi]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 17 Oct 2020 14:20:28 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[牛輔]]></category>
		<category><![CDATA[朱儁との戦い]]></category>
		<category><![CDATA[董卓の娘婿]]></category>
		<category><![CDATA[攴胡赤児]]></category>
		<category><![CDATA[大虐殺]]></category>
		<category><![CDATA[中郎将]]></category>
		<category><![CDATA[李傕・郭汜の上司]]></category>
		<category><![CDATA[李粛]]></category>
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					<description><![CDATA[董卓の娘婿と言って真っ先に出てくる人物は、 董卓の参謀だった李儒が出てくるのではないでしょうか？ &#160; しかしこれはあくまで三国志演義での設定であり、 三国志正史ではというと、そもそも李儒は登場していません。 李 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>董卓の娘婿と言って真っ先に出てくる人物は、</p>
<p>董卓の参謀だった李儒が出てくるのではないでしょうか？</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかしこれはあくまで三国志演義での設定であり、</p>
<p>三国志正史ではというと、そもそも李儒は登場していません。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="fF2K4rowAU"><p><a href="https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/11/%e6%9d%8e%e5%84%92-%e8%91%a3%e5%8d%93%e3%82%92%e5%a4%a7%e9%ad%94%e7%8e%8b%e3%81%b8%e4%bb%95%e7%ab%8b%e3%81%a6%e4%b8%8a%e3%81%92%e3%81%9f%e5%8f%82%e8%ac%80/">李儒 -董卓を大魔王へ仕立て上げた参謀-</a></p></blockquote>
<p><iframe loading="lazy" class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;李儒 -董卓を大魔王へ仕立て上げた参謀-&#8221; &#8212; なんでも三国志" src="https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/11/%e6%9d%8e%e5%84%92-%e8%91%a3%e5%8d%93%e3%82%92%e5%a4%a7%e9%ad%94%e7%8e%8b%e3%81%b8%e4%bb%95%e7%ab%8b%e3%81%a6%e4%b8%8a%e3%81%92%e3%81%9f%e5%8f%82%e8%ac%80/embed/#?secret=tq1okiIXKd#?secret=fF2K4rowAU" data-secret="fF2K4rowAU" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>では実際に娘婿だった人物はいないかというと・・・</p>
<p>結論から言うと、牛輔という人物が董卓の娘婿にあたります。</p>
<h3>牛輔（ぎゅうほ）</h3>
<p>牛輔という人物が登場するのは、</p>
<p>董卓が洛陽入城を果たした頃になります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>そこで牛輔という人物が董卓の娘婿という立場で登場しており、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>董一族の一人として取り立てられたということでしょうね。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この時に牛輔は、董卓より「中郎将」に任じられています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この中郎将という役職は、少し曖昧な役職になるんですが、</p>
<p>後漢末期の時代には、この「中郎将」という役職名は色々と登場します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>羽林中郎将・五官中郎将等多くの「中郎将」があるからです。</strong></span></p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>特にこの時代、各地の有力者（群雄）が勝手に中郎将を作ることなんてざらにありました。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>代表的な所で言うと、</p>
<p>劉備が諸葛亮を任じた軍師中郎将とかもその一つになりますね。</p>
<h3>董卓の長安遷都</h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4627 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/中心都市.jpg" alt="" width="759" height="426" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/中心都市.jpg 1038w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/中心都市-300x168.jpg 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/中心都市-768x431.jpg 768w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/中心都市-1024x575.jpg 1024w" sizes="auto, (max-width: 759px) 100vw, 759px" /></p>
<p>袁紹を盟主とした反董卓連合が結成されると、</p>
<p>董卓は後漢で長らく都であった洛陽から長安へ遷都を実行するのですが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>この時、反董卓連合から長安を守る為に、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>「陝」に駐屯して東からやってくる可能性がある反董卓連合に備える事になったわけです。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>重要な役割であったからこそ、一族の牛輔に任せたのでしょう。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また牛輔が「陝」を守る事になった際に、</p>
<p>董卓は李傕・郭汜といった人物を牛輔の配下として配属させています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>李傕・郭汜といえば、董卓軍をある意味代表する人物なので、</p>
<p>それだけ董卓が牛輔を信頼していたからだろうし、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>なにより「陝」という土地が、</p>
<p>長安を守る上で重要な役割を果たしていたのだと思われます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>実際、その後の反董卓連合は仲違いを始め、</p>
<p>長安へ攻め込んでくることなく、消滅する事になったわけですけどね。</p>
<h3>牛輔の大虐殺</h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-1478 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2019/10/連合-1.png" alt="" width="755" height="356" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2019/10/連合-1.png 727w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2019/10/連合-1-300x142.png 300w" sizes="auto, (max-width: 755px) 100vw, 755px" /></p>
<p>董卓が洛陽入城を果たした後、</p>
<p>袁紹を盟主とした反董卓連合が結成されるんですが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>この時に袁紹・袁術はじめ多くの者達が董卓に反旗を翻しますが、</strong></span></p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>黄巾賊討伐で活躍した朱儁もまたその一人でした。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また董卓も朱儁と馬が合わず、表向きは朱儁を採り立てますが、</p>
<p>心の中では「気に食わない奴」という感じだったわけです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓が洛陽から長安へ遷都すると、</p>
<p>洛陽守備の一人として、朱儁に洛陽を任せていますが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>朱儁はこれを機に董卓に反旗を翻すことを決意し、</p>
<p>山東にいた反董卓勢力と内応する約束までとりつけることを密約。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかしここまで来て、</p>
<p>朱儁は董卓に恐れをなし荊州の劉表の元へ逃亡するわけですが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それからまた朱儁の気が変わたのか、</p>
<p>兵士を率いて再度洛陽へ戻ってきたのでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>そして朱儁は董卓から任じられた司州の<ruby>河南尹<rt>かなんい</rt></ruby>（郡）太守を追い払ってしまいます。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>これに怒った董卓は、牛輔に数万の兵を率いさせて朱儁を攻撃させ、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>朱儁軍を見事に撃退してしまうことに成功！</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>勢いに乗った牛輔軍は、陳留・潁川方面まで追撃の手を緩めず、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>牛輔が通った後には誰一人生残った者はいないとまで言われたほどだったそうです。</strong></span></p>
<h3>王允・呂布による董卓の殺害</h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-2533 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/03/王允と呂布.png" alt="" width="412" height="318" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/03/王允と呂布.png 703w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/03/王允と呂布-300x232.png 300w" sizes="auto, (max-width: 412px) 100vw, 412px" /></p>
<p>董卓の専横に腹を立てた王允が呂布を抱き込み、董卓の殺害を成功させます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>そして王允・呂布は、董卓の一族を処刑していくのですが、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>この時に董卓の娘婿であった牛輔も例外ではなく、牛輔の討伐を李粛に命じました。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>しかし牛輔は李粛の討伐軍を見事に撃退します。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この際に牛輔討伐に失敗した李粛はというと、呂布の怒りを買って殺されてしまっています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみにですが、呂布と李粛は古くからの親友であり、</p>
<p>それを利用して丁原から呂布を董卓に寝返らせたのも李粛でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また董卓殺害時には呂布の味方をしてもいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それだけ深い関係があった二人でしたが、</p>
<p>呂布は牛輔討伐に失敗した李粛を許すことはなかったのです。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="x3Lit7MBP0"><p><a href="https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/04/%e8%91%a3%e5%8d%93-%e4%b8%89%e5%9b%bd%e4%b9%b1%e4%b8%96%e3%82%92%e5%8a%a0%e9%80%9f%e3%81%95%e3%81%9b%e3%81%9f%e6%9a%b4%e5%90%9b/">董卓 -三国乱世を加速させた暴君-</a></p></blockquote>
<p><iframe loading="lazy" class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;董卓 -三国乱世を加速させた暴君-&#8221; &#8212; なんでも三国志" src="https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/04/%e8%91%a3%e5%8d%93-%e4%b8%89%e5%9b%bd%e4%b9%b1%e4%b8%96%e3%82%92%e5%8a%a0%e9%80%9f%e3%81%95%e3%81%9b%e3%81%9f%e6%9a%b4%e5%90%9b/embed/#?secret=6NXCw59lX9#?secret=x3Lit7MBP0" data-secret="x3Lit7MBP0" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<h3>牛輔の最後</h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4349 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—peach-blossom-ink-floral-border_4025067.png" alt="" width="334" height="334" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—peach-blossom-ink-floral-border_4025067.png 2000w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—peach-blossom-ink-floral-border_4025067-150x150.png 150w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—peach-blossom-ink-floral-border_4025067-300x300.png 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—peach-blossom-ink-floral-border_4025067-768x768.png 768w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—peach-blossom-ink-floral-border_4025067-1024x1024.png 1024w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—peach-blossom-ink-floral-border_4025067-320x320.png 320w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—peach-blossom-ink-floral-border_4025067-200x200.png 200w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—peach-blossom-ink-floral-border_4025067-100x100.png 100w" sizes="auto, (max-width: 334px) 100vw, 334px" /></p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>李粛を見事に撃退した牛輔でしたが、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>董卓が殺された事を知った兵士の一部が反乱を起こします。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>この状況を見た牛輔は、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>自軍の兵士が皆で反乱を起こしたと勘違いを起こしてしまいます。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓が呂布の裏切りにあって殺されている時期ですし、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>誰が裏切ってもおかしくない状況だった為に、</p>
<p>牛輔は過剰に反応してしまい、判断を大きく誤ってしまったのでしょう。</p>
<h4>攴胡赤児の裏切り</h4>
<p>兵士全体が反乱を起こしたと勘違いした牛輔は、</p>
<p>信頼できる側近数名を集め、急いで城から脱出を試みます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この数名の中に<ruby>攴胡赤児<rt>ほくこせきじ</rt></ruby>という少し変わった名前の人物がいました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみにこの<ruby>攴胡赤児は、</ruby>三国志演義では胡赤児という名前で登場していますが、</p>
<p>張繍配下の<ruby>胡車児<rt>こしゃじ</rt></ruby>とはまた別の人物になります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただ二人ともどちらも董卓配下ということになりますし、</p>
<p>生きていた時期も近いですし、同じ人物の気も少なからずしますね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ここまで呼び名が似た姓名は三国時代この二人以外見られませんし・・・</p>
<p>ただやはり記録的に言うと、二人は全く別の人物という事になっています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong><ruby>攴胡赤児は、牛輔に重く採り立てられていましたが、</ruby></strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>牛輔が逃げる際に持ち出していた財宝に目がくらんで牛輔を殺害する事を決意！</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>牛輔に対して「城の北側に逃げる為の馬を準備した」と言って、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2eed3;"><strong>牛輔の腰に巻いた縄を城壁の上からゆっくりと降ろします。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかしこれはもともと<ruby>攴胡赤児の計画で、</ruby></p>
