公孫恭 -遼東公孫氏の三代目- 公孫恭は公孫度の息子であり、兄に公孫康がいます。 公孫度が遼東半島に地盤を築き、兄である公孫康が領土拡大を成し遂げ、 そんな中で地盤を引き継ぐことになったのが公孫恭になります […]
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公孫康 -公孫度から遼東半島の地盤を引き継いだ二代目-
公孫康 –公孫度の後継者– 公孫康こうそんこうは父親である公孫度同様に、 幽州遼東郡襄平県の人物であり、公孫晃・公孫淵の二人の父親でもあります。 建安九年(204年)に公孫度が亡くな […]
公孫淵を祀る常世岐姫神社(八王子神社)
公孫淵(燕王/遼東公孫氏) 魏(曹叡)と呉(孫権)を相手に、 二股外交の綱渡りをした人物と言えば、 叔父である公孫恭から遼東太守の座を奪い取った公孫淵があげられますが、 燕王を自称したりとやりたい放題をやっ […]
華歆・邴原と合わせて「一匹の龍」と並び称された管寧
龍尾に例えらえた管寧(幼安) 管寧はかつて斉国の名宰相として名を残した管仲の末裔とされている人物ですが、 甘寧の両親の名は今に伝えられていません。 そんな管寧ですが、管寧が16歳の頃に父親を亡くしており、 […]
太史慈は「義」に薄く、親不孝者だった可能性が高い!?
正史での太史慈の経歴 若かりし頃の太史慈といえば、母親の面倒を見てくれていた孔融が、 黄巾賊残党の管亥かんがいに襲われて危機に陥った時に、 太史慈は孔融を救うべく、 相手を罠にかけ城を脱出して劉備へ援軍へ赴 […]
「魏志倭人伝」から見た邪馬台国と卑弥呼
魏志倭人伝 日本には「万葉集」「日本書紀」という昔の歴史を知るためのものがあるけれども、 それより古い時代の日本について、 最も詳しく記載された初めての文献が「魏志倭人伝」なのです。 ここで一 […]
公孫淵 -魏呉への二股外交の先に、独立国を宣言した燕王-
野望を露にした公孫淵 幽州の西側にある遼東半島を中心に、 長らく地盤を維持するきっかけを作ったのが公孫度こうそんどになりますが、 公孫度がこの世を去ると、息子の公孫康が跡を継ぎ、 公孫康が亡くなると、公孫恭 […]
⑯孫権の皇帝即位&公孫淵の「燕」建国
孫権の皇帝即位 諸葛亮が第二次北伐で失敗した頃になりますが、 229年に孫権が皇帝を名乗ります。 つまり一般的に知られている「呉」の建国です。 この頃、夏口・武昌で黄龍・鳳凰が出現したとの報告 […]