「正史」に記載が残る区星

後漢末期の時代に「黄巾の乱」の影響を受け、

 

187年に漢王朝に対して、

長沙郡で反乱を起こした人物が区星おうせいになります。

 

 

また区星に呼応する形

周朝と郭石の二人が零陵郡・桂陽郡で反乱を起こします。

 

 

 

という珍しい姓であることから、

「区星は漢民族ではなかった」と一般的に言われていますね。

 

 

「武陵蛮」などでも知られるように、

荊州南部は異民族が非常に多い土地柄であった事からも、

 

異民族と呼ばれる民族の出身だった可能性もあるかと思います。

 

 

ちなみに「武陵蛮」としられる人物で有名なのは、

後に夷陵の戦いで劉備に加担した沙摩柯しゃまかが有名だと思います。

 

 

 

区星は一万人の軍勢をもって長沙へと攻撃をしかけるわけですが、

 

ここで長沙太守に任じられたのが孫堅であり、

区星の反乱は一か月ほどで鎮圧されてしまいます。

 

 

また零陵郡・桂陽郡の周朝や郭石の起こした反乱も、

区星に続く形で孫堅に鎮圧されてっしまったのでした。

 

 

 

ちなみにですが、「三国志演義」での区星は、

一カ月ではなく、それよりも長い二カ月程度(約五十日)粘りましたが、

 

「正史」同様に最終的に、

孫堅によって鎮圧されてしまっています。