晩年の孫権

呉の皇帝になった孫権は、

「大皇帝」という諡(おくりな)を貰うほどの大人物でした。

 

孫権が大皇帝と言われた所以は、

孫策の跡を引き継ぎ、赤壁の戦い・夷陵の戦いを筆頭に、

多くの国難に対応してきた人物だからです。

 

 

ただ晩年の孫権は、

ぼけたのかどうか不明だが、

半端なく酷い有様、今の言葉でいえば完全に老害!!

 

孫権が日本を侵略しようとしたのは、

晩年の時の孫権になります。

孫権の日本・台湾への侵略行為

正史には、

次のような記述が残っています。

 

「孫権は、衛温(えいおん)と諸葛直(しょかつちょく)に兵1万を預け、

夷州(いしゅう)・亶州(せんしゅう)を探索させた」と。

230年頃の話です。

 

 

ちなみに夷州(いしゅう)は、

台湾のことで、

 

亶州(せんしゅう)は、

秦の始皇帝が不老不死の薬を見つける為に、

徐福を派遣した島のことです。

 

この島は、

いわずもがな日本のことですね。

 

孫権は、家臣が反対するのも聞かず、

この計画を実行します。

 

陸遜、猛反対する

日本・台湾への侵略には、

何度も国を救ってきた陸遜(りくそん)は、

大反対します。

 

中国地域でさえ、まとまっていない。

ましてや雲を掴むような今回の計画。

反対する人がいて当たり前なんですよね。

 

 

この時、陸遜は孫権に対して次のように言っています。

 

「遠くの地を侵略・統治することで、

天下統一への足掛かりにしようとされてるのかもしれませんが、

どんな考え方をしても今回の侵略・統治計画に全く利点を見出せません」と。

 

それを聞いた孫権は、

何も聞かなかったかのようにスルーして、

侵略計画を実行しています。

日本・台湾への侵略結果

日本への侵略は、完全に失敗し、

台湾への侵略も、失敗しています。

 

台湾である夷州(いしゅう)から、

数千人の民衆をさらってきたのが唯一の成果だったみたいです。

 

しかし、その代償として、

今回の侵略計画によって、1万人のうち兵の大半を失っています。

衛温と諸葛直の処罰

今回の日本・台湾への侵略遠征を任されたこの2名の武将は、

ほとんど何の成果もあげられないだけでなく、

 

兵の大半を失ってしまったことにより、

孫権によって処刑されます。

 

この計画は、

本来雲をつかむような話でした。

 

その計画を、孫権の意思で実行した上に、

予想通り失敗して、処刑って酷すぎます。

 

晩年の孫権の世で、

失敗は完全に命取りになるということだと思います。

亶州に関する正史の他の記述

正史の呉書には、

亶州についての記載が他にないのかというと、

実は少しだけ残っています。

 

呉書には、

「秦の始皇帝が、不老不死を求める為に派遣した徐福(じょふく)の子孫が住んでいる島の住人が、

たまに会稽にきて、布を売って商売をしていた」とあります。

 

逆に、「会稽の民が、漁をしていた際に、

台風の被害にあって、亶州に流れ着いたこともあった」という記載も残っています。

 

面白い話ですね。