<p>城壁から降ろす途中で牛輔の腰に巻いた縄を放してしまったのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これにより牛輔は死にまではしなかったものの、</p>
<p>腰を強く打って動けない状態になってしまいました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>そして<ruby>攴胡赤児は</ruby>動けない牛輔の前まで行き、</strong></span></p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>牛輔をそのまま殺害すると、牛輔の財宝を全て奪ってしまいます。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>その後、<ruby>攴胡赤児は牛輔の首を持って王允・呂布の元へ走り、</ruby></strong></span></p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>更に褒美をもらったということです。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓に重用されていた牛輔でしたが、</p>
<p>董卓の死と共に時代の流れから静かに消えていったのでした。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>華雄 -三国志演義で関羽の引き立て役になる為に史実以上の活躍を与えられた猛将-</title>
		<link>https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/12/%e8%8f%af%e9%9b%84-%e4%b8%89%e5%9b%bd%e5%bf%97%e6%bc%94%e7%be%a9%e3%81%a7%e9%96%a2%e7%be%bd%e3%81%ae%e5%bc%95%e3%81%8d%e7%ab%8b%e3%81%a6%e5%bd%b9%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%81%a3%e3%81%9f%e7%8c%9b%e5%b0%86/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[nekozyarashi]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 11 Oct 2020 15:11:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[華雄]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://daisuki-sangokushi.com/?p=4641</guid>

					<description><![CDATA[三国志演義で、董卓軍のなかにあって、 反董卓連合の武将どもを何人も討ち取った猛将として描かれていた華雄、 &#160; そんな華雄の生涯を、 正史と三国志演義と比較しながら掘り下げてみたいと思います。 正史での華雄（かゆ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>三国志演義で、董卓軍のなかにあって、</p>
<p>反董卓連合の武将どもを何人も討ち取った猛将として描かれていた華雄、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そんな華雄の生涯を、</p>
<p>正史と三国志演義と比較しながら掘り下げてみたいと思います。</p>
<h3>正史での華雄（かゆう）</h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4648 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/華雄.jpg" alt="" width="769" height="427" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/華雄.jpg 342w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/華雄-300x167.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 769px) 100vw, 769px" /></p>
<p><span style="font-size: 8pt;">横山光輝三国志（5巻38P）より画像引用</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>三国志演義では猛将として華麗な登場を見せた華雄でしたが、</p>
<p>正史の中で華雄の名が出てくるのは、孫堅との陽人の戦いにおいてです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>華雄が登場した背景として、</p>
<p>董卓の暴政に対して反董卓連合が結成されたタイミングでもありますね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓は、袁紹を盟主とする反董卓連合に対して、</p>
<p>河陽津で王匡を、滎陽汴水で曹操・鮑信を、梁県で孫堅を破り、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>各方面での戦いを優位に展開していました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そのような折りに、孫堅が占領した陽人城に向けて、</p>
<p>董卓は胡軫を総大将として、呂布・華雄を派遣しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし総大将であった胡軫と呂布の間柄は悪く、</p>
<p>常日頃から互いを嫌っていたようです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それがきっかけで最終的に華雄は死んでしまう事になるわけですが・・・</p>
<h4>呂布のせいで不遇の死を迎えた華雄</h4>
<p>胡軫と呂布の関係が悪かったことが、</p>
<p>陽人の戦いで董卓軍の敗北につながることになるのですが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>呂布は胡軫を貶めるために、自軍に対して</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong><span style="font-size: 18pt; background-color: #f2ebcb;">「孫堅は既に撤退して、</span></strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong><span style="font-size: 18pt; background-color: #f2ebcb;">陽人城に残っている兵は少数である！」</span>と言って、</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>準備万端で待ち構えていた陽人城へ胡軫は進軍して返り討ちにあってしまいます。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>撤退後、戦に備えて休んでいた夜中に、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>呂布が再度胡軫を貶めるために<span style="font-size: 18pt; background-color: #f2ebcb;">「孫堅軍が突撃してきたぞ！」</span>と大騒ぎを始め、</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>それによって休んでいた兵士達は混乱を起こし、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>鎧や武器を手にする間もなく、逃げて行ったと言われています。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それから孫堅が出陣していない事を知った胡軫は、</p>
<p>軍をまとめなおして、再度孫堅が守る陽人城へ向けて出陣しますが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>孫堅が準備万端で待ち構えていた事と、</p>
<p>これまでの呂布の仕業によって士気が低下していた事もあって、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この戦いは孫堅の勝利で幕を閉じました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>しかし再度攻撃をしかけた際に、華雄は胡軫の身代わりになった形で、</strong></span></p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>孫堅軍によって討ち取られてしまったという感じですね。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>ちなみに華雄の首は、</strong></span></p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>孫堅みずから首を斬って晒し首にしたと言われています。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これまでのことは、三国志の孫堅伝に記載されている事で、</p>
<p>華雄の名が出てくるのは他にありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>華雄の首を討ち取った事で、</p>
<p>孫堅軍の強さを記録として残したかったと考えるのが自然な流れかと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして華雄は討ち取られた事で、</p>
<p>本人にとっては不本意ながらも後世に名を残したと言えるでしょう。</p>
<h3>三国志演義で描かれる華雄</h3>
<p>正史ではこれと言って猛将といったイメージがそれほどわかず、</p>
<p>登場したかと思えば、孫堅軍に討ち取られるといった感じでしたが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>三国志演義では、かなり華麗にデビュー戦を飾っています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>三国志演義では正史に比べて悲惨な記述になった人物がかなりを占めるのに対して、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>華雄は逆に破格の待遇を受けています。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この陽人の戦いでデビューしたのは正史と同じですが、</p>
<p>三国志演義では、この陽人の戦いが虎牢関（汜水関）の戦いにすり替わっています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして反董卓連合を前に最初に現れたのが猛将華雄でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>華雄は2メートルを超える大柄な人物として描かれ、</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>正史では胡軫の部下であったにも関わらず、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>三国志演義では逆に華雄の部下として胡軫が登場しています。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして正史とは真逆で、胡軫が先に討ち取られるという展開に・・・。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>副将として登場した胡軫が討ち取られはしたものの、</p>
<p>華雄の並外れた武勇は反董卓連合に響き渡ることになります。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="bafPKL3F56"><p><a href="https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/10/%e8%83%a1%e8%bb%ab-%e5%91%b3%e6%96%b9%e3%81%ae%e5%91%82%e5%b8%83%e3%81%ae%e5%ab%8c%e3%81%8c%e3%82%89%e3%81%9b%e3%81%a7%e6%95%97%e5%8c%97%e3%81%95%e3%81%9b%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%b0%86%e8%bb%8d/">胡軫 -味方の呂布の嫌がらせで敗北させられた将軍-</a></p></blockquote>
<p><iframe loading="lazy" class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;胡軫 -味方の呂布の嫌がらせで敗北させられた将軍-&#8221; &#8212; なんでも三国志" src="https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/10/%e8%83%a1%e8%bb%ab-%e5%91%b3%e6%96%b9%e3%81%ae%e5%91%82%e5%b8%83%e3%81%ae%e5%ab%8c%e3%81%8c%e3%82%89%e3%81%9b%e3%81%a7%e6%95%97%e5%8c%97%e3%81%95%e3%81%9b%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%b0%86%e8%bb%8d/embed/#?secret=ODaTXV4HfA#?secret=bafPKL3F56" data-secret="bafPKL3F56" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<h4>華雄の前に敵なし</h4>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4654 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/華雄敵なし.jpg" alt="" width="768" height="843" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/華雄敵なし.jpg 358w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/華雄敵なし-273x300.jpg 273w" sizes="auto, (max-width: 768px) 100vw, 768px" /></p>
<p><span style="font-size: 8pt;">横山光輝三国志（5巻65P）より画像引用</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>華雄は、まず鮑信・<ruby>鮑忠<rt>ほうちゅう</rt></ruby>を撃退し、その際に鮑忠を討ち取り、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>孫堅軍が蹴散らされた時は孫堅の身代わりになった祖茂が討ち取らています。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>祖茂といえば孫堅四天王の一人であり、</p>
<p>祖茂以外に程普・黄蓋・韓当が孫堅四天王と呼ばれています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まぁおまけとしていうと鮑忠は、</p>
<p>鮑信の弟として登場していますが、三国志演義だけの架空の人物になります。</p>
<p>https://daisuki-sangokushi.com/2019/10/08/%e5%ad%ab%e5%a0%85%e3%81%ae%e8%ba%ab%e4%bb%a3%e3%82%8f%e3%82%8a%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%81%a3%e3%81%9f%e7%a5%96%e8%8c%82/</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また華雄の猛将ぶりはこれだけに収まらず、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>今度は袁術の部下であった<ruby>兪渉<rt>ゆしょう</rt></ruby>が華雄に一騎討ちを挑むんですが、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>二人は三合も交えることも無く、華雄に斬り捨てられてしまっています。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この兪渉という人物も架空の人物であり、</p>
<p>一応袁術軍の猛将としての建前で登場しているんですよね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>華雄の武力が半端ないということを三国志演義で演出したかったのでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>また他にも韓馥の部下で、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>大斧使いであった<ruby>潘鳳<rt>はんほう</rt></ruby>を簡単に討ち取っています。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一応この潘鳳についても補足しておくと、</p>
<p>潘鳳も三国志演義だけの架空の人物になります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>とにかく三国志演義では、華雄に討ち取られるためだけに、</p>
<p>架空の猛将・勇将が3人も作られているんですよね。</p>
<h4>関羽の咬ませ犬としての扱い</h4>
<p>鮑忠・祖茂・兪渉・潘鳳を討ち取った華雄に対して、</p>
<p>登場してきたのが無名に近かった関羽です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>半端ない強さを誇った華雄を、</strong></span></p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>関羽は一刀のもとにあっさり</strong><strong>と</strong><strong><span style="font-size: 18pt;">斬り捨て</span>てしまうのです。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>猛将・勇将四人を簡単に切り捨てた華雄を、</strong></span></p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>更に簡単に切り捨てた関羽の強さを三国志演義では演出したかったとしか思えません。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみにですが、華雄の副将に格下げされた胡軫を討ち取ったのは、</p>
<p>孫堅四天王の一人でもあった程普でした。</p>
<h4>華雄VS関羽についての逸話</h4>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4647 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/関羽VS華雄.jpg" alt="" width="779" height="576" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/関羽VS華雄.jpg 376w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/関羽VS華雄-300x222.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 779px) 100vw, 779px" /></p>
