裴秀(季彦) 裴秀は司隸河東郡聞喜県の出身で、魏に仕えた裴潜の息子になります。 弟には裴耽がいますが、父親である裴潜の弟にあたる裴徽の子孫に裴松之がいます。 裴松之は陳寿が著した正史「三国志」に注釈を加えた […]
「曹爽」タグの記事一覧
夏侯玄・李豊・張緝の命日は、猫の日(旧暦2月22日)である。
夏侯玄・李豊・張緝の命日 夏侯玄・李豊・張緝の三人は、 司馬師殺害計画を立てた事で結果として処刑された三人になります。 そして結果としてその殺害計画が漏洩して失敗します。 三人は捕らえられて処刑されてしまう […]
王渾 -張悌・孫震を討ち取った呉攻略の功労者-
王渾(玄沖/おうこん) 王渾は并州太原郡晋陽県の出身で、 王昶の息子にあたりますが、魏晋にわたって活躍した人物になります。 王渾の活躍として一般的に知られているのは、 280年の呉滅亡の一方面を任された人物 […]
最後の判断を大きく誤ってしまった桓範
桓範(元則)-名家出身- 桓範は豫州沛国の名家の出身であり、 妻は仲長氏という女性で、息子がいたことは分かっているのですが、 何故か息子の名は現在に伝わっていません。 おそらく何の功績もなく、父親ともどもに […]
朱然 -孫権から絶大な信頼を受けた江陵の守護神-
朱然(施然) 朱然は孫策を支えた朱治の甥にあたる人物で、 もともとの姓は「朱」ではなく、「施」でした。 それは朱治の姉が嫁いだ先が「施氏」であり、 その間に生まれた子が朱然で、もともとは施然という姓名だった […]
何晏に関する世説新語の逸話六選
「世説新語」は、 三国時代より更に後の時代にあたる南朝(宋王朝)時代に、 劉義慶によって編纂されたものになります。 ここには後漢末期の人物から、 東晋までの人物についての逸話が集められたものに […]
費禕 -蜀漢を支え続けた最後の「四相(四英)」-
蜀の柱として支えた人物として名が挙がる人物に、 諸葛亮・蔣琬・費禕・董允をの四人がいますが、 この四人を総称して「蜀の四相」と呼ばれたりします。 他にも「四英」とも呼ばれる事もあるようですが・ […]
天才占い師、管輅(公明)
当時呉には「江南八絶」に数えられた、 趙達・劉惇・呉範・宋寿・鄭嫗といった占いの達人がいましたが、 魏には管輅というずば抜けた占いの達人がいました。 呉を支えた江南八絶(趙達・劉惇・呉範・厳武・皇象・曹不興 […]
常に周りの期待に応え、最終的に「漢中の守護神」として漢中を守り抜いた王平
王平(おうへい) 王平は益州巴西郡出身で、 曹操が漢中へ侵攻してくると魏の曹操に仕える事になります。 その後、劉備が漢中へ攻め込んできて曹操を破りますが、 この時、王平は劉備に主替えしています。   […]