人心を失った孫晧

孫晧の政治はひどく、人民は孫晧から離れており、

家臣の多くも孫晧から心が離れていました。

そんな呉を懸命に支えていた重臣に陸抗がいました。

 

呉は孫晧の悪政もあり、国を支える人材が不足しており、

陸抗一人で軍事面と政治面の両面を支えていました。

 

かつて諸葛亮が様々な事を一人で背負っており、

陸抗の姿を見て、諸葛亮を見ているようだと言われているほどでした。

 

もともと病気がちであった陸抗は、

これらの責務が重なり、この世を去ってしまいます。

羊祜の死

晋の名将で羊祜(ようこ)という武将がいましたが、

陸抗と常に戦っていました。

 

お互い敵でありながら、お互いの力を認めたりと

変な友情関係もあったというほどです。

 

 

その羊祜が、陸抗が死んだ際に、

「暴政を続けている孫晧が、

帝位についている内に呉を滅ぼさなければいけない。

次の帝位に代われば、またどうなるか分からない。

 

そして呉の陸抗が死んだことにより、

名将と呼べる武将は、現在呉には存在しません。

呉を討伐するなら今を置いて他にありません。」と助言したのですが、

聞き入れられませんでした。

 

その約4年後にあたる278年、羊祜の病状が悪化し、

呉討伐の為の戦略を残して死去します。

 

羊祜の死を知った司馬炎は、非常に悲しみ、

これがきっかけになり、羊祜が長らく主張していた呉討伐を決意します。

司馬炎、呉に侵攻

羊祜の死がきっかけになり、

司馬炎は、ついに本腰入れて呉へ攻め込みます。

 

そして呉侵攻の戦略は、

羊祜が遺言として残していた戦略に基づくものでした。

 

その戦略とは

6方面から呉を一気に攻め滅ぼすという戦略で、

これほど壮大な戦略は三国時代から現代に渡るまで見てもありません。

 

【羊祜の残した呉を滅ぼす為の戦略】

  • 杜預(とよ)に荊州軍を指揮させ、江陵より侵攻させる
  • 王濬(おうしゅん)・唐彬(とうひん)に益州軍を指揮させ、長江を下り侵攻させる
  • 司馬伷(しばちゅう)に徐州軍を指揮させ、涂中(とちゅう)より侵攻させる
  • 王渾(おうこん)・周浚(しゅうしゅん)に揚州軍を指揮させ、横江・牛渚から侵攻させる
  • 王戎(おうじゅう)に豫洲軍を指揮させ、武昌より侵攻させる
  • 胡奮(こふん)に荊州の一部の兵を率いて、夏口より侵攻させる

晋の天下統一

 

279年、晋軍が羊祜の戦略のもとに、

6方面から侵攻を開始し、

そして翌年の280年、呉の都である建業まで迫ります。

 

そして建業まで攻め込まれた孫晧は、

あっさりと晋軍に降伏し、晋が天下統一を果たします。

 

 

三国志というのに、最終的に魏呉蜀ではなく、

晋が統一するというのも不思議な感じがします。

 

とにもかくにも、黄巾の乱より始まった三国志の舞台は、

呉の降伏によって幕を下ろします。

 

沢山の英雄達が覇を競い、泥臭い人間ドラマがあるからこそ、

私達がこの三国志の時代に多くの魅力を感じるのかもしれませんね。