「三国志演義」から見る董卓殺害計画

大将軍であった何進と宦官の争いが激化すると、

どさくさに紛れて朝廷内を掌握したのが董卓でした。

 

董卓は黄巾賊討伐の失態などありましたが、

運が味方したことで状況は大きくと董卓に味方したものとなっていたのです。

 

董卓は自分自身に逆らう者達を容赦なく殺害し、

何進の妹と霊帝の子であった劉弁(少帝)を廃立し、

劉協(献帝)を新たな帝として擁立したのでした。

 

そして幼い劉協の後見人的な立場で、独裁政治が行われていくこととなります。

 

 

こんな董卓に対して、多くの怒りを感じた者達がいました。

後に呂布を裏切らせ、董卓殺害に成功した王允などは、この状況に怒りを感じていた一人だったことでしょう。

董卓殺害計画&七星剣(七星宝刀)

横山光輝三国志(4巻132P・133P)より画像引用

 

驍騎校尉ぎょうきこういであった曹操も王允と同じ気持ちで、董卓殺害計画をたてます。

 

曹操は「董卓殺害」が成功させる為に、

自分自身と同じ気持であった王允から「七星剣(七星宝刀)」という名剣を頂戴したのでした。

王允もまた自分に代わって、

『曹操が「董卓殺害計画」を成し遂げてくれれば』と願い、

「七星剣(七星宝刀)」を曹操に託したといいます。

 

 

そしてそれから少しして、董卓殺害の好機がとやってきます。

 

翌日に曹操は董卓から呼び出されることになり、

「七星剣」を隠し持ちつつ董卓の元へと参上したのでした。

 

 

董卓は曹操の参内が遅かった理由を尋ねます。

 

「現在乗っている馬が瘦せている為に、

どうしても移動に時間がかかってしまうのです。」

と嘘か本当か分かりませんが、曹操はそのように返しています。

 

それを聞いた董卓は、曹操に立派な馬を与えるべく、

近辺警護を任せていた呂布にその馬の準備をするようと命じたのでした。

 

これにより曹操は董卓と二人きりになり、絶好の機会が巡ってきたわけですね。

 

 

そして曹操を背に横になっていた董卓を殺害すべく、

曹操は懐に忍ばせておいた七星剣に手をかけようとしたのですが、

 

太陽の光に反射した七星剣が鏡に写った事で、不覚にも董卓に気づかれてしまったのでした。

 

 

董卓は「七星剣」に手をかけていた曹操に対して、

「その剣で何をするつもりだったのだ!?」と問い詰めたのですが、

 

「天下の名剣である七星宝刀を、董卓様に献上する為に持参した次第です。」

と曹操はとっさに言葉を返して、七星剣を董卓に献上したといいます。

 

董卓もまた七星剣のすばらしさを知っており、喜んで七星剣を受け取っています。

 

咄嗟の機転により、なんとか危機をやりすごした曹操でしたが、

董卓殺害計画は失敗に終わったのでした。

 

ただこれは曹操が董卓殺害に失敗した時の保険もかけていたということでしょうね。

董卓を殺害するだけでよければ、七星剣にこだわる必要もないわけですから・・・

 

 

そして「董卓殺害計画が失敗したことは直にばれることであろう。」

と判断した曹操は、洛陽からすぐに立ち去っています。

 

 

た曹操の目論見通り、曹操が殺害計画を立てていたことがばれてしまい、

激怒した董卓によって、曹操は追手を差し向けられています。

 

その後の曹操はというと董卓打倒の檄文を掲げ、

それに応じた諸侯らと共に反董卓連合を結成していく流れとなります。

「三国志(正史)」から見る董卓殺害計画

横山光輝三国志(4巻149~151P)より画像引用

 

上で述べてきた内容は三国志演義に記載されている内容ですが、

(「三国志(正史)」)には次のようなことが書かれています。

 

董卓は曹操を非常に優れた人物と判断し、驍騎校尉に任じたわけですが、

曹操がそれに応じることはありませんでした。

 

 

董卓は多くの者達を殺害したのも事実ですが、

実際に優れた者達も数多く採用しようとした人物であった事も事実です。

 

特に蔡邕が董卓に重要視されたのは有名な話ですね。

 

 

揚州にて気ままに過ごしていたた蔡邕ですが、「殺すぞ!」と脅されると、

急いで董卓のいる洛陽まで足を運んだわけですが、その後の蔡邕は瞬く間に出世しています。

 

三日間で尚書しょうしょ御史ぎょし謁者えっしゃと次々に出世

その跡には益州の巴郡太守にまで任じらたり、侍中に任じらたりと・・・

 

 

とにもかくにも曹操が董卓になびくことがなかったのは、

董卓の独裁政治も近い未来に終わりが来ることが内心で分かっていたからでした。

 

その為に董卓からの将軍職を受け取らず、故郷に身をひそめる選択を選んだわけです。

またかの有名な呂伯奢事件の逸話は、このタイミングでの出来事だったりします。

 

ただ呂伯奢事件は、正史に記録が残されている逸話ではなく、

「魏志」武帝紀に裴松之が注釈を加えた、

「魏書(王沈)」「世語」「雑記(孫盛)」に書かれてある内容になります。

 

 

少し話がずれましたので戻しますと、

曹操が董卓を殺害しようとしたなどの記録は正史に残されていません。

 

その為に曹操による董卓暗殺計画は、

「三国志演義」のフィクションだという事になります。