<p><span style="font-size: 8pt;">横山光輝三国志（5巻189P）より画像引用</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>関羽が華雄を一刀のもとに斬り捨てたのですが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong><span style="background-color: #f2ebcb;">この話には逸話もつけられており、</span></strong></p>
<p><strong><span style="background-color: #f2ebcb;">関羽が華雄に一騎打ちを挑む前に注がれた酒が、</span></strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong><span style="background-color: #f2ebcb;">華雄を討ち取った後に戻ってきた時もまだ<span style="font-size: 12pt;">温かかった</span>そうです。</span></strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに横山光輝三国志では、少し違う表現で描かれており</p>
<p>出陣前に曹操が関羽に酒を注いで、その酒を関羽が飲み干すわけですが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>関羽が華雄を斬り捨てて戻ってきた時に、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「あぁ、今頃酔ってきたわい！」</p>
<p>と言って周りを驚かせたという感じで描写されています。</p>
<h3>三国志演義の余談</h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4651 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/張飛VS呂布.jpg" alt="" width="755" height="570" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/張飛VS呂布.jpg 355w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/張飛VS呂布-300x226.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 755px) 100vw, 755px" /></p>
<p><span style="font-size: 8pt;">横山光輝三国志（5巻126P）より画像引用</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>華雄・胡軫が討ち取られたことで、</p>
<p>この後に大ボス的な役割で呂布が登場してくるのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>華雄を一刀のもとに斬り捨てた事でデビューした関羽、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして呂布との一騎打ちをして、</p>
<p>互角に渡り合わせることで張飛がデビューするという流れを作っています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4650 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/劉備関羽の加勢.jpg" alt="" width="751" height="715" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/劉備関羽の加勢.jpg 357w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/劉備関羽の加勢-300x286.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 751px) 100vw, 751px" /></p>
<p><span style="font-size: 8pt;">横山光輝三国志（5巻127P）より画像引用</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>まぁその後にも続きがあり、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>張飛に加勢する形で、劉備・関羽が呂布に襲い掛かるわけですが、</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>それでも呂布は三人をまとめて相手するのですから、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2ebcb;"><strong>呂布の強さが半端ないことを表現したかったのでしょう。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>華雄は猛将として正史以上の活躍を授けられたわけですが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それでもそれはあくまで関羽の引き立て役としての伏線でしかなかったことが、</p>
<p>なんとも言えない所ではあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まぁ孫堅も普通に被害者なんですけどね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>劉備・関羽・張飛の名を知らしめる為に、</p>
<p>本来ならば華雄を討ち取った孫堅側が敗残した風に描かれているわけですから・・・</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>李儒 -董卓を大魔王へ仕立て上げた参謀-</title>
		<link>https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/11/%e6%9d%8e%e5%84%92-%e8%91%a3%e5%8d%93%e3%82%92%e5%a4%a7%e9%ad%94%e7%8e%8b%e3%81%b8%e4%bb%95%e7%ab%8b%e3%81%a6%e4%b8%8a%e3%81%92%e3%81%9f%e5%8f%82%e8%ac%80/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[nekozyarashi]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 11 Oct 2020 09:10:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[李儒]]></category>
		<category><![CDATA[董卓の参謀]]></category>
		<category><![CDATA[腹心]]></category>
		<category><![CDATA[劉弁（少帝）毒殺]]></category>
		<category><![CDATA[三国志演義に登場]]></category>
		<category><![CDATA[三国志正史に登場しない]]></category>
		<category><![CDATA[後漢書]]></category>
		<category><![CDATA[長安遷都]]></category>
		<category><![CDATA[後漢紀]]></category>
		<category><![CDATA[悪行]]></category>
		<category><![CDATA[漢郃陽令曹全紀功碑]]></category>
		<category><![CDATA[献帝擁立]]></category>
		<category><![CDATA[少帝廃立]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://daisuki-sangokushi.com/?p=4633</guid>

					<description><![CDATA[董卓の腹心と言えば、 間違いなく名前があがる人物の筆頭に李儒りじゅがいると思います。 &#160; まず初めに言っておくと、李儒は陳寿「三国志（正史）」には登場しません。 &#160; そしてそれをいい事にかは分かりませ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 18pt;">董卓の腹心</span>と言えば、</p>
<p>間違いなく名前があがる人物の筆頭に<span style="font-size: 18pt;"><ruby>李儒<rt>りじゅ</rt></ruby></span>がいると思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まず初めに言っておくと、李儒は<span style="font-size: 12pt;">陳寿「三国志（正史）」には登場しません。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そしてそれをいい事にかは分かりませんが、</p>
<p>三国志演義では、董卓の暴政のほとんどに李儒が一役買っていたりします。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>では李儒の記載が全く残っていないかというとそうではありません。</p>
<p>李儒の名は、<span style="font-size: 18pt;">「後漢紀」「後漢書」</span>にその名が少しですが残されています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>またそれだけでなく李儒の名は、</p>
<p><span style="font-size: 18pt;">「漢郃陽令曹全紀功碑（曹全碑）」</span>の中にも見られるため、</p>
<p>三国志正史に名前がないだけで実在した人物の一人であると言えますね。</p>
<h3>李儒</h3>
<p>李儒の字は「文優」と言われたりもしますが、正確には謎とされています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また司隸馮翊郡郃陽県の出身であるとされていますが、</p>
<p>これらの情報は、<span style="font-size: 12pt;">「漢郃陽令曹全紀功碑（曹全碑）」から分かる李儒の情報になります。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに、「漢郃陽令曹全紀功碑」は、</p>
<p>馮翊郡郃陽県の県令であった曹全の善政を讃えて、１８５年に建てられたものになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そこに同県出身の博士として李儒の名前が刻まれています。</p>
<p>そして「後漢紀」にも李儒が博士であった記載が見られる事から同一人物とされています。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="staREsH77s"><p><a href="https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/04/%e8%91%a3%e5%8d%93-%e4%b8%89%e5%9b%bd%e4%b9%b1%e4%b8%96%e3%82%92%e5%8a%a0%e9%80%9f%e3%81%95%e3%81%9b%e3%81%9f%e6%9a%b4%e5%90%9b/">董卓 -三国乱世を加速させた暴君-</a></p></blockquote>
<p><iframe loading="lazy" class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;董卓 -三国乱世を加速させた暴君-&#8221; &#8212; なんでも三国志" src="https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/04/%e8%91%a3%e5%8d%93-%e4%b8%89%e5%9b%bd%e4%b9%b1%e4%b8%96%e3%82%92%e5%8a%a0%e9%80%9f%e3%81%95%e3%81%9b%e3%81%9f%e6%9a%b4%e5%90%9b/embed/#?secret=0mrmJzBEKO#?secret=staREsH77s" data-secret="staREsH77s" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<h3>劉弁（少帝）・何皇后殺害</h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4644 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/李儒（りじゅ）.png" alt="" width="771" height="867" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/李儒（りじゅ）.png 490w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/李儒（りじゅ）-267x300.png 267w" sizes="auto, (max-width: 771px) 100vw, 771px" /></p>
<p><span style="font-size: 10pt;">横山光輝三国志（４巻１１１P）より画像引用</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>李儒は董卓に仕えたとされている人物ですが、いつから董卓に仕えたのかは不明です。</p>
<p>おそらく董卓が洛陽に乗り込んだ辺りで仕える事になったと思われます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「後漢書」には次のような内容が書かれてあります。</p>
<table style="height: 47px;" width="100%">
<tbody>
<tr>
<td style="width: 350px;">董卓の命令を受けた李儒は、</p>
<p>劉弁（少帝）と何皇后に毒薬を飲ませて殺害した人物である。</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
<p>三国志演義ではこの逸話の流れの中で、</p>
<p>高塔から突き落とされて命を落としていますね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この行動は普通に考えて「大罪人」とされる行いにあり、</p>
<p>そのあたりから「三国志演義」で登場した李儒は、董卓の腹心の立場とされたのでしょう。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">董卓殺害後の李儒</span></h3>
<p>王允と呂布が手を組み、董卓を殺害すると、</p>
<p>元董卓の臣下であった李傕・郭汜が長安へ攻め込みます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして王允は捕らえられて処刑され、呂布は長安から脱出して逃亡していったわけです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓が殺害された際も、李儒は一緒に殺されたわけでなく、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その後もきちんと生存しており、李傕・郭汜が長安奪取に成功した後に、</p>
<p>李傕の推薦で「侍中」として取り立てられています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>献帝（劉協）は、</p>
<p>義理の兄であった劉弁が李儒によって殺害されていたことから、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>李儒を処刑するように命じますが、この時懸命に李儒を庇ったのも李傕でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まぁ董卓に代わって、長安を奪取した李傕・郭汜の発言力が、</p>
<p>それほどまでにあったということでしょうね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに李儒に関する記録は、ここで終わっており、</p>
<p>いつ死んだのか等は不明のままになっています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>李儒・郭汜の争いに巻き込まれて死んだのかもしれませんし、</p>
<p>静かに息を引き取って、歴史の舞台から降りたのかもしれません。</p>
<h3>「三国志演義」の中での李儒</h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4636 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/李儒１.jpg" alt="" width="774" height="935" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/李儒１.jpg 332w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/李儒１-248x300.jpg 248w" sizes="auto, (max-width: 774px) 100vw, 774px" /></p>
<p><span style="font-size: 8pt;">横山光輝三国志（5巻156P）より画像引用</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>李儒のイメージといえば間違いなく、</p>
<p>三国志演義の中での影響が非常に大きい人物です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>蔡和・蔡中のように三国志演義を面白くする為だけに登場した人物ですが、</p>
<p>三国志演義だけに登場する架空の人物というわけではないです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>きちんと「後漢紀」「後漢書」には記録として残っているからです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただ何故劉弁（少帝）殺害をした人物であるにも関わらず、</p>
<p>李儒の名が三国志正史に出てこないのかは結構謎が残りますけどね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f5ecc4;"><strong>三国志演義では、董卓の娘婿として登場しており、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f5ecc4;"><strong>董卓の暴政を加速化させた参謀としての役割を担った人物でもあります。</strong></span></p>
<p>※三国志正史で実際に娘婿なのは<ruby>牛輔<rt>ぎゅうほ</rt></ruby>です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに董卓が行った事のほとんどのことが、</p>
<p>李儒の献策というのは下を見れば一目瞭然ですね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>～李儒の献策～</strong></p>
<ul>
<li><strong>劉弁（少帝）の廃立</strong></li>
<li><strong>劉弁（少帝）・何皇后の殺害</strong></li>
<li><strong>劉協（献帝）擁立</strong></li>
<li><strong>長安への遷都</strong></li>
<li><strong>追手の曹操を撃退させる為の策略</strong></li>
