司馬炎が「晋」を建国

司馬昭の跡を継いだ司馬炎は、

魏最後の皇帝である曹奐に対して、禅譲を迫り、

表向きとしては、皇帝の位を譲ってもらいます。

 

魏が漢の献帝にしたことが、

そのままブーメランとして戻ってきた形です。

 

とにもかくにも、これによって魏王朝は滅び、

司馬炎を皇帝とする「晋」が建国されます。

 

これは劉禅が降伏し、蜀が滅亡してから1年足らずの事で、

蜀に続いて、魏が滅びます。

孫晧が呉の皇帝に即位

孫権の死後、孫亮が跡を継ぎましたが、

廃位に追い込まれてしまいます。

 

そして孫亮の廃位後、

孫亮の兄である孫休(異母兄弟)が即位しますが、

30歳の若さでこの世を去ります。

 

この時代、天寿を全うせずに死んだ皇帝が多く、

 

孫休は短い命ながら、自然な病死であったことから、

「最近では珍しく天寿を全うした皇帝だった」と巷でいわれるほどでした。

 

そしてこの孫休の跡を継いだのが、

呉最後の皇帝になる孫晧(そんこう)です。

暴君孫晧

孫晧が皇帝に即位して間もなく、

都を建業から武昌に遷都してしまいます。

 

遷都の理由は分からず、

これ反対した者達は誅殺されてしまいます。

 

もともと建業は張紘の進言を受け入れて、

孫権が都とした都で、呉国民全員が一丸になって作り上げた首都だったので、

この意味不明の遷都に納得できない者ばかりだったのが実情です。

 

それから1年程度で、

気まぐれに都を武昌から建業に戻しています。

 

国民ももうついていけないといった形で、

遷都に伴う大損害を被らされます。

 

 

また宮殿を建て、呉の財政難を加速させ、

私利私欲な生活を送ります。

 

そして孫晧に少しでも反対意見を言う者は、

次々に誅殺されています。

 

これらのことから、孫晧を漢時代・三国時代の歴代皇帝合わせても、

孫晧を超えるような暴君は見当たらないとまで言われたそうです。