裴秀(季彦) 裴秀は司隸河東郡聞喜県の出身で、魏に仕えた裴潜の息子になります。 弟には裴耽がいますが、父親である裴潜の弟にあたる裴徽の子孫に裴松之がいます。 裴松之は陳寿が著した正史「三国志」に注釈を加えた […]
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楊慮 -多くの弟子がいたが、十七歳で早世した楊儀の兄-
楊慮 -楊儀の兄- 楊慮ようりょは楊儀の兄にあたる人物であり、荊州襄陽郡の人物になります。 ただ楊慮は十七歳で早世した人物であり、 当たり前ではありますが、 陳寿の「三国志(正史)」に個人伝が […]
公孫恭 -公孫康から遼東半島の地盤を引き継いだ三代目-
公孫恭 -遼東公孫氏の三代目- 公孫恭は公孫度の息子であり、兄に公孫康がいます。 公孫度が遼東半島に地盤を築き、兄である公孫康が領土拡大を成し遂げ、 そんな中で地盤を引き継ぐことになったのが公孫恭になります […]
オリジナル漢字(存在しない漢字)を子供の名前につけた孫休
今でこそ普通に読むことが難しい名前(キラキラネーム等)を子供に付けたりすることが、 一般的になりつつある時代ではありますが、 三国時代にも誰にも読めない名前を息子につけた人物がいました。 &n […]
「七縦七擒」の名前の由来となった孟獲
劉備亡き後に南蛮王であった孟獲が反乱を起こして、 七度捕らえて七度解放させた「七縦七擒」の話は有名ですが、 あくまでこの設定は三国志演義の話であって、 真実の孟獲の姿とはまた違っているというのが正直なところ […]
趙雲 -正史の記述に収まりきれない魅力の持ち主-
三国志でも非常に高い人気を誇る趙雲ですが、 実際の趙雲は正史だけを見た場合に「謎多い人物」でもありました。 そういうこともあって、三国志演義での趙雲の活躍が、 史実であると思ってる方も結構いたりします。 & […]
田豊 -優れた才能を活かせず、生涯に幕を下ろした知将-
袁紹を主君と決めた田豊(元皓) 田豊は冀州出身である人物ですが、 鉅鹿郡と渤海郡のどちらの出身だったのか不明とされています。 そんな田豊の記録ですが、個人伝が立てられている人物ではなく、 「魏志」袁紹伝・武 […]
『五斗米道の真実』張魯が張脩から奪った教団名である
五斗米道(ごとべいどう)とは? 「五斗米道」とは、 三国時代に漢中で広まっていた宗教で、 「五斗米道=張魯」でイメージされてる人も多いかと思います。 五斗米道の名前の由来は、 信者に五斗(五百 […]