曹爽(そうそう)の暴走

曹爽(そうそう)は曹真の子で、司馬懿と共に

曹叡死後の曹芳(そうほう)の補佐を任された人物でした。

 

最初は、年齢も上で、

実績からしても格上であった司馬懿の意見を重要視し、

司馬懿を立てていたことで、国の政治は綺麗に回っていました。

 

しかし曹爽の周りの者達が、

司馬懿は野心を抱いていると諫言したことから、

曹爽は司馬懿を疑うようになっていきます。

 

 

まず最初にしたことは司馬懿から兵権を奪う為に、

大将軍よりも位は上でしたが、実権がない名誉職の太傅に祭り上げます。

後漢の官僚制度(三公九卿)

 

そして曹爽は、身内を重要な役職に次々につけていき、

こびへつらう者達で周りを固めていきます。

 

そして曹爽一派に属していた人達にぶっちゃけろくな人いません。

類は友を呼ぶって感じですね。

  • 丁謐(ていひつ)→司馬懿を太傅に祭り上げるように進言した張本人
  • 何晏(かあん)→何進の孫・優れた学者・仲間を簡単に売る
  • 鄧颺(とうよう)→お金と女性が好き
  • 李勝(りしょう)→落ちこぼれ
  • 畢軌(ひつき)→いたって傲慢なだけの普通の人

 

 

まぁあえていうと何晏は学者としては結構優れた人物だとは思いますけど、

人間性は疑う所があるかなと思ってます。

後世の文学に多大な影響を与えた何晏(何進の孫/曹操の養子)

 

曹爽一派を身内も含めて綺麗に整理すると、こういった感じですね。

 

また天子であった曹芳を操り人形にし、

曹芳と同じ衣服を着たり、同じ馬車を使用したり、

天子直属兵を私物化したりとやりたい放題で、国の政治は乱れていきます。

 

最終的には、やりすぎた事もあり、

司馬懿のクーデターにあって、死罪になります。

 

そんな曹爽が一度蜀討伐に乗り出したことがありました。

今回はその話について述べようと思います。

自分の為に蜀討伐に乗り出す

 

その曹爽が、圧倒的に司馬懿に劣る自分の威勢を高める為だけに、

蜀を討伐しようと気まぐれに決意します。

 

曹爽は急ぎ7万程度の兵を集めるやいなや

王平の守る漢中へ侵攻します。

 

 

王平は歴戦の猛者で、注意深く、

蜀にとってなくてはならない存在の一人で、

蜀の喉元である漢中を3万人弱の兵で守っていました。

 

兵力的に勝っていた曹爽軍ですが、

王平が守る漢中を落とすことができず、苦戦を強いられてしまいます。

 

そこに涪城から蒋琬が、

成都から費禕が兵を引き連れてきます。

 

この報を聞いた曹爽は、

このままでは全滅してしまうと退却を決意します。

 

しかし険しい山道で退却もままならない中で、

費禕に追撃され、曹爽は命からがら逃げかえります。

失墜した威勢

 

自分の威信を高める為に計画した蜀討伐軍でしたが、

逆に曹爽の威信が地に落ちた形で決着します。

 

曹爽の生涯で一度の戦いは、

惨敗という結果で締めくくったのでした。

 

 

また曹爽は、この討伐戦で、

羌族や氐族の異民族に輸送の為の馬や牛を借りており、

それらもほとんど失う形になり、異民族からも恨みを買うというおまけつきで。