文醜(ぶんしゅう)

 

顔良と同じく、袁紹に忠誠を尽くし、

袁紹軍きっての猛将だと言われたのが文醜です。

 

顔良が白馬の戦いで関羽に討ち取られると、

兄弟のように親しくしていた文醜が激怒します。

 

そして文醜は、袁紹から命じられて、

白馬津から移動していた曹操を攻撃する為に、

文醜軍が黄河を渡航します。

 

文醜が、延津(えんしん)という場所で、

曹操軍の食糧や武器を積んだ輸送部隊に出くわし、襲い掛かります。

勿論これは曹操の罠で、荀攸が考えた作戦でした。

 

文醜軍が輸送部隊の食糧や武器を奪っていた頃、

隠させていた伏兵に一斉に襲い掛からせ、文醜軍は壊滅してしまいます。

この時文醜も討ち取られてしまいます。

三国志演義での文醜

三国志演義では、

顔良とは義兄弟の契りを結んでおり、

顔良の親友として登場します。

袁紹軍の猛将「顔良」

 

文醜の身の丈は、

8尺あったとされています。

 

この頃の中国では、

1尺は23cmなので、身長が184cmあったことになりますね。

 

また中国の伝説上の霊獣である、

獬豸(かいち)みたいな顔をしていたようです。

 

はっきりいって化物というか、

たまたま名前に「醜い」という記載も残ってる事から、

不細工な顔だったと言いたかったのでしょう。

 

ここでの文醜の初登場は、

192年に袁紹と公孫瓚の間で起こった界橋の戦いになります。

 

ここで袁紹軍が優勢に立ち回り、

公孫瓚を後一歩まで追い込んだ文醜ですが、

そこに浪人であった趙雲が登場し、公孫瓚を救っています。

※趙雲の初登場の場面でもある。

 

 

その後、白馬での顔良の仇討として、

曹操へ勝負を挑みます。

 

しかし正史同様の罠に引っかかってしまいます。

 

ただ、ここで文醜はあっさり討ち取られのではなく、

呂布の降将で猛将でもあった曹操軍の張遼を矢で射落としています。

 

また攻めてきた徐晃を、

撤退させたりと必死の抵抗を見せています。

 

三国志演義では、文醜の強さを表す為にも、

最後の活躍の見せ場を作ってあげたのでしょうね。

 

しかしそんな文醜も、最終的には、

顔良を討ち取った関羽によって、討ち取られてしまいます。

 

このことからも、関羽の武勇を引き立たせたいがために、

顔良におまけして文醜まで斬らせたかったのだと思います。

 

 

「袁紹軍が誇る猛将がどうせ殺されるのなら、

曹操軍の一般兵にではなく

せめて関羽の武勇を引き立たせて死んでくれ・・・」

 

という思いが、

三国志演義の物語に込められたのでしょう。