</ul>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓を悪の大魔王に仕立て上げた人物として描かれているわけです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f5ecc4;"><strong>また董卓が王允と貂蝉の「美女連環の計」にかかり、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f5ecc4;"><strong>董卓・呂布との関係に亀裂が入りだすと、これを諫めています。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>しかし董卓は李儒の言葉に耳を貸すことはなかったようです。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>その時に李儒は、次のように語っています。</strong></span></p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>「私たちは全員女の手にかかって死ぬことになるのか！」と・・・</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>最終的に董卓と呂布の関係が完全に断ち切れ、</p>
<p>王允・呂布の手にかかって董卓は殺害されてしまいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f5ecc4;"><strong>董卓が殺害された時の李儒は、「呂布、お前・・・」という言葉を残して、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f5ecc4;"><strong>董卓同様に呂布に斬り捨てられてしまいました。</strong></span></p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4635 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/李儒の最後.jpg" alt="" width="773" height="876" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/李儒の最後.jpg 361w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/李儒の最後-265x300.jpg 265w" sizes="auto, (max-width: 773px) 100vw, 773px" /></p>
<p><span style="font-size: 8pt;">横山光輝三国志（8巻53P）より画像引用</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>劉弁（少帝）殺害をした事実は、</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">「後漢紀」「後漢書」と</span>三国志演義どちらでも同じように書かれています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ですが三国志演義では、</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">「後漢紀」「後漢書」での記述にプラスされて、</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓の暴政を一手に引き受けた参謀としての立ち位置に祭り上げられたわけです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>現在多くの人達が、李儒に抱くイメージが悪いのは、</p>
<p>三国志演義での描かれ方によるところが非常に大きいのだと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>董旻 -董卓の暴政を支えた実弟-</title>
		<link>https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/11/%e8%91%a3%e6%97%bb-%e8%91%a3%e5%8d%93%e3%81%ae%e6%9a%b4%e6%94%bf%e3%82%92%e6%94%af%e3%81%88%e3%81%9f%e5%ae%9f%e5%bc%9f/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[nekozyarashi]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 11 Oct 2020 02:57:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[董旻]]></category>
		<category><![CDATA[侍中・中軍校尉]]></category>
		<category><![CDATA[左将軍]]></category>
		<category><![CDATA[渭陽君]]></category>
		<category><![CDATA[洛陽入場]]></category>
		<category><![CDATA[何苗殺害]]></category>
		<category><![CDATA[呉匡]]></category>
		<category><![CDATA[董卓の弟]]></category>
		<category><![CDATA[董君雅]]></category>
		<category><![CDATA[董一族]]></category>
		<category><![CDATA[董擢]]></category>
		<category><![CDATA[栄華盛衰]]></category>
		<category><![CDATA[董卓の暴政]]></category>
		<category><![CDATA[董一族の抜擢]]></category>
		<category><![CDATA[董璜]]></category>
		<category><![CDATA[董白]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://daisuki-sangokushi.com/?p=4624</guid>

					<description><![CDATA[董卓の名前が色んな意味で大きすぎて、 完全に影に潜めたような存在になっていますが、 &#160; 董卓を影ながら支えた董旻（とうびん）という弟が董卓にはおり、 今回はその董旻の生涯について見ていきます。 董旻（とうびん） [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>董卓の名前が色んな意味で大きすぎて、</p>
<p>完全に影に潜めたような存在になっていますが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓を影ながら支えた董旻（とうびん）という弟が董卓にはおり、</p>
<p>今回はその董旻の生涯について見ていきます。</p>
<h3>董旻（とうびん）</h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4625 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/董卓兄弟.png" alt="" width="775" height="343" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/董卓兄弟.png 626w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/董卓兄弟-300x133.png 300w" sizes="auto, (max-width: 775px) 100vw, 775px" /></p>
<p>董旻は董卓の弟にあたり、<ruby>董君雅<rt>とうくんが</rt></ruby>の末子（三男）になります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董君雅はしがない役人の一人でしたが、</p>
<p>後に「頴川郡綸氏の尉」となった人物でもあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董君雅には董卓・董旻以外に<ruby>董擢<rt>とうてき</rt></ruby>という息子がいましたが、</p>
<p>早くにこの世を去ってしまったそうです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして次男坊であった董卓が台頭してきますが、</p>
<p>そんな兄の董卓を陰ながら支えた一人が弟の董旻でした。</p>
<h3>何苗殺害に加担</h3>
<p><strong>大将軍であった何進が宦官殺害を計画すると、</strong></p>
<p><strong>あべこべに逆に罠にはめられて殺害されてしまう事件が勃発します。</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>何進殺害によって配下であった袁紹・袁術らが激怒。</strong></p>
<p><strong>宮中に乗り込んで、何進殺害の仕返しとして宦官数千名を殺害してしまいます。</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2f2c9;"><strong>この時に袁紹・袁術らと組んで宦官殺害に加担した一人が、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2f2c9;"><strong>同じく何進に仕えていた董旻でした。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また董旻は呉匡と組んで、宦官の中心的な宦官であった「十常侍」と裏で繋がり、</p>
<p>何進殺害の一端を担ったという容疑をかけて<ruby>何苗<rt>かびょう</rt></ruby>を殺害！</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに何苗とは、何進と血のつながりがあるわけでなく（義理の兄）、</p>
<p>もともと何進と共に動物を殺してそれを売るといった事を生業にしていたようです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>しかし、何進の妹が何皇后として霊帝の妻になると、</strong></span></p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>何進だけでなく、何苗も採り立てられることとなりました。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>何進と宦官の対立が激しくなってくると、</strong></span></p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>何皇后と何苗は何進より宦官を擁護するような態度を示します。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>何進が殺された事で、董旻・呉匡の怒りを完全に買った形だったわけです。</p>
<h3>董卓の洛陽入場</h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4606 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/董卓の入場.jpg" alt="" width="794" height="1083" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/董卓の入場.jpg 390w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/董卓の入場-220x300.jpg 220w" sizes="auto, (max-width: 794px) 100vw, 794px" /></p>
<p><span style="font-size: 8pt;">蒼天航路（5巻74P）より画像引用</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓は、少帝（劉弁）・献帝（劉協）を連れて逃げていた十常侍を捕らえて殺害し、</p>
<p>二人を取り戻した董卓は、堂々とした様子で洛陽へ入場します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この時に董卓を手引きしたのが董旻だとも言われています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2f2c9;"><strong>ここから董旻は、兄である董卓を完全にサポートし、</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2f2c9;"><strong>何苗を共に殺害した呉匡が邪魔になったことで追い出したりと、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2f2c9;"><strong>董卓に権力が集中するように行動した結果、宮中を掌握することに成功したわけです。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみにですけど、この呉匡という人物は、</p>
<p>呉懿・呉氏（穆皇后）の叔父にあたり、呉班の実の父親になりますね。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="wPoZ34bDUq"><p><a href="https://daisuki-sangokushi.com/2020/05/03/%e5%91%89%e6%87%bf%e3%81%ae%e5%be%8c%e9%87%9c%e7%9a%84%e3%81%aa%e5%ad%98%e5%9c%a8%e3%81%a7%e3%81%82%e3%81%a3%e3%81%9f%e4%bc%8a%e9%81%94%e7%94%b7%e3%80%8c%e5%91%89%e7%8f%ad%ef%bc%88%e3%81%94%e3%81%af/">呉懿の後釜的な存在であり、任侠精神を内に秘めていた伊達男「呉班（ごはん）」</a></p></blockquote>
<p><iframe loading="lazy" class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;呉懿の後釜的な存在であり、任侠精神を内に秘めていた伊達男「呉班（ごはん）」&#8221; &#8212; なんでも三国志" src="https://daisuki-sangokushi.com/2020/05/03/%e5%91%89%e6%87%bf%e3%81%ae%e5%be%8c%e9%87%9c%e7%9a%84%e3%81%aa%e5%ad%98%e5%9c%a8%e3%81%a7%e3%81%82%e3%81%a3%e3%81%9f%e4%bc%8a%e9%81%94%e7%94%b7%e3%80%8c%e5%91%89%e7%8f%ad%ef%bc%88%e3%81%94%e3%81%af/embed/#?secret=YeK3IQ41iR#?secret=wPoZ34bDUq" data-secret="wPoZ34bDUq" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="zvWhz3nPuz"><p><a href="https://daisuki-sangokushi.com/2020/05/03/%e5%8a%89%e7%84%89%e5%8a%89%e7%92%8b%e3%81%ae%e8%a6%aa%e6%88%9a%e3%81%a7%e3%81%82%e3%82%8a%e5%8a%89%e5%82%99%e3%81%ae%e8%a6%aa%e6%88%9a%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%82%e3%81%a3%e3%81%9f%e5%91%89%e6%87%bf/">劉焉・劉璋の親戚であり、劉備の親戚でもあり、優秀だったのに個人伝が残されなかった呉懿（ごい/呉壱）</a></p></blockquote>
<p><iframe loading="lazy" class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;劉焉・劉璋の親戚であり、劉備の親戚でもあり、優秀だったのに個人伝が残されなかった呉懿（ごい/呉壱）&#8221; &#8212; なんでも三国志" src="https://daisuki-sangokushi.com/2020/05/03/%e5%8a%89%e7%84%89%e5%8a%89%e7%92%8b%e3%81%ae%e8%a6%aa%e6%88%9a%e3%81%a7%e3%81%82%e3%82%8a%e5%8a%89%e5%82%99%e3%81%ae%e8%a6%aa%e6%88%9a%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%82%e3%81%a3%e3%81%9f%e5%91%89%e6%87%bf/embed/#?secret=kxmk9A4DXG#?secret=zvWhz3nPuz" data-secret="zvWhz3nPuz" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>https://daisuki-sangokushi.com/2020/05/02/%e5%8a%89%e5%82%99%e3%81%ae%e5%85%83%e3%81%ab%e5%ab%81%e3%81%84%e3%81%a0%e6%9c%aa%e4%ba%a1%e4%ba%ba%e3%80%81%e5%91%89%e6%b0%8f%ef%bc%88%e7%a9%86%e7%9a%87%e5%90%8e%ef%bc%89/</p>
<h3>董卓の長安遷都</h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4627 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/中心都市.jpg" alt="" width="791" height="444" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/中心都市.jpg 1038w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/中心都市-300x168.jpg 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/中心都市-768x431.jpg 768w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/中心都市-1024x575.jpg 1024w" sizes="auto, (max-width: 791px) 100vw, 791px" /></p>
<p>董卓が宮中を掌握すると、</p>
<p>袁紹を盟主とした反董卓連合が結成されます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そこで董卓は後漢の都であった洛陽から長安への遷都を実行。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この時、後漢歴代の皇帝の墓の財宝を暴いたり、</p>
<p>裕福な民衆の財産を没収したりとやりたい放題する始末でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2f2c9;"><strong>しかし董旻は董卓の考えを尊重し、兄から命じられたことを着実に実行していきます。</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2f2c9;"><strong>その功績から董旻は<span style="font-size: 18pt; background-color: #f2f2c9;">左将軍</span>に任命されることとなりました。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみにこの左将軍とは三国志演義で語られる蜀の「五虎大将軍」において、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>関羽・張飛・黄忠・馬超・趙雲が任命されたわけですが、</p>
<p>馬超が実際に任じられていたのが左将軍でした。</p>
<p>※「五虎大将軍」という名称は正史には登場しません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そう考えると董旻が、</p>
<p>立派な役職に任じられたことが少しは分かりやすいかなと思います。</p>
<h3>董一族の大抜擢</h3>
<p>その後、反董卓連合が自然消滅をすると、</p>
