陳式(ちんしき/ちんしょく)
蜀には、陳式という武将がいたんだけど、
読み方は「ちんしき」であったり、「ちんしょく」と呼ばれたりします。
一節には三国志正史を書いた陳寿の父と言われている人物なんですけど、
実際の父親ではないですね。これは三国志演義のみの創作です。
漢中攻略戦
そんな陳式なんですが、
劉備が漢中攻略する為に漢中を守る夏侯淵を攻めた際、
陳式は夏侯尚の軍勢と戦って捕虜にされちゃいます。
その後、劉備軍の黄忠によって夏侯尚が捕らえられてしまった為に、
人質交換によって陳式はなんとか帰還が許されてます。
この漢中戦は、劉備軍の勝利に終わります。
第3次北伐
それから時代は流れて、諸葛亮の北伐が開始されるんだけれど、
事件が起こったのは第3次北伐でした。
この時魏延と陳式は孔明からの命令を無視して、
魏軍を追撃した結果、多くの兵を無残にも失ってしまいます。
この時、戦闘能力に長けていた魏延を失うわけにいかず、軽い処分に留めましたが、
そのしわよせは陳式一人に被せられ処刑されてしまいます。
横山光輝三国志(56巻27P)より画像引用
陳式の真偽は実際どうだったの?
そんな良い所なしの陳式ですが、
まず結論から言うと、三国志演義だけに描かれた創作です。
実際の陳式は、
着実に仕事をこなす蜀の隠れた名将の一人でした。
劉備が夷陵の戦いに挑んだ時には、
呉班と共に水軍を率いて、任された任務をきちんとやっています。
第3次北伐時でもそうです。
命令違反を起こして処罰されたように演義では書かれていますが、
蜀の先鋒隊の総大将を務めたのが陳式です。
この時、陰平・武都という漢中西側の攻略するという戦果をあげています。
正史で多く何度も名前が出てくる武将ではないのにプラスして、
それ以後の陳式の登場もなくなってしまったため、
三国志演義ではこういうシナリオを作ったのでしょう。
ただあくまで情けない顔を見せてるのは演義だけの話で、
実際の陳式は、それとは正反対の武将だったのです。
三国志演義では諸葛亮等中心人物を引き立たせるために、
犠牲になった人達は数知れません。陳式もそんな中の一人なのです。