葛玄(葛仙公)-左慈の弟子- 「呉志」第十八巻には、 「呉範伝」「劉惇伝」「 趙達伝」があるのですが、 三人は凄腕の占い師で、「江南八絶」に数えられた三名でもあります。 ここには裴松之が注釈を […]
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龐徳公 -龐徳の従父であり、臥龍・鳳雛・水鏡の生みの親-
龐徳公(襄陽の有名な名士) 龐徳公は荊州南郡襄陽県で知られた名士であり、 人物鑑定としても名を知られた人物です。 龐徳公の甥には、かの有名な龐統がいます。 名前こそ伝わっていませんが、龐統の兄の息子が龐統と […]
橋蕤 -張勲と並ぶ袁術軍のもう一人の大将軍-
大将軍、橋蕤(きょうずい) 橋蕤は張勲と非常に似たような経歴の持ち主なのですが、 袁術が曹操に敗れて九江へ逃れてきた際に登場する人物になります。 袁術は揚州刺史である陳温を殺害して、 新たに揚州での地盤を築 […]
程昱 -常に冷静沈着な状況分析で曹操を支えた智将-
程昱(程立)という人物 程昱ていいくは字を「中徳」といい、誕生年が不明な者が多い三国時代にあって、 きちんと誕生年が永和六年だと伝わっている人物になります。 ちなみに永和六年は、現在の西暦に直すと141年の […]
諸葛瑾 -孫権から絶大な信頼を得た諸葛亮の兄上-
諸葛瑾の出生について 劉備に仕えた諸葛亮の兄にあたるのが諸葛瑾ですが、 父親は一般的に諸葛珪だと言われています。 ただ諸葛瑾と諸葛亮の父親や母親が違う説(異父説や異母説)も普通にあるのも事実で […]
60歳を超えて仕官し、三公まで昇進した「二十四孝」王祥
王祥(おうしょう) 王祥は60歳になるまで仕官の誘いを断り続け、 その年齢になって、 当時徐州刺使だった呂虔に誘われて仕えることになりました。 そして呂虔が王祥に徐州の政治の全般を任せると、 […]
劉備の正妻であった糜夫人&劉備に長く付き従った甘夫人
糜夫人 -劉備の最初の正室- 劉備が陶謙の跡を継いで徐州を治めた際に、 陶謙の臣下だった者達をはじめ、多くの者達が劉備に従う事になりました。 ここから劉備に長らく付き従う事になる麋竺・糜芳もそうです。 ちな […]
実は孫策との戦いに勝利していた陳登
陳登(ちんとう) 陳登といえば、徐州の陳珪の息子で、 呂布滅亡の一端を担った人物です。 陳登は徐州を治める君主が変わるたびに、 陶謙→劉備→呂布→曹操と仕えていますが、それぞれに重く採りたてら […]