陳登(元龍)

陳登(ちんとう)は誠実で思慮深く、

執筆能力にも優れている人物でした。

 

そんな陳登ですが、

25歳の頃に東陽県長を任されます。

 

県長を任された陳登は、民衆の為の政治を行いました。

 

 

陳登の能力が優れていると判断した陶謙は、

陳登を典農校尉に任じたのですが、

 

その期待にも見事に応え、

徐州の農業事情は大幅に改善されていきました。

 

農業事情が大幅に改善された裏側に、

灌漑事業に力を入れたというのは外してはいけない要因ですね。

 

 

そんな中で陶謙が病死してしまうと、跡を継いだ劉備に仕えています。

 

しかし劉備の居城が呂布によって奪われると、

流されまくって呂布に仕える事に・・・

 

しかし陳到は呂布を好きになれず、父である陳珪(ちんけい)とともに、

呂布が滅ぶように罠をしかけていくのでした。

袁術と絶縁させた陳珪・陳登親子

袁術が曹操に対抗する為に、同盟の話をもちかけてきます。

呂布は袁術の話に乗り気になったのですが・・・

 

 

しかしこれを聞いた陳珪・陳登親子は

「縁組を成立させてはいけない!」と判断し、

 

そこで陳珪・陳登は、

「皇帝を名乗った逆賊の袁術と組めば、

呂布様自身も天下の逆賊となってしまいますよ!」

と呂布に説いたのでした。

 

呂布は「確かに!」とうなずき、

袁術との縁組を断り、同盟を結ぶことを避けることに・・・

 

またそれだけでなく、

袁術が送ってきた使者を切り捨て曹操の元へ送っています。

 

 

袁術がこれに大変怒って呂布を攻めるのですが、

この時ばかりは陳珪・陳登親子も呂布に協力していますね。

 

呂布が逆賊ならば、

袁術も逆賊なわけでして・・・

 

陳珪・陳登親子は、

袁術軍の将軍であった楊奉・韓暹を裏切らせます。

 

 

その結果、呂布軍の大勝で決着し、

呂布から信頼を得る形になったわけです。

 

陳珪・陳登親子が、

既に曹操に通じているとも知らずに・・・

曹操と通じた陳登

曹操は袁術の使者の首を届けたお礼に、

曹操が朝廷に働きかけ、呂布を左将軍に任命するのですが、

 

これに感謝した呂布は曹操の元へ陳登を派遣します。

もちろん要件は、感謝を伝えてくるようにということですが・・・

 

 

しかし陳登は、ここで迷わず曹操に轡替えをしたのでした。

「内部から手助けするので、

早く呂布を討伐すべきである!」と・・・

 

それを聞いた曹操は陳登を信頼し、広陵太守に任じています。

 

そして密約を果たした陳登は、何食わぬ顔で呂布の元へ帰っていくのでした。

呂布滅亡

曹操が呂布が守る徐州を攻めると、

 

陳珪・陳登親子は曹操に協力する形で、

内部から切り崩しにかかります。

 

そして呂布軍の士気が上がらない中、

更なる裏切者が続出し、呂布は捕らえられてしまう事に・・・

 

 

捕らえられた呂布は処刑されたのですが、

陳登はそのまま曹操に仕え、曹操から伏波将軍に任じられています。

 

ちなみにですが三国志演義での陳登の出番は、

ここで実質終了ということになりますね。

 

 

ただ正史では孫策に勝利した話であったり、

病気になった際に華佗の治療を受けた話などが残っていたりします。

実は孫策との戦いに勝利していた陳登

互いに信頼しあう関係だった劉備と陳登

劉備が劉表の元へ流れていた頃、

 

許汜(きょし)という人物が、陳登の事を

「陳登は横暴な人間である」低く評価したことがありました。

※許汜・・・元呂布の家臣で、陳登とは元同僚

 

 

それを聞いた劉備が理由を尋ねると許汜は次の用に答えます。

「陳登は客人をもてなす心が全くない!

それだけではなく、私とは口さえも聞いてくれない!!

 

休む際は自分が寝台で休み、

客人である私を床で寝かせたのだ!」

 

 

それを聞いた劉備は答えます。

「あなたは国士としての名声を持ってるのに、

 

いつも領地や財物を求めるばかりで、

ろくな進言もしていなかった・・・

 

 

おそらく陳登は、

そんなあなたを嫌ったのでしょう。」

 

劉備は更に続けて、

陳登をべた褒めしたのでした。

「もし私があなたを持て成した場合は、

私は楼上で寝て、君を更地で寝かせるだろうなぁ。

 

そう考えたら、陳登はまだ優しい方だ!

 

 

そもそも陳登は、文武と胆志を兼ね備えており、

彼に匹敵する者はなかなかいない程の人物である!!」と・・・

 

 

そしてその陳登はというと、

呂布が滅亡した後は曹操に仕えてますが、

 

かつての主人であった劉備に対して高い評価をした話が残っています。

 

「劉備は傑出した能力を兼ね備えており、

人の上に立つべき人物であった!」と・・・

 

劉備は陳登に対して、陳登は劉備に対して、

互いに厚く信頼していたからこそ素直な評価を与えたのでしょうね。

劉備 -流浪の果てに皇帝まで上り詰めた英雄-