孟獲の妻といえば今回紹介する祝融夫人ですが、 祝融夫人はいわずもがな三国志演義にだけ登場する女性であり、 三国志正史には登場しない人物です。 「七縦七擒」の名前の由来となった孟獲 祝融夫人(しゅくゆうふじん […]
「異民族」の記事一覧(2 / 3ページ目)
「七縦七擒」の名前の由来となった孟獲
劉備亡き後に南蛮王であった孟獲が反乱を起こして、 七度捕らえて七度解放させた「七縦七擒」の話は有名ですが、 あくまでこの設定は三国志演義の話であって、 真実の孟獲の姿とはまた違っているというのが正直なところ […]
「魏志倭人伝」から見た邪馬台国と卑弥呼
魏志倭人伝 日本には「万葉集」「日本書紀」という昔の歴史を知るためのものがあるけれども、 それより古い時代の日本について、 最も詳しく記載された初めての文献が「魏志倭人伝」なのです。 ここで一 […]
卑弥呼が「親魏倭王」の称号を頂いたのは、司馬懿のお陰!?
「魏志倭人伝」には、 難升米らは、魏皇帝(曹叡)に、 奴隷十人(男性の奴隷四人&女性の奴隷六人)と班布(綿布)二匹二丈を献上し、 ※一匹=四丈=約9.2mなので、二匹二丈は約23m。 魏皇帝(曹叡)はこれに […]
「後漢書東夷伝」から見た日本
後漢書東夷伝 昔の日本、つまり「倭」に関する事が記載されており、 有名な文献に「漢書地理志」「後漢書東夷伝」「魏志倭人伝」があります。 三国志の時代の頃の倭について記載されているのが、 「魏志倭人伝」になり […]
「漢書地理志」から見た日本
倭についての記載が残る文献 三国志の時代で有名なのは、 「魏志倭人伝」に記載された卑弥呼の魏への朝貢でしょう。 中国から見て、当時の日本は「倭」と呼ばれており、 卑弥呼は邪馬台国という国を治め、国内で勢力を […]
魏の高句麗討伐の背景&高句麗討伐を未然に防ぐ事に命を懸けた高句麗の忠臣、得来(とくらい)
魏の高句麗討伐への足場になった公孫淵討伐 魏の曹叡の時代、 遼東半島を支配下に置いていた公孫一族(公孫瓚一族とは別)であった公孫淵が、 魏に反旗を翻し、燕王を名乗り独立する動きを見せます。 しかしこの公孫淵 […]
孔明と孟獲(南蛮討伐/七縦七擒)
益州南部の三郡の反乱 劉備が死んで後、益州南部で反乱が勃発します。 反乱を起こしたのは、益州南部の豪族の雍闓ようがいでした。 それに呼応するように近隣でも高定こうてい・朱褒しゅほうが反乱を起こします。 &n […]