張苞&関興

 

関興は関羽の息子で、張苞は張飛の息子です。

 

二人とも武勇に秀でた二世で、

夷陵の戦い時に、二人とも劉備の陣営に参上して、敵将を討ち取る等大活躍を見せます。

 

また引き続いて孔明の北伐でも活躍しました。

 

 

ですがこれらの話は、史実に基づいたものではなく、三国志演義だけの話です。

一言で言ってしまえば、嘘ということになりますね。

実際の張苞&関興

実際の関興は、諸葛亮に期待され、

20歳にして侍中・中監軍を任されるという大抜擢を受けています。

 

関羽の息子というのもあり、非常に期待されていたのでしょうね。

しかし表立って活躍する事もなく、早世してしまいます。

 

 

また張苞に関しては関興以上にひどく、張飛が生存時に既に亡くなっています。

なので張飛の息子というだけで、記録が全くないんです。

 

ただ蜀を代表する関羽と張飛の息子だからこそ、

 

三国志演義では二人の息子をスルーするわけにもいかず、

大活躍させる展開になったのだと思います。

 

その方が物語としても非常に面白いですしね。

三国志演義での張苞&関興

関羽と張飛は義兄弟の契りを結んでいますが、

関羽が兄、張飛が弟ということになっていました。

 

三国志演義では、

張苞を兄、関興を弟として義兄弟の契りを結んでいます。

 

関羽張飛と逆の形になります。

 

 

ちなみに張苞が兄となった理由は、関興よりも年齢が上だっただけです。

 

また夷陵の戦いに敗北して後は、

孔明の北伐でも二人は主力として大活躍をしています。

三国志演義での張苞&関興の最後

張苞は第二次北伐の際に、敵を追っている最中に、

崖から転落し、それがきっかけとでこの世を去ってしまいます。

 

ちなみに死因は、崖から転落したのがきっかけで、

最終的には破傷風にかかったのが死因という事になっています。

横山光輝三国志(55巻101P)より画像引用

 

関興は第三次北伐まで毎度参加していましたが、

その後病気になり、第四次北伐に参加できず、静かにこの世を去っています。

 

 

関興が病死した事を知った諸葛亮は、

 

「忠義の士の命をかくも早く奪ってしまうのか!」といって、

ショックのあまり倒れ込んでしまいます。

横山光輝三国志(57巻106P)より画像引用

まとめ

三国志演義での張苞と関興は、孔明の作戦上欠かせない二人だっただけに、

それぞれ失った時の孔明の悲しみは尋常なものではなかったのです。

 

 

そもそも三国志演義の主人公である劉備、

そして劉備と義兄弟の契りを結んだ関羽と張飛、

 

関羽と張飛が殺され、その息子たちが父に代わって劉備を助け、

 

孔明と共に漢王朝復興を成し遂げようとする姿は、

物語として非常に美しく、非の打ちどころが全くないのです。

 

そういう理由から三国志演義では、

虚空の張苞像・関興像が作り出されたのでしょうね。