呂布との戦争

この頃、徐州の陶謙の部下によって、

曹操の父親である曹嵩が殺害されてしまう事件が起こります。

 

その復讐として、曹操は陶謙が治めていた徐州に攻め込みます。

 

 

そんな最中、呂布が曹操の本拠を襲いました。

慌てた曹操は徐州から撤退し、本拠を守る為に呂布と戦わざるをえなくなります。

 

夏侯惇が捕らえられたのは、この時の話です。

ちなみに夏侯惇が片方の目を失ってしまう原因も呂布との戦いでした。

 

夏侯惇と呂布は、相性最悪みたいですね(笑)

夏侯惇の不覚

夏侯惇と言えば、曹操軍きっての猛将です。

この時の夏侯惇は、呂布の一部隊の兵士達の降伏を受け入れます。

 

しかしこれは偽の降伏で、呂布側の見事な策略だったのです。

降伏した兵士達は、降伏直後に夏侯惇を捕縛。

 

これにより夏侯惇は、不覚にも呂布軍の捕虜となってしまいます。

 

おそらく今回の夏侯惇の失態は、

呂布が計略を用いるなんて全く想像してなかったことが、最大の問題だったと思われます。

 

 

ですが、呂布のもとには、陳宮(ちんきゅう)という切れ者がいたので、

 

実際は、呂布の策略というより、

陳宮の策略というのが正しいところだと思います。

 

そもそも曹操の本拠を狙おうと言い出したのも、

その際に、呂布を盟主に持ち上げたのも陳宮になります。

蒼天航路(8巻53P)より画像引用

韓浩に救い出される

夏侯惇が捕らえられた際に彼を救ったのが、

夏侯惇に仕えていた韓浩かんこうという人物です。

 

韓浩は、まず夏侯惇に対し、

「国の為に犠牲にさせてしまいますが、お許しください」と詫びます。

 

続いて、夏侯惇を捕らえた兵士達に、

「私は曹操様から命令を受けて、今回お前達を討伐しにきてるんだ。

たかだか夏侯惇将軍の命を救うために、お前達を見逃すはずがないじゃないか!」

 

と大喝し、夏侯惇を庇う様子も見せずに攻撃をしかけます。

 

 

これに対して兵士達は謝罪し、降伏を申し出ますが、

韓浩は容赦なく切り捨て、結果として夏侯惇を救い出しています。

曹操に称賛され、法律化される

今回の韓浩の対応に対して、曹操は称賛します。

そして韓浩が取った行動を、新たに自分たちの法律に取り入れます。

 

これにより、「人質を捕った者も捕られた者も斬首」

という新たな法律ができあがったわけです。

 

この法律ができてからというものは、人質を取る者が非常に少なくなったのでした。

韓浩という人物

演義での韓浩は、意味が分からない設定になっていますが、

正史では、韓浩は非常に優れた人物として描かれています。

 

まだ夏侯惇に仕える前は、夏侯惇が韓浩に会う事を切望していましたし、

曹操軍に屯田制を取り入れたのも韓浩です。

 

この制度を採り入れる事で、

曹操軍の力は増大していくきっかけの一つになっています。

 

 

また張魯が統治していた漢中を攻略した際も、

そこを任せる人物として、韓浩を推薦する者が非常に多かったようです。

 

ですが、曹操が、近くに韓浩がいないと不安でならなかったようで、

夏侯淵・張郃(ちょうこう)・杜襲(としゅう)らに、漢中を任せています。

圧倒的機動力を武器とした将軍、夏侯淵

 

任された3人ともそうそうたる面子であるにも関わらず、

 

彼らを差し置いて推薦されていた韓浩は、

さすがだと言わざるをえない一つの証拠になりますね。

 

 

ちなみに以下で紹介している「曹操」という本は、

当時の屯田制や戸調制度などについて記載されている数少ない貴重な一冊です。