<p>董卓の威勢に逆らえる者がおらず、董卓は更につけあがっていきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして董卓の身内を次々に大抜擢。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2f2c9;"><strong>例えば董卓の長男であった董擢の子の<ruby><span style="font-size: 18pt; background-color: #f2f2c9;">董璜</span><rt>とうこう</rt></ruby>も</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2f2c9;"><strong><span style="font-size: 18pt; background-color: #f2f2c9;">侍中・中軍校尉</span>に採り立てて、軍を統率させていますし、</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2f2c9;"><strong>当時15歳にも満たなかった女性の<ruby><span style="font-size: 18pt; background-color: #f2f2c9;">董白</span><rt>とうはく</rt></ruby>を、<span style="font-size: 18pt; background-color: #f2f2c9;">渭陽君</span>に封ぜて領地を与えたりしています。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これにより、董卓だけでなく、</p>
<p>董一族へ権力が更に集中していく事となったわけです。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="hLLgHaAmL2"><p><a href="https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/04/%e8%91%a3%e5%8d%93-%e4%b8%89%e5%9b%bd%e4%b9%b1%e4%b8%96%e3%82%92%e5%8a%a0%e9%80%9f%e3%81%95%e3%81%9b%e3%81%9f%e6%9a%b4%e5%90%9b/">董卓 -三国乱世を加速させた暴君-</a></p></blockquote>
<p><iframe loading="lazy" class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;董卓 -三国乱世を加速させた暴君-&#8221; &#8212; なんでも三国志" src="https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/04/%e8%91%a3%e5%8d%93-%e4%b8%89%e5%9b%bd%e4%b9%b1%e4%b8%96%e3%82%92%e5%8a%a0%e9%80%9f%e3%81%95%e3%81%9b%e3%81%9f%e6%9a%b4%e5%90%9b/embed/#?secret=kom7JZCptk#?secret=hLLgHaAmL2" data-secret="hLLgHaAmL2" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<h3>董一族の滅亡</h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4321 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—chinese-style-ink-small-landscape_4636431.png" alt="" width="434" height="434" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—chinese-style-ink-small-landscape_4636431.png 4000w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—chinese-style-ink-small-landscape_4636431-150x150.png 150w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—chinese-style-ink-small-landscape_4636431-300x300.png 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—chinese-style-ink-small-landscape_4636431-768x768.png 768w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—chinese-style-ink-small-landscape_4636431-1024x1024.png 1024w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—chinese-style-ink-small-landscape_4636431-320x320.png 320w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—chinese-style-ink-small-landscape_4636431-200x200.png 200w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/—Pngtree—chinese-style-ink-small-landscape_4636431-100x100.png 100w" sizes="auto, (max-width: 434px) 100vw, 434px" /></p>
<p>董卓の威勢が天下にこだましていたものの、</p>
<p>董卓の暴政に反発する者達が多く点在していました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #f2f2c9;"><strong>そして王允もその一人で、</strong></span></p>
<p><span style="background-color: #f2f2c9;"><strong>董卓配下の呂布を裏切らせて味方につけ、董卓殺害に成功！</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong><span style="text-decoration: underline;">これによって董卓のみではなく、</span></strong></p>
<p><strong><span style="text-decoration: underline;">董旻をはじめ、董卓の一族は根こそぎ処刑されてしまいます。</span></strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong><span style="text-decoration: underline;">侍中・中軍校尉に取り立てられた董璜や渭陽君に封ぜられた董白も処刑され、</span></strong></p>
<p><strong><span style="text-decoration: underline;">またこの時、董卓の母も容赦なく処刑。</span></strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓の母は、既に90歳を超えていましたが、</p>
<p>董卓の連座の罪で普通に処刑されてしまったといいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>栄華を極めた董卓＆董一族でしたが、</p>
<p>董卓の死により全てが終わり、歴史の舞台から消えていったのです。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>胡軫 -味方の呂布の嫌がらせで敗北させられた将軍-</title>
		<link>https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/10/%e8%83%a1%e8%bb%ab-%e5%91%b3%e6%96%b9%e3%81%ae%e5%91%82%e5%b8%83%e3%81%ae%e5%ab%8c%e3%81%8c%e3%82%89%e3%81%9b%e3%81%a7%e6%95%97%e5%8c%97%e3%81%95%e3%81%9b%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%b0%86%e8%bb%8d/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[nekozyarashi]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 10 Oct 2020 11:13:06 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[胡軫]]></category>
		<category><![CDATA[裏切り]]></category>
		<category><![CDATA[涼州]]></category>
		<category><![CDATA[陽人の戦い]]></category>
		<category><![CDATA[游殷を殺害]]></category>
		<category><![CDATA[孫堅]]></category>
		<category><![CDATA[呂布にやられる]]></category>
		<category><![CDATA[董卓]]></category>
		<category><![CDATA[傲慢]]></category>
		<category><![CDATA[呂布]]></category>
		<category><![CDATA[「呉志」孫堅伝]]></category>
		<category><![CDATA[反董卓連合]]></category>
		<category><![CDATA[短期]]></category>
		<category><![CDATA[華雄]]></category>
		<category><![CDATA[陽人]]></category>
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					<description><![CDATA[胡軫（文才）の人となり 胡軫こしんは涼州人物で、同郷出身の董卓に仕官しています。 &#160; 胡軫は個人伝が残された人物ではありませんが、 「呉志」孫堅伝などに胡軫についての記録が残されていたりしますね。 &#160; [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h3><span style="font-size: 18pt;">胡軫（文才）の人となり</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-12541 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/胡軫.png" alt="" width="725" height="457" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/胡軫.png 939w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/胡軫-300x189.png 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/胡軫-768x484.png 768w" sizes="auto, (max-width: 725px) 100vw, 725px" /></p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><ruby>胡軫<rt>こしん</rt></ruby></span>は涼州人物で、同郷出身の董卓に仕官しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>胡軫は個人伝が残された人物ではありませんが、</p>
<p><span style="font-size: 18pt;">「呉志」孫堅伝</span>などに胡軫についての記録が残されていたりしますね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>胡軫は武勇に秀でた人物ではありましたが、</p>
<p>態度が<span style="font-size: 18pt;">傲慢</span>で、<span style="font-size: 18pt;">短気</span>な性格だったことからも人望が薄かったといいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また董卓の洛陽入城後、呂布を仲間に引き込む事に成功した董卓ですが、</p>
<p>胡軫と呂布の関係性は非常に悪かったのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そんな中で董卓と反董卓連合（盟主：袁紹）の戦いが勃発するわけですが、</p>
<p>ここで二人の仲の悪さが勝敗に大きな影響を及ぼす事になります。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">陽人の戦い（董卓VS孫堅）</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="size-full wp-image-11976 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/02/軍勢.png" alt="" width="727" height="343" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/02/軍勢.png 727w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/02/軍勢-300x142.png 300w" sizes="auto, (max-width: 727px) 100vw, 727px" /></p>
<p>董卓と袁紹を盟主とする反董卓連合が激突すると、</p>
<p>各方面で董卓有利の状況で戦況が動いていく事となります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>河陽津では王匡を、滎陽汴水では徐栄によって曹操・鮑信が破られ、</p>
<p>孫堅もまた徐栄に敗れています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このまま董卓優勢のまま展開していくかと思いきや、</p>
<p>胡軫・呂布らと孫堅が戦った陽人の戦いで大きく情勢は一変していく事となります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>袁術の支援を受けて軍を立て直す事に成功した孫堅は、</p>
<p>梁県の陽人に駐屯し、機会をうかがいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そこに董卓は胡軫を総大将に、呂布・華雄に迎撃を命じたのでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし呂布は胡軫の命令に従わないばかりか、味方を敗北する手段を次々とやったわけです。</p>
<table style="height: 35px;" width="100%">
<tbody>
<tr>
<td style="width: 573px;"><span style="background-color: #ede8d3;">呂布「孫堅は既に撤退して、</span></p>
<p><span style="background-color: #ede8d3;">陽人城に残っている兵は少数であるぞ」と偽情報を味方に流布。</span></p>
<p>→準備万端の孫堅軍へ突撃して胡軫は敗北。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #ede8d3;">呂布は戦に備えて休んでいる味方に対して、</span></p>
<p><span style="background-color: #ede8d3;">「孫堅が奇襲してきたぞ！」と嘘の情報を流布。</span></p>
<p>→味方は大混乱を起こし、武具を投げ捨てて味方は逃亡。</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
<p>胡軫はなんとか軍を立て直し、再度孫堅に戦いを挑むも、</p>
<p>士気が低下していたこともあいまって敗北し、この時に華雄も討死してしまいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>つまり呂布が胡軫を貶める為に色々と邪魔をしたことで、</p>
<p>董卓軍は大敗北を喫してしまったわけですね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして当の本人の董卓はというと、状況が不利であることを悟ると、</p>
<p>漢王朝の都であった洛陽を焼き払って長安へと遷都してしまっているのは余談です。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="jkw2GIP8dk"><p><a href="https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/04/%e8%91%a3%e5%8d%93-%e4%b8%89%e5%9b%bd%e4%b9%b1%e4%b8%96%e3%82%92%e5%8a%a0%e9%80%9f%e3%81%95%e3%81%9b%e3%81%9f%e6%9a%b4%e5%90%9b/">董卓 -三国乱世を加速させた暴君-</a></p></blockquote>
<p><iframe loading="lazy" class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;董卓 -三国乱世を加速させた暴君-&#8221; &#8212; なんでも三国志" src="https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/04/%e8%91%a3%e5%8d%93-%e4%b8%89%e5%9b%bd%e4%b9%b1%e4%b8%96%e3%82%92%e5%8a%a0%e9%80%9f%e3%81%95%e3%81%9b%e3%81%9f%e6%9a%b4%e5%90%9b/embed/#?secret=h4DMxH0x9B#?secret=jkw2GIP8dk" data-secret="jkw2GIP8dk" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">董卓の殺害＆胡軫の裏切り</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-10512 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2022/05/水墨塔.png" alt="" width="598" height="598" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2022/05/水墨塔.png 768w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2022/05/水墨塔-150x150.png 150w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2022/05/水墨塔-300x300.png 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2022/05/水墨塔-320x320.png 320w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2022/05/水墨塔-200x200.png 200w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2022/05/水墨塔-100x100.png 100w" sizes="auto, (max-width: 598px) 100vw, 598px" /></p>
<p>独裁政治を貫いていた董卓でしたが、</p>
<p>王允は董卓の腹心であった呂布を味方に引き入れます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これによって董卓は殺害されたわけですが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>呂布は董卓の侍女と密会していた逸話もあったりしますので、</p>
<p>呂布と董卓の関係が悪化していた所を王允に利用された形だったのが実情でしょうね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓殺害後は、胡軫は王允・呂布側に味方するも、</p>
