紀霊(きれい)
紀霊は袁術配下の将軍で、
袁術軍随一の武勇を誇っていました。
徐州を治めていた劉備が呂布によって徐州を奪われ、
どうしようもなくなった劉備は呂布に降伏する感じで徐州へ戻ります。
そして呂布から小沛(しょうはい)を任されます。
そんな折に、袁術の命令で、
紀霊が3万の兵を率いて劉備を攻めます。
その様子を見た呂布は、
袁術が劉備を倒して、後方の臧覇と結んで、
自分を攻めるんじゃないかと疑います。
その為、呂布は紀霊と劉備を呼び寄せ、
仲裁を持ち掛けます。
戦力が劣る劉備はまだしも、
圧倒的に有利だった紀霊が仲裁をする気があろうはずもなく、
ここで呂布がある提案を持ちかけます。
それはおそらく、
呂布にしかできない仲裁方法でした。
その方法は、戟を地面に突き立てた呂布は、戟の小枝に矢をあてる事ができたら、
お互い和議を結んで撤退するというものでした。
紀霊は、呂布が劉備の手前だから、
こういうことを表向き言いだしたのだと思って、
この提案を受け入れます。
しかし紀霊の考えとは裏腹に、
呂布は寸分の狂いもなく命中させます。
これをもって、強制的に和議が結ばれ、
紀霊は撤退していったのでした。
三国志演義での紀霊
重さ50斤(約11kg)の三尖刀の武器を所持し、
袁術随一の武勇を誇った武将として登場しています。
関羽と引き分ける腕前
陶謙がこの世を去り、徐州を譲り受けたばかりの劉備に対して、
袁術の命令を受けた紀霊が攻め込みます。
ここで紀霊に立ちはだかったのが関羽であり、
一騎打ちをしていますが、30合討ち合うも決着がつきません。
ちなみに紀霊の副将であった荀正(じゅんせい)が、
その後一騎打ちをしていますが、一瞬で討ち取られています。
呂布の仲裁&呂布との対決
再度呂布に降伏した劉備を攻めた際は、
正史と同じく、呂布独特の仲裁方法で撤退しています。
それに激怒した袁術は、
今度は呂布を攻めるように命令します。
しかし、楊奉(ようほう)・韓暹(かんせん)が、
呂布に寝返ると、紀霊軍は敗北してしまいます。
紀霊の最後
袁術が皇帝を名乗ると、
袁術の家臣達は愛想を尽かし、続々と袁術の元を離れていきます。
そんな中でも紀霊は、最後まで袁術に付き従います。
最終的に袁一門の袁紹を頼って逃亡を図ります。
その時、金銀財宝を運ぶ役割を任せられたのが紀霊になります。
しかし曹操の命令によって袁術討伐に出陣した劉備軍の張飛が、
紀霊の前に立ちはだかります。
張飛と紀霊は一騎打ちの結果、
10合もせずに張飛に切り捨てられています。
その後袁術も袁紹の元に辿り着けず、
この世を去っています。