孫子の兵法書
孫子の兵法書とは、三国志の時代よりずっと前にあたる、
春秋時代の孫武が作った兵法書になります。
ちなみに春秋戦国時代を経て最後に中華を統一したのが秦であり、
始皇帝死後は劉邦と項羽による漢楚の戦いに突入しています。
最終的に劉邦の勝利で幕を下ろして漢王朝を開いています。
そして漢王朝四百年を経て、三国志の時代へと移っていくわけです。
また孫武の子孫であると言われている孫臏が、
「孫武の兵法書」を最終的に完成させたという説もあったりしましたが、
1972年に「竹簡孫子」と「孫臏兵法」が別々に見つかった事で、
今では孫武と孫臏の兵法書は別々に存在していたという事が分かっていますね。
※山東省銀雀山の前漢時代の墳墓で発見されています。
13項目から成立する孫子の兵法書
「孫子の兵法書」は13の項目から構成されており、
以下に記載するものになります。
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曹操の魏武注孫子
孫子の兵法書を孫武が著したのが紀元前515年頃なので、
それから三国志の時代に入るまで、長い時間が経ってしまっています。
ただ孫武の著した孫子の兵法書は、
多くの人達によって追記の記述(内容の肉付け)がされていました。
またそれに合わせて様々な解説書が出てきており、
読む側にとって記載されていた内容が大幅に増えてしまったこともあり、
逆に分かりにくいものとなっているのが現状でした。
その結果として「孫子13篇」とは別に、
「解説書が69篇」もあるような状態になってしまっていたという状態でした。
そこにメスを加えたのが、三国志の一角である魏の土台を築き上げた曹操です。
曹操は複雑化していた「孫子の兵法書」を整理しなおし、
注釈を加えることで分かりやすいものにしました。
ちなみに曹操が注釈を加えたその孫子の兵法書は、「魏武注孫子」と呼ばれています。
参考までに一つ例を挙げておきます。
「兵は詭道なり」という言葉が最初の一節にありますが、
「戦争には常形がなく(常に形は変化するもの)、騙し合いをするものである」と注釈を加えています。
ちなみにこのような解釈が沢山されているのが魏武注孫子です。
現在にまで伝わる魏武注孫子
そして案外知られていないのが現状ですが、
現在に伝わっている孫子の兵法書は、曹操が注釈を加えた魏武注孫子になります。
今現在、私達が孫子の兵法書を読むことができるのは、ひとえに曹操のお陰という事になるわけです。
私自身も孫子の兵法書はそれなりに読み込みましたが、
孫子の兵法書を分かりやすく、現在まで残してくれた曹操には感謝しかないですね。
もしも曹操が魏武注孫子を著していなければ、
孫子の兵法書は完全に幻の兵法書として、現在に伝わってなかった可能性も十二分にあったと思います。
その最たる例が華佗の医療術であったり、
麻酔薬である麻沸散の作り方なのではないでしょうか!?
「神医」として知られた華佗は、
今の技術でも驚くような処置を、当時の環境下で成し遂げています。
世界初の麻酔薬である「麻沸散」も華佗が作ったとされていますが、
ただ作り方はその後に伝わらず、「幻の麻酔薬」とされています。
このように華佗の医療技術が引き継がれなかったことで、
医療の進歩が1600年は最低遅れたと言われていますから・・・
当時の文献や資料が残っていることで、後世に与える影響は計り知れないものですし、
そういった意味でも曹操の魏武注孫子が果たした役割は大きなものであったと言えるでしょうね。