劉雄鳴は「三国志演義」には登場することがない人物で、 正史にのみ名が残る人物になります。 少しマニアックな人物ですが、 馬超・韓遂らの関中十部に数えられる可能性のあった人物でもあり、 &nbs […]
「潼関の戦い」タグの記事一覧
流浪の末に真の主人に巡り合った龐徳(ほうとく)
馬騰・馬超親子に仕え、 流浪の末に曹操に仕えることを決意した龐徳の生涯について見ていきます。 そして「忠義の士」として・・・ 「涼州(西涼)の雄」馬騰 龐徳(ほうとく) 涼州出身だった龐徳は、後漢軍からあべ […]
良くも悪くも自分の信念のもとに乱世を生き抜いた馬超
西涼の雄であった馬騰の長男として産まれた馬超ですが、 馬超は正史と三国志演義では、真逆のような生涯を送っています。 三国志演義の馬超を「明」とすれば、正史の馬超は「暗」といっていいかもしれません。 &nbs […]
許褚 -生涯にわたって曹操を守り抜いた豪傑-
許褚(きょちょ) 身長8尺(約184cm)で、腰周りが10囲(約120cm)あり、 容姿が巨漢でな上に虎のように猛々しかったのですが、 ぼけーとしていた事も多かった為、「虎痴」とも呼ばれていました。 &nb […]
韓遂の手下八部(関中八部)
韓遂が率いた手下八部とは? 韓遂が馬騰・馬鉄・馬休が都に呼び出され、 曹操の罠にかかり殺害されてしまいます。 これに怒りを覚えた馬騰の長男である馬超に、 韓遂が味方し、曹操に刃を向けます。 & […]
韓遂 -涼州での反乱に生涯を捧げた反逆者-
韓遂(韓約/文約) 韓遂かんすいについてのことは個人伝が立てられておらず、 陳寿の著した「三国志(正史)」の「魏志」武帝紀や「蜀志」馬超伝であったり、 他には「後漢書」などに記載が残されています。 &nb […]
「素寒貧」の語源になった石徳林
石徳林(姓は石、諱は不明、字は徳林) 蒼天航路(30巻131P)より画像引用 石徳林は、名前から大体分かりますが、 諱(名)は今に伝わっておらず、字が徳林になりますね。 まぁ分かりやすく別例を […]