劉璋・劉備に仕えた王連(文儀) 王連は荊州南陽郡の人物であり、息子に王山がいたことが分かっています。 そんな王連ですが、どういう経緯で益州に来たのかは不明ですが、 劉焉亡き後の劉璋に仕官し、梓潼の県令に任じ […]
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劉璋 -民衆を第一に考えた益州二代目-
益州(地方)で独立国の夢を描いた劉焉の跡を継いだのが劉璋ですが、 二代目劉璋がどんな生涯を送ったのかをここでは見ていきます。 世間一般に「暗愚」「無能」と言われることが多い劉璋ですが、 そうとは一概に言えな […]
劉備に仕える事を潔しとせず、それでも最後は劉備に重用された潔白の士【劉巴】
劉巴(りゅうは) 劉巴は、荊州零陵郡の出身で、才能豊かな人物でした。 実際荊州を治めていた劉表も何度も劉巴を招こうとしますが、 劉巴は個人的な因縁もあり、劉表に仕える事はしませんでした。 劉表がこの世を去り […]
いぶし銀、簡雍(かんよう)/劉璋を降伏させた男
簡雍(かんよう) 劉備が旗揚げ時から付き従ってきたのは、 関羽・張飛のみであるみたいなイメージが非常に強いですが、 実は簡雍も劉備と同郷出身で、関羽らと出会う以前から面識があったようです。 そんな簡雍はどん […]
筋の通った生き方を貫き、劉備・曹丕から大きな信頼を受けた黄権
劉璋時代の黄権(こうけん) 最初、黄権は劉璋に仕えた人物で、 劉璋が漢中で勢力を保っていた張魯に対抗するために、 劉備を荊州より呼び寄せ、力を借りようとしました。 その時黄権は、その危険性を劉璋に説き、 「 […]
関中のインフラ整備に尽力した衛覬(えいき)
衛覬(えいき) 衛覬が若かりし頃、曹操に登用され、 茂陵令・尚書郎となります。 衛覬は、書道の名人で、 篆書体・隷書体の少し癖がある字を使っていました。 この当時、美しく文字を書ける衛覬は、 […]
⑩劉備が益州攻略を成し遂げ、天下三分の計の実現
荊州南部を獲得して土台を築く 赤壁の戦いで勝利した劉備・孫権軍でしたが、 劉備は領地をもってない放浪軍といっても過言でない立ち位置でした。 そこで劉備は、なにがなんでも領地獲得が目先の必須事項であり、 荊州 […]