若かりし頃の吾粲(ごさん) 吾粲は揚州呉郡烏程県の出身であり、呉の孫権に仕えた人物になります。 「呉志」にも個人伝が立てられている程の人物であり、 虞翻 ・ 陸績 ・ 張温 ・ 駱統 ・ 陸瑁 ・ 朱拠ら […]
「二宮の変」タグの記事一覧
朱然 -孫権から絶大な信頼を受けた江陵の守護神-
朱然(施然) 朱然は孫策を支えた朱治の甥にあたる人物で、 もともとの姓は「朱」ではなく、「施」でした。 それは朱治の姉が嫁いだ先が「施氏」であり、 その間に生まれた子が朱然で、もともとは施然という姓名だった […]
何姫(昭献皇后) -孫和の側室&孫晧の母親-
何氏(何姫)-孫晧の母親- 何氏は何姫と呼ばれることも多く、 皇太子であった孫和の側室になり、孫晧を産んだ女性でもあります。 何氏は何遂の娘でしたが、 孫権が行幸中にたまたま何氏を見かけたのが […]
呉で初めての生前皇后になった潘淑(潘皇后)
潘淑(はんしゅく)-寒門出身からの大逆転- 潘淑は会稽郡出身の人物ですが、孫権の側室というだけではなく、 二代皇帝となった孫亮の母親を産んだ女性でもあります。 そんな潘淑ですが、寒門出身の娘というだけでなく […]
「二宮の変」の片棒を担ぎ、不遇の末路を辿った孫和
呉の衰退する原因となった「二宮の変」。 呉の太子になりながらも廃嫡に追いやられてしまったのが、 今回の主人公となる孫和になります。 「二宮の変」では孫和と孫覇の対立が際立ったことで知られていま […]
「二宮の変」で孫和(太子)と争った孫覇
晩年の孫権に振り回された人物の一人として名前が挙げられるのが、 今回紹介する孫覇ではないかと思います。 孫権の子でありながらも、 兄である孫和と対立したことで「二宮の変」が起こり、   […]
諸葛亮の「出師の表」の呉版、孫登の「遺言状」
孫登は孫権の皇太子であり、跡継ぎ候補でした。 孫登は聡明な上に、優しさを持った人物で、 多くの人達に愛されていました。 そんな孫登が重病にかかり、明日をも知れぬ命となった際に、 孫権の為に書き […]