<p>同じく董卓残党軍であった李傕・郭汜が一か八かで長安へと兵を差し向けてきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この戦いで胡軫同様に王允・呂布側についた徐栄と共に迎撃を命じられますが、</p>
<p>ここで胡軫が李傕・郭汜に寝返った事で、<span style="font-size: 18pt;">徐栄は戦死</span>してしまいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみにですが、胡軫が裏切った理由は次の二点です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一つは言わずもがな呂布が嫌いであるという事が理由ですが、</p>
<p>もう一つは王允の傲慢な態度が気に食わなかったことだといいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>結果として王允は捕縛されて処刑、呂布は長安を脱出して落ち延びていくこととなります。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">胡軫の最期（胡軫と游殷）</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-4330 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/風景.png" alt="" width="729" height="408" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/風景.png 881w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/風景-300x168.png 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/09/風景-768x430.png 768w" sizes="auto, (max-width: 729px) 100vw, 729px" /></p>
<p>李傕・郭汜に寝返った胡軫は、その後はこれといった活躍は何もしていません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただ胡軫は昔から仲が悪かっ<span style="font-size: 18pt;">た<ruby>游殷<rt>ゆういん</rt></ruby></span>を、無実の罪で処刑する事があったそうです。</p>
<p>処刑の理由は游殷が嫌いだったからだといいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみにこの游殷の子は、</p>
<p>諸葛亮の第一北伐で活躍した隴西太守の游楚になります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>胡軫がその游殷を処刑した一か月後に、胡軫は病気にかかり、</p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「私が本当に悪かった。」</span>と譫言を繰り返しながら亡くなったのでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この件があってからというもの、</p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「游殷の呪いで胡軫が亡くなった」</span>と民衆は噂するようになったのと同時に、</p>
<p>胡軫を呪い殺した游殷は褒め称えられたといいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このことからも分かるのは、</p>
<p>胡軫は民衆からの人望も非常に薄かったという事ですね。</p>
<p>https://daisuki-sangokushi.com/2020/05/08/%e8%ab%b8%e8%91%9b%e4%ba%ae%e3%81%ae%e7%ac%ac%e4%b8%80%e6%ac%a1%e5%8c%97%e4%bc%90%e3%81%ae%e6%95%b5%e3%81%af%e5%ae%9f%e3%81%af%e6%b8%b8%e6%a5%9a%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%9f%ef%bc%9f/</p>
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		<item>
		<title>董卓 -涼州の荒野から漢王朝の頂点へ登りつめた暴君-</title>
		<link>https://daisuki-sangokushi.com/2020/10/04/%e8%91%a3%e5%8d%93-%e6%b6%bc%e5%b7%9e%e8%8d%92%e9%87%8e%e3%81%8b%e3%82%89%e6%bc%a2%e7%8e%8b%e6%9c%9d%e3%81%ae%e9%a0%82%e7%82%b9%e3%81%b8%e7%99%bb%e3%82%8a%e3%81%a4%e3%82%81%e3%81%9f%e6%9a%b4%e5%90%9b/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[nekozyarashi]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 04 Oct 2020 12:31:09 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[董卓（とうたく、字：仲穎） 董卓は後漢末の混乱を象徴する人物として、三国志の中でも特に有名な存在です。 &#160; 後世の物語では、暴虐な独裁者として描かれることが多い董卓ですが、 その生涯を正史から追っていくと、若い [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h3><span style="font-size: 18pt;">董卓（とうたく、字：仲穎）</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-16203 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/董卓.png" alt="" width="800" height="450" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/董卓.png 1672w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/董卓-300x169.png 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/董卓-1024x576.png 1024w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/董卓-768x432.png 768w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/董卓-1536x864.png 1536w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
<p>董卓は後漢末の混乱を象徴する人物として、三国志の中でも特に有名な存在です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>後世の物語では、暴虐な独裁者として描かれることが多い董卓ですが、</p>
<p>その生涯を正史から追っていくと、若い頃から単純な「悪人」だったわけではありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>むしろ若き日の董卓は、武勇に優れ、</p>
<p>異民族との交流にも長け、部下からも慕われた有能な武人でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>涼州という辺境の地で培った武力と人脈を武器に、董卓は後漢王朝の武人として頭角を現していきます。</p>
<p>そして最終的には、皇帝を廃立し、自ら相国となって漢王朝の実権を握るまでに至りました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし、その権力の絶頂は長く続きません。</p>
<p>最後には自らが登用した呂布によって命を奪われることになります。</p>
<p>まさに、後漢末の混乱を駆け抜けた波乱の人生でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そんな董卓ですが、涼州隴西郡臨洮県の出身ですが、</p>
<p>涼州は漢王朝の中心地である中原から遠く離れ、羌族などの異民族と接する機会が非常に多い地域でした。</p>
<p>そのような土地で育った董卓は、若い頃から羌族の有力者たちと親しく交流していました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「魏志」董卓伝によれば、</p>
<p>董卓は若い頃に羌族の居住地域を訪れ、諸部族の豪族たちと広く親交を結んでいたといいます。</p>
<p>その後、董卓はいったん故郷へ戻って農耕生活を送ります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>すると、かつて交流した羌族の豪族たちが董卓のもとを訪れるようになりました。</p>
<p>そこで董卓は、彼らをもてなすために農耕に使っていた牛を殺し、宴会を開いてともに楽しみます。</p>
<p>董卓のこの心意気に感激した豪族たちは帰郷すると、それぞれ家畜を持ち寄りました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その結果、董卓のもとには牛や羊など、合わせて千頭余りの家畜が贈られたといいます。</p>
<p>この逸話は、董卓が若い頃から異民族を単純に敵視していた人物ではなかったことを示しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>むしろ、涼州という土地で生きていくために、</p>
<p>民族の違いを越えて人間関係を築くことのできる人物だったのでしょう。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">弓馬に優れた武人</span></h4>
<p>董卓は、単に人付き合いが上手かっただけではありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>正史『後漢書』董卓伝には、董卓が「膂力過人」、</p>
<p>つまり人並み外れた腕力を持っていたと記されています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>さらに「双帯両鞬、左右馳射」と記載されており、</p>
<p>これは二つの弓袋を身につけ、馬を左右に走らせながら、左右どちらからでも弓を射ることができたという意味になり、</p>
<p>騎馬で走りながら、左右どちら側からでも弓を扱えるほどの騎射の技術を持っていた、ということです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>涼州では騎馬戦や弓術が重要な戦闘技術でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓はこうした環境の中で武芸を磨き、</p>
<p>羌族や胡族からも恐れられるほどの武人へと成長していきました。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">武人として出世する</span></h4>
<p>やがて董卓は州の兵馬掾となり、辺境の警備などに従事します。</p>
<p>その後、桓帝末年には六郡の良家子弟から選ばれて羽林郎となりました。</p>
<p>さらに中郎将の張奐に従って羌族の反乱を討伐し、戦功を立てます。</p>
<p>この功績によって郎中に任じられ、絹九千匹を下賜されました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ここで非常に興味深い逸話が残っています。</p>
<p>董卓は、この褒賞として与えられた絹を自分のものにするのではなく、</p>
<p>ほとんどすべてを部下や兵士たちに分け与えたといいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>戦場で命を懸ける兵士たちに利益を分け与えることで、董卓は彼らの信頼を獲得していきました。</p>
<p>後に董卓が強大な軍事力を持つようになった背景には、こうした若い頃からの人心掌握もあったのでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その後も董卓は広武令、蜀郡北部都尉、西域戊己校尉などを歴任しました。</p>
<p>一時は罪により免職されますが、再び朝廷に召され、河東太守などを務めました。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">黄巾の乱での敗北</span></h4>
<p>そして１８４年、後漢王朝を揺るがす大事件が発生します。</p>
<p>張角を中心とする黄巾軍が各地で蜂起したのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓も討伐軍の一員として派遣されました。</p>
<p>しかし、ここでは思うような戦果を挙げることができませんでした。</p>
<p>董卓は張角らの黄巾軍と戦いましたが敗北し、その責任を問われて罪に服することになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>異民族との戦いでは数々の戦功を立ててきた董卓でしたが、黄巾軍との戦いでは苦戦したわけです。</p>
<p>ただし、董卓の軍歴全体を見ると、この敗北は一時的な挫折にすぎませんでした。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">涼州の反乱で再び頭角を現す</span></h4>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-1478 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2019/10/連合-1.png" alt="" width="581" height="274" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2019/10/連合-1.png 727w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2019/10/連合-1-300x142.png 300w" sizes="auto, (max-width: 581px) 100vw, 581px" /></p>
<p>同じ１８４年、今度は董卓の故郷でもある涼州で大規模な反乱が発生します。</p>
<p>北地郡の先零羌や枹罕・河関の反乱勢力が蜂起し、</p>
<p>北宮伯玉、李文侯、辺章、韓遂らがこれに加わりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>さらに反乱軍は勢力を拡大し、三輔地方へ侵入するまでになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ここで朝廷は、涼州事情に詳しい董卓を再び起用しました。</p>
<p>董卓は中郎将となり、反乱鎮圧に向かいます。</p>
<p>その後、車騎将軍張温が大軍を率いて涼州へ派遣されると、董卓もその指揮下に入りました。</p>
<p>この戦いでは董卓も大きな功績を挙げます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし、董卓の軍歴を語るうえで特に有名なのが、その後の危機からの脱出です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓は望垣北で羌胡の大軍に包囲されました。</p>
<p>しかも食糧が不足し、進むことも退くことも難しい状況でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そこで董卓は一計を案じます。</p>
<p>自軍が魚を捕るために川を利用するように見せかけ、密かに川の流れをせき止めました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして敵に気づかれないうちに、その堰の下を通って軍勢を移動させます。</p>
<p>十分に距離を取ったところで堰を切ると、川の水が一気に流れ込みました。</p>
<p>後から追ってきた羌胡軍は川を渡ることができず、董卓軍は危機を脱することに成功します。</p>
<p>この戦いでは他の部隊が大きな損害を受けた一方、董卓の部隊はほぼ無傷で帰還したとされています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>こうした臨機応変な判断力も、</p>
<p>董卓が単なる猛将ではなく、軍事的な才能を持っていたことを示しています。</p>
<p>この功績によって董卓は前将軍となり、斄郷侯に封じられました。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">王国・韓遂の反乱と皇甫嵩との対立</span></h4>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-1478 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2019/10/連合-1.png" alt="" width="581" height="274" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2019/10/連合-1.png 727w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2019/10/連合-1-300x142.png 300w" sizes="auto, (max-width: 581px) 100vw, 581px" /></p>
<p>１８８年になると、涼州では再び大規模な反乱が起こります。</p>
<p>李相如、王国、韓遂らが反乱を起こし、馬騰もこの勢力に加わりました。</p>
<p>朝廷は皇甫嵩を派遣し、董卓もその討伐軍に加わります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ところが、ここで皇甫嵩と董卓の間に大きな問題が生じます。</p>
<p>二人は軍事方針をめぐって意見を異にしました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓は、涼州の事情に詳しい武人として独自の判断を持っていた一方、</p>
<p>皇甫嵩は朝廷から軍全体の指揮を任されていました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>最終的に皇甫嵩が主導権を握り、董卓の立場は次第に悪くなっていきます。</p>
<p>そして朝廷は、董卓が率いていた兵を皇甫嵩に引き渡すよう命じました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし董卓は、これを簡単には受け入れませんでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>朝廷は董卓を并州牧に任命し、その代わりに兵を皇甫嵩へ引き渡すよう求めます。</p>
<p>ところが董卓は、それでも兵を手放そうとしません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これは後の董卓の行動を考えるうえで非常に重要な場面です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓は長年、涼州の兵士たちと戦場をともにしてきました。</p>
<p>そして、この兵士たちこそが董卓にとって最大の政治的・軍事的基盤でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>結果的に董卓は朝廷の命令に完全には従わず、兵を保持したまま動くことになります。</p>
<p>この判断が、後の董卓の運命を大きく変えていくことになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>なぜなら、その直後に後漢王朝そのものを揺るがす大事件が起こるからです。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">霊帝の死と何進の召還</span></h4>
<p>１８９年、霊帝が崩御しました。</p>
<p>皇太子の劉弁が即位し、少帝となります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし、幼い皇帝をめぐって外戚の大将軍何進と宦官勢力が激しく対立しました。</p>
<p>何進は宦官勢力を排除するため、各地の軍事勢力を洛陽へ呼び寄せます。</p>
