劉度(りゅうど)

曹操が荊州を制圧した際に、

曹操によって零陵太守に任命されたのが劉度です。

 

赤壁の大戦後、地盤を求めて劉備が侵攻してくると、

劉備にあっさり降伏しています。

 

その後の記載は残っていません。

 

 

荊州南部の4郡を守っていたのが、

劉度(零陵)・金旋(武陵)・趙範(桂陽)・韓玄(長沙)なのですが、

 

まともに記録があるのは、

長らく一族が漢王朝に仕えていた金旋ぐらいです。

記録が最も残っている荊州南部の四天王(荊州四英傑)「金旋」

三国志演義での劉度

横山光輝三国志(28巻7P)より画像引用

 

三国志演義では、

赤壁の戦いで曹操が敗れた際に、

 

地盤を求めて劉備が侵攻してきた時に、

劉度は正史同様に、零陵太守として登場しています。

 

劉度自身は弱気で、劉備と戦う意思はなく、

すぐに降伏しようと考えます。

劉備との戦いに踏み切る

しかし彼の息子である劉賢(りゅうけん)が、

「我が軍には、邢道栄(けいどうえい)がいるではありませんか!

 

彼は六十斤の大まさかりを自由に操る豪傑なので、

彼をを先頭にして戦えば、関羽であろうと張飛であろうと討ち取ってくれるでしょう」

と血気盛んに戦う事を主張します。

 

それにおされてしまった劉度は、

劉賢に1万人の兵を預け、邢道栄を先頭に戦いを挑みます。

 

しかし邢道栄は張飛に手玉に取られ、

趙雲に捕らえられてしまいます。

 

捕らえた邢道栄を劉備のもとへ連れて行くと、

何故か劉備にすぐに「斬れ!」といわれる始末。

横山光輝三国志(28巻28P)より画像引用

 

 

荊州南部侵略戦の劉備や孔明は、

少し違和感を感じるようなやり取りがいくつかあるんですよね。

主人を討った魏延(ぎえん)と鞏志(きょうし)に対する反応が違い過ぎたりと・・・

『三国志演義』荊州南部平定戦で諸葛亮による不公平な魏延と鞏志の処遇

 

いきなり「斬れ!」と言われた邢道栄ですが、

命乞いをし、「劉賢を騙して捕らえてくる」と嘘をいい、

なんとか解放されます。

 

しかし、その計略は見破られており、

邢道栄は趙雲に討ち取られ、息子の劉賢は劉備に降伏します。

 

そのことを知った劉度は、

慌てて劉備へ降伏したという流れです。

 

劉備に降伏した劉度ですが、

引き続き零陵太守を任せられています。

 

 

ちなみにですが息子の劉賢は書籍によっては、

劉延(りゅうえん)と記載されています。

 

横山光輝三国志や吉川英治三国志では、

劉延としての登場です。

 

また劉賢も邢道栄も、正史には記載が見られず、

三国志演義だけの登場になっています。