裴秀(季彦) 裴秀は司隸河東郡聞喜県の出身で、魏に仕えた裴潜の息子になります。 弟には裴耽がいますが、父親である裴潜の弟にあたる裴徽の子孫に裴松之がいます。 裴松之は陳寿が著した正史「三国志」に注釈を加えた […]
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左思 -「三都賦」&「洛陽の紙価を高からしむ(洛陽紙貴)」-
「三都賦」で知られる左思(太沖) 左思さしは字を太沖といい、斉国臨淄県の出身になります。 斉国臨淄県というのは、かつて戦国時代の斉の首都があった場所です。 三国時代で言えば青州にあたるので、 青州と考えても […]
王渾 -張悌・孫震を討ち取った呉攻略の功労者-
王渾(玄沖/おうこん) 王渾は并州太原郡晋陽県の出身で、 王昶の息子にあたりますが、魏晋にわたって活躍した人物になります。 王渾の活躍として一般的に知られているのは、 280年の呉滅亡の一方面を任された人物 […]
全長170メートルを超える晋の巨大軍艦「連舫」
三国時代に登場する船で一般的に知られている船は、 「走舸」「蒙衝」「楼船」あたりの船が思い浮ぶ人が多いのではないでしょうか!? 折角なので簡単に三つを説明すると、 速度を徹底的に追求したのが「 […]
傅僉(ふせん) -父親である傅彤と同じ生き方を貫いた英傑-
傅彤を父親に持つ傅僉(ふせん) 父親である傅彤ふとうは、夷陵の戦いで敗北した劉備を逃がす為に 殿しんがりを引き受けて討死を果たした人物です。 傅彤の最期は壮絶なもので、多くの兵が次々と討ち取られていく中で、 […]
吾彦 -呉の滅亡まで城を守り、西晋でも活躍を続けた名将-
若かりし頃の吾彦(ごげん) 吾彦は揚州呉郡呉県の寒門出身ではありましたが、 身長は八尺(約192cm、一尺≒24cm)の長身で、文武に優れた人物でした。 また剛腕の持ち主であり、猛獣と素手で戦った事もあった […]
樊建 -黄皓に靡く事がなかった蜀漢政権の最期の尚書令-
樊建(はんけん) 樊建は荊州義陽郡の出身であり、劉禅に仕えた人物になります。 251年に樊建は呉への使者として派遣されるのですが、 その時の孫権はたまたま病に伏しており、諸葛恪が代わりに面会し […]
呼廚泉 -於夫羅の跡を継いだ匈奴の長寿単于-
三国時代は戦いに次ぐ戦いで人口が激減した時代であり、 各地に割拠する群雄は、異民族を取り入れて兵力を確保するみたいなことがよくありました。 蜀が北伐の際に氐族を味方にしたりとしますが、 それは北方の魏でも同 […]