<p>その一人として董卓にも上洛が命じられました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓は軍勢を率いて洛陽へ向かいます。</p>
<p>ところが、董卓が到着する前に事態は急展開します。</p>
<p>何進が宦官たちによって殺害され、その後、袁紹らが宮中の宦官を大量に殺害しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その混乱の中、宦官の段珪らが少帝と陳留王劉協を連れ出して逃走します。</p>
<p>董卓はその二人の皇族を迎えに行き、北芒付近で保護しました。</p>
<p>こうして董卓は、皇帝と皇弟を手中に収めることになります。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">わずかな兵力から洛陽の実権を握る</span></h4>
<p>董卓が洛陽へ入った当初、彼の兵力は決して巨大ではありませんでした。</p>
<p>そこで董卓は、自軍を大軍に見せるための策略を用いたとされています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この事は「魏志」董卓伝（裴松之注「九州春秋」）に残されている記録となりますが、</p>
<p>後に編纂された「後漢書」董卓伝では、本文に採用されている内容でもあります。</p>
<table style="border-collapse: collapse; width: 100%;">
<tbody>
<tr>
<td style="width: 100%;">夜の間に兵を城外へ出し、翌朝、あたかも新しい援軍が到着したかのように入城させる。</p>
<p>これを繰り返すことで、周囲に董卓軍が実際以上の大軍であるように思わせました。</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
<p>さらに董卓は、何進の残存兵力を取り込みます。</p>
<p>そして、丁原と対立すると、丁原の部将であった呂布を自陣営へ引き入れました。</p>
<p>呂布によって丁原が殺されると、その軍勢も董卓の支配下に入ります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>こうして董卓は、洛陽における軍事的優位を急速に確立していきました。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">少帝を廃し、献帝を即位させる</span></h4>
<p>董卓が次に行ったのが、皇帝の廃立です。</p>
<p>董卓は少帝劉弁を皇帝として不適格だとし、陳留王劉協を新たな皇帝に立てることを主張しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この時、反対した人物の中には盧植もいました。</p>
<p>しかし董卓は自らの軍事力を背景に押し切ります。</p>
<p>こうして劉協が献帝として即位しました。そして董卓自身が朝廷の実権を握ります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ここから董卓は、単なる一地方の単なる武人ではなく、漢王朝そのものを左右する存在へと変貌していきました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓はその後、太尉などの高位を歴任し、最終的には相国となりました。</p>
<p>さらに「入朝不趨」「剣履上殿」といった特別な待遇を与えられます。</p>
<p>これは通常の臣下とは明らかに異なる、極めて高い地位でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして董卓は、自分に反対する者を排除し、朝廷の人事にも強く介入するようになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一方で、董卓の支配は単なる政治的独裁にとどまりません。</p>
<p>兵士たちが民家から略奪を行うこともあり、長安・洛陽周辺の人々に大きな負担を与えました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>かつて部下に褒賞を分け与えて慕われた若き武人は、</p>
<p>権力の頂点に立つと、次第に恐怖によって人々を支配する人物へと変わっていったのです。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">反董卓勢力の結成</span></h4>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-16201 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/反董卓連合.png" alt="" width="758" height="531" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/反董卓連合.png 936w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/反董卓連合-300x210.png 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/10/反董卓連合-768x538.png 768w" sizes="auto, (max-width: 758px) 100vw, 758px" /></p>
<p><span style="font-size: 10pt;">蒼天航路（５巻１７６P・１７７P）より画像引用</span></p>
<p><span style="font-size: 10pt;">※実際に上記漫画の反董卓連合に参加した者達は一部正史の記録とは異なります。</span></p>
<table style="border-collapse: collapse; width: 100%;">
<tbody>
<tr>
<td style="width: 150%; text-align: center;" colspan="2"><span style="font-size: 18pt;">反董卓連合に参加した諸侯</span></td>
</tr>
<tr>
<td style="width: 50%;"><span style="font-size: 14pt;">三国志演義→</span><span style="font-size: 14pt;">１８人（</span><span style="font-size: 14pt;">十八鎮諸侯）</span></p>
<ul>
<li class="odd">第一鎮　　<ruby>後将軍</ruby>・<ruby>南陽太守</ruby>・<ruby>袁術</ruby></li>
<li class="even">第二鎮　　<ruby>冀州刺史</ruby>・<ruby>韓馥</ruby></li>
<li class="odd">第三鎮　　<ruby>豫州刺史</ruby>・<ruby>孔伷</ruby></li>
<li class="even">第四鎮　　<ruby>兗州刺史</ruby>・<ruby>劉岱</ruby></li>
<li class="odd">第五鎮　　<ruby>河内太守</ruby>・<ruby>王匡</ruby></li>
<li class="even">第六鎮　　<ruby>陳留太守</ruby>・<ruby>張邈</ruby></li>
<li class="odd">第七鎮　　<ruby>東郡太守</ruby>・<ruby>橋瑁</ruby></li>
<li class="even">第八鎮　　<ruby>山陽太守</ruby>・<ruby>袁遺</ruby></li>
<li class="odd">第九鎮　　<ruby>済北相</ruby>・<ruby>鮑信</ruby></li>
<li class="even"><span style="background-color: #f7f7d5;">第十鎮　　<ruby>北海太守</ruby>・<ruby>孔融</ruby></span></li>
<li class="odd">第十一鎮　<ruby>広陵太守</ruby>・<ruby>張超</ruby></li>
<li class="even"><span style="background-color: #f7f7d5;">第十二鎮　<ruby>徐州刺史</ruby>・<ruby>陶謙</ruby></span></li>
<li class="odd"><span style="background-color: #f7f7d5;">第十三鎮　<ruby>西涼太守</ruby>・<ruby>馬騰</ruby></span></li>
<li class="even"><span style="background-color: #f7f7d5;">第十四鎮　<ruby>北平太守</ruby>・<ruby>公孫瓚</ruby></span></li>
<li class="odd">第十五鎮　<ruby>上党太守</ruby>・<ruby>張楊</ruby></li>
<li class="even">第十六鎮　<ruby>鳥程侯</ruby>・<ruby>長沙太守</ruby>・<ruby>孫堅</ruby></li>
<li class="odd">第十七鎮　<ruby>祁郷侯</ruby>・<ruby>勃海太守</ruby>・袁紹</li>
<li class="even">第十八鎮　曹操</li>
</ul>
</td>
<td style="width: 100%;"><span style="font-size: 14pt;">正史三国志→</span><span style="font-size: 14pt;">１３人</span></p>
<p>孔融・陶謙・馬騰・公孫瓚は不参加。</p>
<p>正確に述べると焦和（青州刺史）等も反董卓連合に立ち上がっています。</p>
<ul>
<li class="odd"><ruby>袁術</ruby></li>
<li class="even"><ruby>韓馥</ruby></li>
<li class="odd"><ruby>孔伷</ruby></li>
<li class="even"><ruby>劉岱</ruby></li>
<li class="odd"><ruby>王匡</ruby></li>
<li class="even"><ruby>張邈</ruby></li>
<li class="odd"><ruby>橋瑁</ruby></li>
<li class="even"><ruby>袁遺</ruby></li>
<li class="odd"><ruby>鮑信</ruby></li>
<li class="odd"><ruby>張超</ruby></li>
<li class="odd"><ruby>張楊</ruby></li>
<li class="even"><ruby>孫堅</ruby></li>
<li class="odd">袁紹</li>
</ul>
<p>&nbsp;</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓の専横に対して、各地の諸侯が反発します。</p>
<p>１９０年、関東の諸勢力が董卓討伐を掲げて兵を挙げました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ここは『三国志演義』との違いに注意が必要です。</p>
<p>演義では曹操が反董卓連合を呼びかけたように描かれますが、</p>
<p>正史では橋瑁が檄文を作って諸州郡に送ったことが、反董卓勢力形成の重要な契機となっています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その後、袁紹らが兵を挙げ、董卓と対抗します。</p>
<p>この中でも特に董卓を苦しめたのが、長沙太守から挙兵した孫堅でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また劉備・関羽・張飛らが反董卓連合に参加した記録は残されてはいません。</p>
<p>そして曹操は袁紹指揮下として参加しています。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">洛陽を捨て、長安へ</span></h4>
<p>反董卓勢力が強大化すると、董卓は洛陽を維持することが困難になっていきます。</p>
<p>そこで董卓は献帝を連れて長安へ都を移すことを決断します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この遷都には、政治的・軍事的な理由がありました。</p>
<p>長安は董卓の勢力基盤である涼州に近く、関中を支配するうえでも有利な位置にあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただし、その過程で洛陽は大きな被害を受けました。</p>
<p>董卓は洛陽を焼き払い、宮殿や民家を破壊して長安へ移動します。</p>
<p>さらに洛陽周辺の陵墓を発掘し、財物を持ち去らせたとも記録されています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>こうしてかつて後漢王朝の中心だった洛陽は、大きく荒廃することになりました。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">孫堅との戦いと董卓の敗退</span></h4>
<p>董卓軍と反董卓勢力の中で激しく戦ったのが孫堅でした。</p>
<p>孫堅は陽人で董卓軍を破り、その後も洛陽方面へ進出します。</p>
<p>董卓側の胡軫らが孫堅軍に敗れるなど、董卓は軍事的にも次第に追い込まれていきました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>最終的に董卓は洛陽を維持することができなくなり、長安へ退却します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただし、ここで重要なのは、</p>
<p>「反董卓連合が洛陽を奪い、董卓を長安から完全に追い払った」</p>
<p>という単純な構図ではないことです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>反董卓勢力は董卓を完全に滅ぼすことができず、</p>
<p>諸侯同士の利害対立もあって、次第にまとまりを失っていきました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓は長安で依然として強大な権力を維持することになります。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">長安でさらに深まる暴政</span></h4>
<p>長安へ移った董卓は、さらに権力を強めました。</p>
<p>そして自らを「太師」と称するまでになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一方、董卓に対する反感は日に日に強まっていきました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その中心となった人物が司徒の王允です。</p>
<p>王允は董卓を排除するため、董卓の側近である呂布を利用する計画を進めますが、ここで董卓と呂布の関係が重要になります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓は丁原の部将だった呂布を自陣営へ引き入れました。</p>
<p>呂布は董卓の養子となり、董卓から厚い信任を受けます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし、二人の関係は次第に悪化していきます。</p>
<p>正史『三国志』によれば、呂布はある時、董卓の怒りを買い、董卓から戟を投げつけられるほど危険な目に遭っています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その後、王允が董卓暗殺の計画を持ちかけると、呂布はこれに加わりました。</p>
<p>なお、ここは『三国志演義』との大きな違いがあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>演義では「貂蝉」をめぐる三角関係が董卓と呂布の対立原因として非常に有名ですが、</p>
<p>貂蝉という美女を使った連環の計は演義による創作です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>正史では、呂布が董卓の侍女と私通していたことを恐れていたという記述はあります。</p>
<p>しかし、それを「貂蝉」という人物や有名な恋愛劇として描くことはできません。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">董卓、最期の時</span></h4>
<p>１９２年、王允らはついに行動に移ります。</p>
<p>董卓が献帝に謁見するため宮中へ向かったところ、呂布らが待ち伏せしていました。</p>
<p>そして呂布は董卓を刺殺します。</p>
<p>こうして、後漢王朝の実権を握っていた董卓は、あっけなくその生涯を終えました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その死を見届けた人々の反応は、</p>
<p>董卓の支配がいかに恐怖に満ちたものであったかを物語っています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓の死体は市中にさらされ、その身体に灯芯を置いて火をつけたところ、</p>
<p>脂肪が多かったため長時間燃え続けたという逸話も残されています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また、董卓の一族も処刑されました。</p>
<p>董卓の母親も殺害されており、董卓の一族に対する報復は徹底したものでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>さらに正史『後漢書』には、董卓の死を知った人々が喜び、肉や酒の値段が上昇するほどだったという趣旨の記録もあります。</p>
<p>それほどまでに、董卓に対する民衆の憎悪は深かったのでしょう。</p>
<h4><span style="font-size: 18pt;">若き日の董卓と、暴君となった董卓</span></h4>
<p>董卓という人物を正史から眺めると、非常に興味深い変化が見えてきます。</p>
<p>若き日の董卓は、武勇に優れ、弓馬に秀で、羌族の豪族たちとも親しく交流しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>戦場では危機に際して機転を利かせ、部下に褒賞を分け与えることで人心をつかみました。</p>
<p>そのため、若き日の董卓は決して「無能な悪人」ではありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>むしろ、辺境の軍事環境の中で鍛えられた、非常に有能な武人だったと考えられます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし、後漢王朝の政治が崩壊し、軍事力を背景に権力を握るようになると、その性格は大きく変化していきました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>皇帝を廃立し、朝廷を自由に動かし、反対者を排除するものの、</p>
<p>て最後には、自らが作り上げた軍事的権力によって支配しながら、その権力の中心にいた呂布によって命を奪われました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>董卓の人生は、</p>
<p>「涼州の武人」から「漢王朝最大の権力者」へ。</p>
<p>そして、「人に慕われる豪傑」から「天下に憎まれる暴君」へという、大きな転落の物語でもあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>陳寿は『三国志』董卓伝の末尾で、董卓ら後漢末の群雄について厳しい評価を下しています。</p>
<p>特に董卓については、その残虐さと暴虐ぶりが極端なものであったと評しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただし、董卓の最期だけを見てしまうと、</p>
<p>彼がどのようにしてそこまでの権力を手に入れたのかが見えなくなります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>実際の董卓は、最初から単純な暴君だったわけではありません。</p>
<p>涼州という辺境で異民族と交わり、弓馬を身につけ、戦場で功績を重ね、兵士たちの信頼を獲得した一人の武人でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その男が後漢末という巨大な政治的混乱の波に乗り、ついには皇帝の廃立さえ左右する存在へと登り詰めたのです。</p>
<p>そして、その権力を制御することができなくなったとき、董卓自身が生み出した軍事権力によって、最後の幕が下ろされました。</p>
<p>それこそが、正史から見た董卓の生涯だったといえるでしょう。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>穴を掘って虎を待つの計</title>
