一般的な「義兄弟の契り」

劉備・関羽・張飛による、

「義兄弟の契り」は有名な話ですが、

 

正史の中に「三人が義兄弟の契りを結んだ」

と明記されているわけではありません。

 

 

しかし正史にも義兄弟という言葉は出てきませんが、

「寝食を共にしているうちに兄弟の様な関係になっていった」

とそれに近いような書き方が残されています。

 

そのことからも三人の関係が深い関係だったのは間違いないでしょう。

 

 

三人は黄巾賊討伐の為の義勇軍が募集されていた頃に偶然にも出会うわけですが、

その時の劉備はむしろを売って生活をしていました。

 

 

そして義勇軍募集の立札を見ていた劉備がため息をついていると、

 

「何故ため息をついているのだ!?」

と劉備に話しかけてきたのが張飛でした。

 

 

張飛の問いに対して劉備は次のように言葉を返します。

 

「自分に力がないばかりに、

世の中が混乱してるのに何もできない」と・・・

 

 

そうすると張飛が

「ならば一緒に立ち上がらないか!!」と言い出したのです。

 

その後に二人は酒場で酒を飲み交わしていたわけですが、

ここで登場したのが関羽で、三人は会話が弾んで意気投合したというものです。

 

 

そしてその中で「劉備が只者ではない!」

と感じた関羽と張飛の二人だったのですが、

 

「実は劉備が漢王朝の末裔である」ということを知り、

素直に納得したといいます。

 

 

これがきっかけとなり、

後に劉備家の裏にあった桃の木の下で、

 

「生まれた日は違えども、死ぬ時は同じ日を願う!」

と三人は誓いあったのでした。

 

 

その際に劉備を長兄、

関羽を次兄、張飛を末弟として、

 

「義兄弟の契りを結んだ」というものです。

 

また「義兄弟の契り」は「桃園の誓い」とも呼ばれます。

 

 

一般的に有名なのがこれまで述べてきた話であると思いますが、

他にも義兄弟の契りに関する話がいくつかありますので紹介してみたいと思います。

劉備 -流浪の果てに皇帝まで上り詰めた英雄-

義兄弟の契り(逸話①/張飛と関羽の喧嘩)

劉備・関羽・張飛がまだ出会う以前の話ですが、

 

張飛は「肉屋」を営んでおり、

肉を保存する際は井戸を利用していたようです。

 

 

 

また肉を保存する際に、

千斤の重さがある石を乗せていたといいます。

 

 

ちなみに千斤という記載を分かりやすく言うと、

 

今でいうところの五百kg程度の重さになりますから、

相当の重さということになりますね。

 

 

張飛はこの重石を軽々と動かしていましたが、

「俺以外の者達では、重石を動かす事すら不可能だろう」

と内心考えており、

 

そして張飛は己の力を自慢する意味も込めて、

次のような立札を立てたと言います。

 

 

「上に乗せている石を動かせる者がもしいたら、

そこに保存している肉は勝手に食ってくれて良い!」と・・・

 

そして張飛が自負するように石を動かせる者は誰も現れませんでした。

 

 

 

しかし偶然にも通りかかった関羽が、

その石を簡単に動かし、

 

保存されていた肉を取り出して、

周りの者達に分け与えてしまったのでした。

 

 

その光景を目にした張飛は激怒し、

「俺の肉を勝手に分けるんじゃない!!」と逆ギレしたわけです。

 

 

このことにより二人の喧嘩が始まるわけですが、

その喧嘩を止めに入ったのが劉備でした。

 

そして華奢であった劉備に手を掴まれた二人でしたが、

その手を振り払う事ができないでいました。

 

 

腕に自信を持っていた関羽と張飛は、

「こいつのどこにこんな力があるんだ!」

と非常に驚くと同時に、

 

劉備に何か感じた二人は

「義兄弟の契り」を結んだといいます。

義兄弟の契り(逸話②/木登り)

劉備・関羽・張飛の三人が意気投合し、

「義兄弟の契り」を結ぼうとなった際に、

 

「誰を長兄にするか?」で口喧嘩が始まったといいます。

 

 

しかしここでトラブルが発生したのですが、

「三人とも自分こそ長兄だ!」と譲らなかったのでした。

 

 

そこで張飛が近くにあった大きな鍬の木を指さして、

「木登りで長兄を決めてはどうか!?」と提案します。

 

 

「ただ何故に張飛が木登りを提案したのか?」というと、

張飛は木登りが大の得意だったのです。

 

どうしても長兄になりたかった張飛は、

自分の得意分野を提案したというわけですね。

 

そして張飛の提案に、まんまと劉備と関羽が乗る事に・・・

 

 

そして木登り競争が始まると、

木登りが得意は張飛はあっさりと頂上まで登りきります。

 

また関羽はというと、桑の木の中程しか登れていなかったようです。

 

 

そして残りの劉備はというと、

木を全く登らずにその場に立ち尽くしていたのでした。

 

 

 

勝利して大喜びしていた張飛が劉備に対して、

「何故木を登らなかったのだ!?」と問いかけると、

 

 

「木は根元から伸びて幹になり、枝を広げていく。

木の元となるのは根元だ。

 

だから私は動かなかったのだよ」と劉備は答えます。

 

 

 

劉備が何を言いたかったのかというと、

「木は根がないと始まらない。

つまり根の近くにいた自分が長兄だ」ということでした。

 

 

これに感心した関羽と張飛は、

劉備を長兄に決めたといいます。

 

そして木の中間(幹)にいた関羽が次兄となり、

一番最初に登った張飛は末弟となったというものです。

 

 

ちなみに桑の木ではなく、

桃の木だったという話もありますが、

 

内容はどちらも似たような内容になっています。

 

 

ここまでくると「桃園の誓い」のイメージから、

完全にかけ離れた話になりますね。