董卓に不満を持つ者達の挙兵

董卓の暴政に不満を覚えた袁紹・袁術・曹操などは、

洛陽からそれぞれの領地に戻っていました。

 

そして曹操が5000人の兵を集めて挙兵します。

 

それに続いて、張邈(ちょうばく)・張超兄弟が挙兵します。

これに呼応して、孔伷(こうちゅう)・橋瑁(きょうぼう)が挙兵。

 

 

また袁紹も挙兵し、

袁紹を盟主とした反董卓連合を結成します。

 

袁紹が反董卓連合を結成すると、各地で挙兵した曹操・張邈らだけでなく、

孫堅・鮑信・韓馥・王匡・公孫瓚らも参加してきます。

長安に遷都

蒼天航路(5巻189P)より画像引用

 

反董卓連合の規模の大きさに恐れをなした董卓は、

洛陽から長安へあっさり遷都してしまいます。

 

董卓は涼州での基盤を持っており、

涼州に近い長安の方が都合もよかったのです。

 

長安への遷都をした董卓でしたが、

家臣に長安を守らせ、董卓自身は廃墟にした洛陽にとどまります。

反董卓連合の足並み揃わず

董卓を討つべく多くの諸侯が反董卓連合に集結し、

兵力的には圧倒的に有利でしたが、

 

それぞれに味方の動きを牽制した為、

董卓を真っ先に攻撃をするものがいませんでした。

 

そんな中、曹操1人は

董卓を攻撃する為に追撃を開始しますが、

董卓軍の武将である徐栄(じょえい)に反撃を食らって負けてしまいます。

 

 

また董卓と反董卓連合が睨み合ってる頃、

中央の乱れに乗じて、遼東の公孫度が後漢から独します。

そして同時期に、白波賊による反乱が兗州で起こっています。

孫堅の進軍

反董卓連合に参加した孫堅は、

董卓を討つべく、長沙より北上を開始します。

 

そして荊州刺史の王叡も、

孫堅と同様に董卓討伐に名乗りをあげていました。

 

しかし孫堅は、過去の因縁があった孫堅は味方であるはずの王叡を討ち取ります。

また食糧支援を拒否した南陽太守の張咨(ちょうし)も討ち取ります。

 

王叡・張咨を討ち取った孫堅軍は、

大きく膨れ上がっていきます。

 

その後、孫堅は袁術と合流し、孫堅は董卓の家臣である徐栄と戦いますが、

孫堅軍は徐栄軍にやぶれてしまいます。

孫堅の身代わりになった祖茂

陽人の戦い(汜水関の戦い)

徐栄軍に敗れてしまった孫堅でしたが、

その後立て直し、再度董卓に勝負を挑みます。

 

今度は呂布・華雄が孫権を迎え撃ちますが、

華雄は討ち取られ、呂布を敗走させています。

 

またこの時董卓本人も援軍に出していましたが、

返り討ちにあってしまいます。

 

董卓軍を蹴散らした孫堅は、洛陽まで迫ります。

孫堅の洛陽入城

孫堅の圧倒的強さに恐れをなした董卓は、

「孫堅の子供や家臣を要職につけるから許してほしい」と和睦を申し込みますが、

孫堅はこの提案を一蹴します。

 

孫堅と和睦できなかった董卓は、

洛陽をこれ以上守り抜くことができないと判断し、長安まで退却してしまいます。

そして孫堅は洛陽に入城します。

 

洛陽を奪った孫堅でしたが、

洛陽は既に董卓によって廃城になっており、得るものは何もありませんでした。

反董卓連合の空中分解

まとまりにかけた連合側でしたが、

孫堅のお陰で一応の勝利を収める事ができました。

 

しかし、連合内は完全に分裂しており、

仲間割れが発生していきます。

 

劉岱によって橋瑁が殺され、

袁紹は、韓馥から冀州の領地を奪い取ります。

 

また袁家一族の袁紹と袁術の対立が起こります。

孫堅の死

袁紹と袁術が対立が激化し、袁紹を倒す為に袁術は公孫瓚と同盟を組み、

袁術を倒す為に袁紹は劉表と同盟を組みます。

 

その結果、袁術の命令を受けた孫堅は、

袁紹と同盟を結んだ劉表討伐に乗り出します。

 

しかしそれを迎え撃った黄祖によって、

孫堅は討死してしまいます。

 

主君を討ち取られた孫堅軍は、

袁術の元に退却し、その指揮下に入ることととなります。

孫家三代(孫堅・孫策・孫権)を翻弄した黄祖

華北の動乱

この頃冀州では、

青州の黄巾の残党が暴れまわっていました。

それを討伐したのが公孫瓚で、その武勇が冀州一帯に轟きます。

 

また袁紹は韓馥の領地を奪い取り、

領土を拡大します。

 

その両雄が、

華北の地を巡って争っていくことになります。

張魯の漢中独立

益州の牧として赴任した劉焉の命令によって、

張脩(ちょうしゅう)と共に、漢中太守であった蘇固(そこ)を討ち取ります。

 

しかし蘇固を討ち取った後、張魯は張脩を討ち取り、

この地で独立を宣言します。

五斗米道は張魯が張脩から奪った教団名である