陳宮(公台)

陳宮は若かりし頃、学問に励みます。

次第に世の中が乱れていくと、曹操に仕えます。

 

そして天下に覇を唱える為にも、

兗州を地盤に置く事を強く勧めます。

 

陳宮の助言を受けた曹操は納得し、

陳宮の協力もあり、兗州統治に成功します。

陳宮の裏切り

兗州に基盤を置いた曹操ですが、

この時に曹操の父親である曹嵩(そうすう)が、

徐州で殺害されるという事件が起こります。

 

その為、曹操は徐州を治める陶謙を恨み、

徐州へ攻め込みます。

 

もう一歩で陶謙を倒せるという所まで追い込みますが、

ここで信じられない話が、曹操の耳に飛び込んできます。

 

それは、陳宮が呂布を盟主に迎え入れ、

張邈・張超・王楷・許汜を誘って反乱を起こしたというものでした。

 

これによって兗州のほとんどの郡県が呂布に寝返り、

曹操領地は鄄城・范・東阿のみだけになります。

 

 

しかし沢山の優れた家臣を持っていた曹操は、

ここから巻き返し、奪われた兗州全域を取り返します。

 

曹操に敗れてしまった呂布・陳宮は、

徐州の劉備を頼って落ち延びていきます。

劉備を裏切る

 

劉備の元へ落ち延びた呂布・陳宮は、

劉備に丁重に迎え入れられます。

 

ここで二人の関係を壊す為に、

二虎競食の計や駆虎呑狼の計を用いています。

二虎競食の計

駆虎呑狼の計

 

その計略が決まり、呂布は劉備を裏切り、

徐州を占領してしまいます。

 

これによって呂布・陳宮らは、

再度曹操と戦う体制を整えたわけです。

陳宮、敗れる

呂布に裏切られた劉備は、

曹操の元へ落ち延びて、共に呂布を攻めます。

 

陳宮は曹操に勝利する為に、

様々な作戦を呂布に進言しますが、呂布は何一つ実行しませんでした。

 

そして侯成・魏続・宋憲の裏切りにあって、

陳宮は捕らえられてしまいます。

※三国志演義では、この3人が呂布を捕らえた事になっていますが、

三国志正史では、3人が捕らえたのは陳宮です。

 

陳宮が捕らえられたことで戦意を損失した呂布は、

曹操に降伏します。

仕える主君を誤った陳宮

捕らえられた陳宮は、

曹操の前に突き出されます。

 

そこで曹操は陳宮に尋ねます。

「何故お前は捕らえられて、私の前にひざまずいているのか?」

 

陳宮は呂布を指さして答えます。

「こいつが私の指示に全く従わなかったからだ」

 

 

曹操は陳宮の才能を愛しており、

自分の元へ戻ってきてくれるように何度も説得を試みますが、

陳宮はかたくなに拒否し続けます。

 

陳宮の意志が揺らがない事を知った曹操は、

涙を流しながら、彼を処刑しています。

 

孔明の「泣いて馬謖を斬る」という諺があるのなら、

まさに今回のは、曹操の「泣いて陳宮を斬る」の思いだったのかもしれません。

 

陳宮を斬った曹操ですが、

陳宮の残された家族を引き取って世話をしたそうです。

また陳宮の娘に関しては、結婚するまで面倒を見ています。

三国志演義での呂布と陳宮の決別

横山光輝三国志(4巻185P)より画像引用

 

演義では、董卓暗殺に失敗した曹操が、

指名手配され、役人であった陳宮に捕まってしまいます。

 

しかし、曹操を殺すに忍びないと思った陳宮は、

曹操の縄を解き、一緒に逃亡します。

 

その後、逃亡途中で、

曹操と縁があった呂伯奢(りょはくしゃ)を頼りますが、

ひょんな誤解から呂伯奢らを皆殺しにしてしまいます。

 

これを見た陳宮は、曹操を逃がした事を後悔し、

曹操と別の道を歩むことを決めたのでした。