		<link>https://daisuki-sangokushi.com/2020/08/29/%e7%a9%b4%e3%82%92%e6%8e%98%e3%81%a3%e3%81%a6%e8%99%8e%e3%82%92%e5%be%85%e3%81%a4%e3%81%ae%e8%a8%88/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[nekozyarashi]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 29 Aug 2020 05:35:44 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[曹操]]></category>
		<category><![CDATA[呂布]]></category>
		<category><![CDATA[三国志に登場する計略]]></category>
		<category><![CDATA[曹操と呂布]]></category>
		<category><![CDATA[劉備]]></category>
		<category><![CDATA[小沛]]></category>
		<category><![CDATA[呂布の滅亡]]></category>
		<category><![CDATA[二虎競食の計]]></category>
		<category><![CDATA[駆虎呑狼の計]]></category>
		<category><![CDATA[陳登]]></category>
		<category><![CDATA[陳珪]]></category>
		<category><![CDATA[穴を掘って虎を待つの計]]></category>
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					<description><![CDATA[「穴を掘って虎を待つの計」 呂布にまつわる計略で有名なのは、 「二虎競食の計」や「駆虎呑狼の計」ですが、 &#160; 「穴を掘って虎を待つの計」も呂布にまつわる計略の一つになります。 &#160; これは名前の通り、「 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h3><span class="f_17" style="font-size: 24pt;">「穴を掘って虎を待つの計」</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-9804 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/08/白虎-.png" alt="" width="791" height="527" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/08/白虎-.png 870w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/08/白虎--300x200.png 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/08/白虎--768x512.png 768w" sizes="auto, (max-width: 791px) 100vw, 791px" /></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">呂布にまつわる計略<span style="font-size: 12pt;">で有名なのは、</span></span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">「二虎競食の計」や「駆虎呑狼の計」</span>ですが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span class="f_17" style="font-size: 18pt;">「穴を掘って虎を待つの計」</span>も呂布にまつわる計略の一つになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これは名前の通り、<span style="font-size: 18pt;">「落とし穴」</span>という罠をしかけることで、</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">虎（呂布）が罠にかかるまでゆっくりと待つといった計略</span>になります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">「穴を掘って虎を待つの計」</span>は、<span style="font-size: 12pt;">「二虎競食の計」「駆虎呑狼の計」の延長線上の計略</span>でもあり、</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">呂布討伐の総仕上げともいえる計略</span>といっていいでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみにこの三つの計略は、<span style="font-size: 12pt;">全て三国志演義に登場した計略</span>になります。</p>
<h3><span style="font-size: 18pt;">「二虎競食の計」＆「駆虎呑狼の計」</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-9806 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/08/二虎競食・駆虎呑狼の計.png" alt="" width="795" height="530" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/08/二虎競食・駆虎呑狼の計.png 1800w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/08/二虎競食・駆虎呑狼の計-300x200.png 300w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/08/二虎競食・駆虎呑狼の計-768x512.png 768w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/08/二虎競食・駆虎呑狼の計-1024x683.png 1024w" sizes="auto, (max-width: 795px) 100vw, 795px" /></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">「二虎競食の計」</span>は、</p>
<p>劉備と呂布を争わせる為に<span style="font-size: 18pt;">荀彧が提案した計略</span>ですが、</p>
<p><span style="font-size: 18pt;">「二匹の虎」</span>の間に<span style="font-size: 18pt;">「肉」</span>を落として争わせるといった計略でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>二匹の虎は勿論劉備と呂布を例えたものですが、</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">劉備を正式な徐州牧に任じた事で、呂布の討伐を依頼するというものでした。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>曹操にとって呂布と劉備が手を組んでいることを非常に脅威に感じていただけに、</p>
<p>荀彧の提案を実行へと移していったのでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかしこの計略は、結果を先に行ってしまうと失敗します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">結局「徐州牧」という肉を劉備に与えただけ</span>で、</p>
<p>呂布には何の肉も与えられていないことで、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>曹操が二人を仲違いさせる為に仕掛けてきた計略だと感じた劉備は、</p>
<p>うまくこの話をはぐらかしたのでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一方の呂布にも何かしらの肉を与えていたならば、</p>
<p>「二虎競食の計」は成功していた可能性はあるかなと思います。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="RnG0hcaaEk"><p><a href="https://daisuki-sangokushi.com/2019/09/23/%e4%ba%8c%e8%99%8e%e7%ab%b6%e9%a3%9f%e3%81%ae%e8%a8%88/">二虎競食の計</a></p></blockquote>
<p><iframe loading="lazy" class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;二虎競食の計&#8221; &#8212; なんでも三国志" src="https://daisuki-sangokushi.com/2019/09/23/%e4%ba%8c%e8%99%8e%e7%ab%b6%e9%a3%9f%e3%81%ae%e8%a8%88/embed/#?secret=hW7tlFvErp#?secret=RnG0hcaaEk" data-secret="RnG0hcaaEk" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして<span style="font-size: 18pt;">「二虎競食の計」の失敗</span>を糧に編み出されたのが、</p>
<p><span style="font-size: 18pt;">「駆虎呑狼の計」</span>になります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに「駆虎呑狼の計」も<span style="font-size: 12pt;">荀彧が考えた計略</span>になります。</p>
<table style="width: 100%;">
<tbody>
<tr>
<td><span style="font-size: 14pt;">～駆虎呑狼の計～</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><span style="font-size: 12pt;">穴の中にいる</span>虎</span>の前に<span style="font-size: 18pt;">豹</span>が現れれば、</p>
<p>虎は穴をから出てきて、豹を必ず追いかけるはずであるから、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その隙に<span style="font-size: 18pt;">狼</span>に虎の穴を狙わせようとした計略になります。</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">この場合の<span style="font-size: 18pt;">虎は劉備、豹は袁術、狼は呂布</span>になり、</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">劉備に袁術を討伐をさせている間に、</span><span style="font-size: 12pt;">留守になった徐州を呂布に襲わせようとしたもので、</span></p>
<p>実際に目論見通り、劉備が留守にしていた<span style="font-size: 12pt;">徐州は呂布に奪われてしまいます。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただその後に行き場を失った劉備と呂布があべこべに和解し、</p>
<p>劉備は小沛城に入った事で、<span style="font-size: 12pt;">完全に成功したとは言い難い結果</span>にはなっています。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="qF3opnuN4t"><p><a href="https://daisuki-sangokushi.com/2019/09/24/%e9%a7%86%e8%99%8e%e5%91%91%e7%8b%bc%e3%81%ae%e8%a8%88/">駆虎呑狼の計</a></p></blockquote>
<p><iframe loading="lazy" class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;駆虎呑狼の計&#8221; &#8212; なんでも三国志" src="https://daisuki-sangokushi.com/2019/09/24/%e9%a7%86%e8%99%8e%e5%91%91%e7%8b%bc%e3%81%ae%e8%a8%88/embed/#?secret=hcALiEX9fl#?secret=qF3opnuN4t" data-secret="qF3opnuN4t" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<h3><span style="font-size: 24pt;">「穴を掘って虎を待つの計」</span></h3>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-9800 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/08/陳到と曹操①.png" alt="" width="746" height="1098" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/08/陳到と曹操①.png 466w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/08/陳到と曹操①-204x300.png 204w" sizes="auto, (max-width: 746px) 100vw, 746px" /></p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class=" wp-image-9801 alignnone" src="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/08/曹操と陳登②.png" alt="" width="748" height="1103" srcset="https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/08/曹操と陳登②.png 466w, https://daisuki-sangokushi.com/wp-content/uploads/2020/08/曹操と陳登②-203x300.png 203w" sizes="auto, (max-width: 748px) 100vw, 748px" /></p>
<p><span style="font-size: 10pt;">横山光輝三国志（１２巻８３P・８４P）より画像引用</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">「二虎競食の計」「駆虎呑狼の計」のその後、</span></p>
<p>曹操は呂布に対して官位を送ったり<span style="font-size: 18pt;">呂布の懐柔</span>へと動き出します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>曹操としては呂布と袁術が結びつく事に注意を払い、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また呂布も曹操に恩義を感じ、袁術の息子と呂布の娘の婚姻の為に、</p>
<p>呂布の元へと遣わされた袁術の使者を捕らえて曹操の元へと送ったりもしました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかしその時に曹操の元を訪れた<span style="font-size: 18pt;">陳登</span>と結び、</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">呂布を倒すべく、裏の方で強く結びつくことに・・・</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>もともと<span style="font-size: 12pt;">陳珪・陳登親子</span>はもともと陶謙の臣下で、</p>
<p>陶謙亡き後は劉備を主人だと思って仕えておりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし呂布が劉備を襲ったことで、呂布がいきなり主人になったわけです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それに対してよく思っていなかったこともあり、曹操に手を貸すことに何の抵抗もなかったのです。</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">むしろ呂布の滅亡を望んでいた</span>というのが正確な所でしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これにより曹操は呂布討伐の際に、</p>
<p>陳珪・陳登親子と共に協力してくれるように依頼し、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その後の劉備も表面上、呂布と繋がっている状態だったこともあり、</p>
<p>すんなり曹操と裏で繋がる事となります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>準備が整った曹操は、後は呂布討伐に乗り出すだけとなったのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>もうお分かりかもしれませんが、</p>
<p>この計略を<span style="font-size: 18pt;">「穴を掘って虎を待つの計」</span>といい、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>もちろんここでの<span style="font-size: 18pt;">「虎」は呂布</span>になりますし、</p>
<p><span style="font-size: 18pt;">「穴」にあたるのが陳珪・陳登・劉備</span>になります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">つまり曹操は三つの落とし穴を準備</span>したわけです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかしここで予期せぬ出来事が起こり、</p>
<p>曹操から劉備への書簡を届けていた使者が呂布に捕らえられてしまいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これにより劉備が曹操と結んで、自分を滅ぼそうとしていることに気づき、</p>
<p>呂布は劉備討伐へと乗り出していくのでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これにより劉備は危機的状況に陥りますが、</p>
<p>残された<span style="font-size: 18pt;">陳珪・陳登の裏切り</span>によって呂布の状況は悪化し、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>戦いが続く中で<span style="font-size: 18pt;">侯成・魏続・宋憲など更なる裏切り</span>を招いたことで、</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">最終的に呂布は捕らえられて処刑</span>されてしまいました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「穴を掘って虎を待つの計」もすんなりとうまくいった計略とは言い難いかもしれませんが、</p>
<p>結局呂布は曹操が準備した穴に落ちて捕らえられたことで、<span style="font-size: 12pt;">成功を収めた計略</span>だと言えると思います。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
