陶弘景は六朝(南朝)時代の人物になります。 ちなみに六朝とは三国時代の孫呉から、 東晋・宋・斉・梁・陳の六つの王朝を示しており、 陶弘景はこの中の梁の人物であり、茅山派(道教)の開祖としても知 […]
「蜀滅亡」タグの記事一覧
四十五年の月日を経て、関羽一族への復讐を果たした龐会
馬騰・馬超親子に仕え、最終的に曹操に仕えた龐徳! 樊城での関羽との戦いに敗れ、 関羽によって首を刎ねられてしまった龐徳ですが、 生涯をかけて関羽に恨みを忘れなかった人物がいました。 それが龐徳 […]
劉禅降伏時の「降伏文」を作成した郤正(げきせい)
幼少時代の郤正(げきせい) 郤正げきせいは、幼い頃から一人で生活を余儀なくされていた人物でした。 その理由はわかりやすいもので、 父であった郤揖げきしゅうが孟達と共に魏に寝返ってしまったからです。 &nbs […]
蒋斌・王含・柳隠 -蜀滅亡時まで魏の攻撃を防ぎ切った守護神-
鄧艾が陰平道(裏道)から命がけで奇襲を行ったことが功を奏し、 綿竹関の戦いでは諸葛瞻・諸葛尚親子、そして黄崇・張遵などが討死します。 綿竹関を落とした鄧艾は成都へなだれ込むんですけど、 劉禅は譙周の言葉もあ […]
牽招(父)は劉備の「刎頸の友」、牽弘(子)は蜀の「破壊者」
牽弘けんこうの父である牽招は、 若かりし頃に劉備と「刎頸の交わり」を結んでいます。 「刎頸の交わり」は「刎頸の友」とも呼ばれ、 「お前の為ならば首を討たれても本望だ!」といった意味になりますね。   […]
蜀を滅ぼした功績者であり、魏からの独立を夢見た鍾会
幼少の頃の鍾会(しょうかい) 鍾会は鍾繇しょうようの末子としてこの世に生を受け、 母親は、鍾会が立派な人物に成長してくれるように熱心に指導します。 その指導は、鍾会が4歳の時から半端ないものだったらしく、 […]
劉備の「漢王朝再興」という夢の先を見届けた廖化
廖化(りょうか) 廖化が登場するのは、劉備が入蜀を果たし、 関羽が荊州を任されていた時の話です。 廖化は荊州襄陽郡出身で、 関羽の主簿として関羽に仕えた人物としての記録が残っています。 &nb […]
黄権から黄崇へ受け継がれる想い
劉備と黄権 劉備は黄権を信頼し、黄権もまた劉備を信用し、 お互い言葉はなくとも相手を心から信頼していた間柄でした。 しかし関羽の復讐戦で呉と夷陵で激突しますが、 劉備は呉の陸遜の火計によって大敗を喫してしま […]